蓮池
「ふぁーあ、よく寝た。お昼行こうよ、アイリーン」
「あ、はい。マチルダさん、今行きます!」
「やっと午後。今日こそキャンベル先生、稽古つけてくれないかなぁ」
「マチルダさんは身体動かすことがお好きなんですね」
「アイリーンこそ、よくずっとじっとしていられるね」
「職業病でしょうか……あまり苦になりません」
「職業病? アイリーン、何かしてるの? 内職とか? そんなにお金に困ってるの?」
「いえ! そういうことではなくて! 本を読むのが好きなんです!」
「ああ、なるほどね。本屋さんの娘さんだもんね。蛙の子は蛙か」
「マチルダさんはどうして軍人になりたいのですか?」
「ん? 憧れている人がいるから」
「憧れている人、ですか」
「そう、うちの母なんだけど、これが滅茶苦茶強くてね。女だてらに将校の地位まで駆けあがった。もう何やらせても男よりも速い強い上手い。馬も、銃器の扱いも、剣術、さらに戦略家としても有能だった。昔はね」
「……今は?」
「先の隣国との小競り合いで負傷してね、片目と片足失っちゃって。現在は後方勤務」
「そうなんですか……」
「母さんは『生きてるだけめっけもん』ってあっけらかんとしてたけどね。あたしにとってはヒーローなの……ま、そういうこと。早く卒業して士官学校に入りたいよ」
話ながら食堂に向かっていると一人の男子学生が近づいて来た。
「あの……すみません」
「何か用?」
マチルダがぞんざいな口調で尋ねた。
「アイリーン・スタンフォードさんに、お話があって……」
「私、ですか?」
「これ、読んで下さい! 返事はいつでも構いません!」
男子学生がアイリーンに手紙を押し付けると、急ぎ足で去っていった。
「ひゅー、入学して二日目でもう恋文か。やるね、アイリーン」
「これ、そういう内容なんですか?」
アイリーンとしてはつい作品のファンレターだと思って受け取ってしまった。しかしよく考えなくとも、ここには自分がアイリス・グリーンだと知っている人間はギルバード以外いないのだ。
「まあ、この時期に編入しかもこんなに美少女でついでに右腕吊ってたら目立たないわけないもんね。あとで読んだら、どんな内容でもいいから返事あげなよ」
「マチルダさん、慣れてますね」
アイリーンは恥ずかしくて、また赤面してしまった。
「うん、まあ、主に女子からね。色んな意味で返事に困るよ」
マチルダは今日も旺盛な食欲を見せ、山のような料理を綺麗に平らげた。これで身体のどこにも無駄なぜい肉が付いていないのだから羨ましいというより凄い。
「成長期だもの。しかも鍛錬するとお腹が空くし。さてと、ごめん、今日は武道場の鍵当番だから先に行くね。また、見学に来るよね?」
「はい。それでは後程」
マチルダが慌ただしく席を立つと、あっという間に人の波に飲み込まれていった。遅れてアイリーンも食堂を出ると、声をかけられた。
「アイリーンさん」
「はい?」
アイリーンが振り返ると女子生徒たちがずらりと揃っていた。
「さっき、マチルダにあなたのこと頼まれたの。構内を案内するからついてきて」
「分かりました」
四方を女子生徒たちがアイリーンを囲む。小柄なアイリーンはその陰に隠れて見えない。
「あの、どちらに向かっているんですか?」
「ここの学校には綺麗な睡蓮池があるの。せっかくだから見せてあげようと思って」
裏庭の奥の小道を歩いた先には池があった。蓮の花が美しく咲いている。
「綺麗……」
「でしょう?」
次の瞬間アイリーンの左手からカバンがひったくられた。そして、その中身が池の中へとぶちまけられた。
「何をなさるんですか?!」
「マチルダに言われたの。『キャンベル先生に贔屓されている上に鬱陶しい頭でっかち』って」
「あなたとは階級が違うの。勘違いしないでくれる? 男好きの優等生さん」
女子生徒たちは駆け出して、去っていった。アイリーンはその場に立ちすくんでしまった。魔導書がこのままでは水没してしまう。アイリーンは一瞬ためらったが、池へと飛び込んだ。
お読みいただきありがとうございます。
次回「裏切り?」をどうぞよろしくお願いします。




