第五話 転生
そこから彼は劇的に変わった……なんてことはない。
ただ確かな変化があった。
まずはいつもの水汲みを真剣にやるようになった。
今までは他の仕事を押し付けられないように、言われた数を時間ギリギリに汲み終わっていた。
それをいつもより早く、いつもより多くやるようになった。
特に何かを期待して行ったわけではない。ただ今できる精一杯がそれくらいだっただけ。
だが、その精一杯の行いが、アレクに一つの転機をもたらす。
「偉いじゃないか」
父親に褒められながら、頭を撫でられた。
普通の親子であれば当たり前の、そんな経験が今まで一度もなかった。
決して父親がアレクに愛情を持っていなかったわけではない。
しかし、子どもにしてはやけに大人しく、こちらの言うことにすぐ従うわりには、いつも言われた通りのことしかやってこない。アレクの兄たちにあった子ども特有の天真爛漫さや直向きさが感じられない。そんな息子の存在に違和感があった。
兄弟とも積極的に話すことなく、一人で何をするでもなく、ただ生きているだけのアレクに我が子ながら薄気味悪さを感じていたのだった。
それが、巨猪に襲われてから、雰囲気が変わった。何があったのかは分からないが、いつもよろ生き生きとした姿が父親にとっても嬉しかったのだ。
だから、今まで自分の子達にしてきたように褒めてあげた。
父親にとってはそれだけのこと。
だが、アレクにとって、その経験は心に大きな温もりを与えた。
今まで嫌々やってきた水汲みが、嫌ではなくなるほどに。
そうして、生活の苦しみが一部取り除かれた分、その余裕が次の行動に繋がった。
始めは水汲みの量をより増やす程度だった。家族を助けるついでに鍛えていこうと、安易にそう考えただけの行動。
けれど、その安易な考えと行動は家族を喜ばせ、感謝された。
ありがとう。ただそう言われるだけで、心の何処かが満たされるのを自覚した。もっとそれが欲しいと思えるほどに。
感謝される気持ち良さを初めて知った彼は次第に他の仕事にも積極的に関わっていった。
すると、周りの彼を見る目も次第に変わっていく。
水を汲みに行く彼に、ちらほら話しかけてくる人が出始めた。
始めこそろくに会話も出来ず、逃げるように仕事に向かって行っていた彼だったが、何度も声をかけられるうちに、次第に慣れていく。
ただの挨拶すら上手くできなかった初期から、挨拶が普通に返せるようになり、自分から挨拶できるようになり、会話をするようになり、いつの間にか談笑することもできるようになった。
人と笑い合いながら会話をするなんてことができるとはアレク自身が一番想像していなかったことだった。
人との関わりが増えるにつれて、剣の扱いや小型の魔物退治の仕方なども教えてもらえるようになった。
弓も扱えるようになり、積極的に獣を狩るようになると、家族はより褒めてくれるようになった。肉が食卓に並ぶのは余程嬉しかったらしい。
何より一番大きな変化があったのは、村の教育だった。
人とコミュニケーションをとれるようになったアレクは、同世代の子どもたちと遊ぶ際、計算問題をよく出した。
これは仮にも二十数年生きているアレクがかくれんぼやおままごとを楽しむのはなかなかに難しかったために、苦肉の策でしたことだったのだが、結果的にこれが功を奏した。
子どもたちが簡単な計算をできるようになり、その子どもたちから親が学ぶという現象が起きた。
計算ができるようになると、今まで以上に都市部に出稼ぎに行く者が増えた。計算ができないために本来より安く見積もられていたものが看破できるようになったからだ。
そして、村で一番計算の得意なアレクは村の交易を任されることが増えた。
初めこそ気乗りしなかったが、都市部までの護衛をエイドがよく担当していることを知ってからは、一番に名乗りを挙げるようになった。彼の元で討伐者について教わりたかったからだ。
何度も会話を重ねるうちに様々なことを知っていった。
エイドはこの村の出身だった。それ故に巨猪に襲われた際もすぐさま助けに来てくれたのだ。農作業が主な仕事の村に飽き飽きして飛び出したらしい。そして似ていると感じていた近所のおじさんは、エイドの兄だった。仲はあまり良くないようで、出会うなり言い争いになっていたが。
その他にも都市にはギルドが存在し、そこに所属することで討伐者となれること。
そして、本格的に魔物と戦う為の方法を学び始め、エイドに稽古もつけてもらうようになった。
どうやら、二つ目の彼の身体は才覚に恵まれていたらしい。
周囲の人間よりも早く、大きく成長し、筋力も村で一番になるのにそう時間はかからなかった。
大人でも苦戦するような魔物の討伐もできるようになり、エイドからも仕事の手伝いを任されるようになった。
そうして彼は知恵と力を頼りにされるようになり、いつの間にか村の中心人物となっていったのだった。
一日という単位で見れば、ほんの小さな変化。それらが重なりあい、十年という月日が経ったアレクはまるで別人のように変えていった。
前世の自分からは想像できない姿。
頑張ってまで生きる理由を見つけられなかった彼は、そうやってただ生きるために頑張ることの楽しさと喜びを知ったのだった。
そうするうちに。
もう前世の名前を忘れてしまうくらいにアレクは『アレク』へと生まれ変わっていったのだった。