第八話 欲しかったもので与えたいと思えたもの
「っ、ふー……」
完全に動きを止めた大熊を見て、アレクは大きく息を吐く。
それに反比例するように。
周囲から歓声が沸き立った。
本当に十人程から発せられているとは思えない程の音量にアレクは耳を塞ぐ。
しばらくして喝采が止んだのを確認したあと、エイドの元へ向かった。
「エイドさん、大丈夫?」
「っつ……何本か骨をやられたが、まぁ大丈夫だ」
エイドは青い顔で気丈に振る舞う。
死なないという意味での大丈夫であり、重症にはかわりない。
身体中が激痛に襲われているはずだ。
そんな状態で大熊の前足を切り裂き、アレクの命を救ったのだ。改めてアレクは目の前の戦士に対する尊敬の念を深めた。
「お前こそ大丈夫なのか? 思いっきりあいつの突進を受け止めてたが」
エイドによってアレクが救われたように、アレクもまたエイドを救っている。
ましてや、より人間離れした方法を用いて大熊を止めていた。
何処かしら負傷していてもおかしくないのだが。
「うん? 別に何ともないけどなぁ」
当の本人は、そんな懸念も気にせず、あっけらかんと答える。
関節を鳴らし、身体の調子を確認するが、特別痛みを感じる箇所はなかった。
「お前、本当に人間かよ」
そんなアレクに思わずそんな言葉が漏れてしまう。
相当に人間離れしたことをやってのけながら、まるで誇るような様子を見せない姿に苦笑してしまう。
「しっかし……」
エイドが視線を別の方向に向ける。アレクもその視線を追うと、その先には倒れた大熊がいた。
「こんだけ獲物がいないんだ。相当腹すかしてたんだろうな」
改めて魔物の様子を思い返す。
見たもの全てに襲いかかる魔物の中でも、興奮し、暴走していた。
確かに空腹が一番妥当な理由だろう。
この魔物が食い荒らした結果、この森から他の動物たちが逃げ出し、結果的に周囲の住居に被害をもたらした。
しかし、その予想には不可思議な点がいくつかあった。
何より、この程度の魔物にしては動物たちがいない範囲が広すぎる。
なにより、アレクがあの魔物から最も感じとれたものは、怯えだった。
何かを恐れて、逃げ出したい。
そんな感情を魔物から感じとっていた。そもそも魔物に感情が有るのか、アレクには分からないけれど。
「アレクさん!」
魔物について思い馳せていると、ソルンが素っ頓狂な声でアレクを呼びつける。
アレクが駆け寄ると、ソルンは青い顔をしてこちらを見つめる。
「アレクさん、これ、どうしますか?」
ソルンが震えながら指指した先。
そこにいたのは子熊だった。
おそらく先ほどの魔物の子なのだろうが、大熊のような特徴は見られない。眼は二つ付いているし、爪も生え揃っている。
何よりこれだけ近くにいながら襲ってこないことがそれを証明していた。
「どうするってなぁ……」
子熊はソルンのことを気に入ったのか、足元にくっついて離れない。噛み付いたりはしていないので、問題はないと思うが、魔物かもしれないものにまとわりつかれているソルンからすれば、心中穏やかではいられなかった。
魔物の子でありながら魔物ではない、というのは、不思議にも思う。
しかし、魔物の誕生は何が原因か未だ判明しておらず、環境の影響か突然変異によって誕生したものなのか、推測しか出来ていないのが実態だ。
同じ魔物が複数体存在することから生殖活動も行っている可能性はあるが、誰も確認できていない。
ただ同種族の魔物は、争わないことが確認されている。
そのことからもこの子熊があの魔物の子どもの可能性を高めていた。
もし違うのなら、とっくに食料になっていたはずなのだから。
「こいつはなかなか貴重かもしれないな」
獣が魔物に変化するのか。魔物からしか魔物は生まれないのか。
もしかしたら魔物が産んだ子は、獣と変わらない姿で生まれ、時間経過と共に魔物に変化していくのかもしれない。
だとしたら、この子熊はそれを解明する役に立つかもしれない。
もちろん、子熊があの魔物の子であるかを完全に確かめる術がない以上、立証するには至らないだろうが。
「おいおい、連れて帰るのかよ」
「魔物の生態を解明するのに使えるかもしれない。それにギルドに報告するにも、こういう分かりやすいのがいるだろ?」
「それに関してはうちらがいるから問題ないんすけどね……」
ギルドには当然、任務達成の証明が必要になる。
特定の魔物の討伐依頼であれば、首や骨など、狩ったと証明できるものを渡せばいい。
しかし、今回は調査依頼だ。何をどう調査したかを証明することは難しい。
ソルンたちサポーターは、戦闘や移動の補助だけでなく、こういった任務の達成率を証明するためにも必要なのだった。
「今回の調査はこれくらいでいいだろう」
「そうっすね。指定された分は充分調査しましたし、原因も特定できましたし」
あの大熊が原因と決めつけることに関して、アレクは納得いかなかったが、かといって別の理由も見つけられていない。
わざわざもらえる報酬を減らす必要もないし、黙っておくことにした。
「よっしゃ、帰ろうぜ」
エイドは達成感から傷ついた身体であることも忘れ、元気に起き上がる。その代償に全身に激痛が走り、悶絶していた。
その姿を見て、その場にいる全員が笑う。
まだまだ長い帰路があることも忘れて、全員が安堵に包まれていた。
帰還を始めて二日ほど経ったあと。
都市まであと半分というところまで来ていた。まだ森の中とはいえ、道も大分拓けており、歩きやすい。
この二日間でエイドの身体の痛みも殆どが消え、移動だけなら支障がでないほどに回復していた。
流石に戦闘は厳しいため、アレクが一人で担当していたが、やはりあの魔物以外に障害は現れることはなかった。
「おーい! 見てくださいよアレクさん!」
「あー。すごいなそれ」
楽しそうな声に視線を向けると、ソルンが子熊に乗り、走り回っていた。
数日の間にあっという間に仲良くなっていた。
先ほど親を討伐されたとは思えないほどの人懐っこさだ。
残念ながら、というより当然ではあるが、親を討伐した張本人であるアレクには何をしても威嚇しか返ってこなかったが。
「アレクさん、いろいろとあの話を聞かせてくださいよ」
「どうせ理解できないぞ? 俺もよく分かってないんだから」
器用にもこちらの隣まで子熊で乗り付けるとソルンはアレクに催促してくる。
内容は地球の話だった。もちろん転生したことは伝えていないし、異世界の話もしていない。ただ学校で学んだ科学や物語なんかを聞かせていただけである。
与太話としか受け取らない人間が多い中で、ソルンは珍しいタイプだった。
電気の発生する理由や火が起こる理由など、興味を持つものは少ない。この世界はまだ教育水準も低く、全てが発展途上で、科学に意識を割けるほどの余裕はないようだった。
「また村にも帰らないとだな」
ふと、エイドは思い付いたようにそんな言葉を漏らす。
「確かに、しばらく帰ってないな……」
思い返せば、巨猪を倒したあと、討伐者となるために村を出てから一度も帰省していない。
定期的に手紙や仕送りを送ってはいるが、顔は見せていない。
身長も伸び、顔つきもあれから随分変わった。
恋人の一人でもできてから帰ろうと考えていたが、悲しいことにできる気配もない。
そろそろ帰ってもいいのかもしれない。
そんな風に考えていたとき。
不意に、子熊が動きを止める。
「ん? どうしたっすか?」
ソルンの疑問に応えることなく、子熊はある方向を見つめ、威嚇をし始める。
それはアレクにするような怒りの威嚇ではない。
その威嚇もまるで何かに怯えているかのように見えた。
あの、大熊のように。
そして、子熊の威嚇に反応するように、地響きが鳴り始める。
一瞬、前世で何度も体験した地震かと思うも、この世界では二十年近く生きてきて、一度も経験していない。
全員が身構え、音の方へ視線を向ける。
次第に音は大きくなっていく。
そして、アレクは視界の隅に舞い上がる土煙を確認した。
それもまた次第に大きくなっていき。
そして、遂にそれが何なのか、アレクは気付いた。
気付いてしまった。
「嘘だろ……」
土煙を巻き上げているものの正体、そして地響きの元凶。
それは視界の端を覆うほどの、途方もない数の魔物たちだった。