第四話 誓い
「あんなの来たら、無理だよ……」
男の解答に、アレクは絶望を以て応える。
どれだけ堅牢に家を建てようと、どれほど執拗に畑を防護しても、またあの魔物が襲ってくれば一溜まりもないだろう。
いつかまた壊されるなら、それは無意味なことだと、アレクは考えていた。
だが、男は自信に満ち溢れた顔で否定する。
「んなことねえさ。現に俺があの巨猪を追い払ったんだからよ」
「……おじさんが?」
「誰がおじさんだ。お兄さんと呼べ。もしくはエイドさんな」
またも昨日したようなやりとりを交わす。
エイドと名乗った男の姿を訝しげに見定める。
確かに素人目から見ても鍛えられた肉体をしており、只者でないことは分かる。
けれど、あの化け物を見たあとでは、どんな肉体にもその強度に意味を見出せなかった。
「なんだなんだ? 疑ってんのか?」
「うん」
「随分直球じゃねえか……まぁ、実際に俺一人でやったわけじゃないけどな」
あまりにもはっきりと返答をしてしまい、エイドはしょげてしまう。
変な雰囲気になってしまい、急いで会話を続ける。
「倒したわけじゃないの?」
「あぁ、逃げられちまった。ま、ほとんどの眼は潰したし、かなり深手も負わせたからな。数年は表には出て来れないだろうよ。元々、山奥に住んでたみたいだしな」
その話を聞いて、図らずも胸の鼓動が高鳴るのを感じた。
あの恐ろしい眼球が潰されている。あの頑強な体躯に傷が負わされている。
まだ完全に脅威が去ったわけではないのに、その事実がどうしようもないほど荒んだ精神を安堵させてくれた。
「どうやったの?」
「うん? そりゃ、色々よ。打てるだけの手は打つ。やれるだけのことはやる。それが討伐者の基本だからな」
「具体的には?」
「おいおい、急に元気になってきたじゃねえか。なんだ? 討伐者に興味でもあるのか?」
「そ、そうじゃないけど」
そう言われて、アレクは自分が興奮していることに気づいた。
今まで、前世を含めてこれまで、一度も覚えのない感情に自身でも戸惑う。
ただ、知りたかった。
あんなにも強大なものにどう立ち向かったのか。何を用いて戦ったのか。
どうすればあんなものに勝利できるのか。
それを知ることができれば、今胸の内に生じた安堵が何度でも得られる気がして。
「ほんと色々だよ。落とし穴に落としたり、油かけて火をつけたりな。直接脳天に斧を叩きつけてもやったな、脳みそまで刃が届かなかったが、あれは惜しかった」
戦闘内容を聞き、改めてエイドの姿を確認する。
あの巨猪に直接刃を振るいながら、その五体には目立った外傷は見当たらなかった。服の内側までは分からないが、特に隠している風にも見えない。
あれほどの巨躯に触れられるほどの距離にいながら、傷も負わずにいられたことがアレクには信じられなかった。
同じ人間にそんなことが可能だとは思えなかったからだ。
「まぁ、あんな魔物はいくらでもいるし、いくらでも倒してきたからな。」
だから、その言葉を聞いて、アレクは表情を強張らせる。先ほどまでの浮足だった感情が鳴りを潜めていく。
あの魔物がいくらでもいる。
それを聞いて、また胸中に暗雲が立ち込める。
払いきれないそれに、疑問がいくつも浮かび上がり。
そして、一番の疑問を問いかける。
「あれと同じような魔物がいっぱいいるんだよね? あれよりも強い魔物がもっといるんだよね?」
声が震える。アレク自身には原因は分からない。
「ああ、いるな」
「それなら、どれだけ倒しても意味がないんじゃないの? 結局、どこかの村は同じようになってるんじゃないの?」
「……まぁ、そうだな」
エイドには、それが心の底から引きずり出した故なのだと、理解できた。
「それなら、どうして戦うの? 何度戦っても、何度も現れるなら意味がないんじゃないの? どれだけ直してもまた壊されるんなら、直す意味なんてないんじゃないの?」
だから、そんな馬鹿みたいな問いに自分が言葉に表現できる限りを尽くして、答える。
「お前、いろいろ大きく考えすぎなんだよ。結果的に意味がないとか、将来的に関係ないとか。お前はあれ見て怖かったんだろ? そんで、それがいなくなったって聞いて安心したんだろ? それでいいんだよ」
アレクは胸を抑える。そこに確かにあった安堵を確かめながら。
「自分が辛いからそれから解放されるために頑張ってんだよ。そんで俺たちは今、目の前で苦しんでる奴がいて、それを見逃せないから戦ってんだ。そのうえで、そいつをぶっ倒して、喜んでる奴らの顔を見るために戦ってんだよ。単純なんだよ、理由なんて」
その言葉に気づく。いつかは意味がなくなるとしても、今、この瞬間においては確かに意味があるものがあることに。
先ほど、胸中に沸いた安堵と興奮がそれを証明していた。
エイドは復興中の村人たちを指さしながら、さらに会話を続ける。
「あいつらだって、将来のこの村のことを考えて直してるわけじゃねえさ。いつかまた壊されるかもって気持ちよりも早く雨風しのげる場所が欲しい、ゆっくり眠れる場所が欲しいって気持ちの方が強いだけさ」
「間違いなくあいつらには、お前みたいにどうせまた家が壊されるから直さないでおこう、またいつか魔物に襲われて死ぬだろうから、今のうちに死んでおこう、なんて複雑な考えしてる奴はいねえよ。いるのは、生きたいとか幸せになりたいとか、そういう単純な欲を持った奴だけさ」
欲。その単語にアレクは反応する。
その言葉が、どうしてほかの人たちはあんなに頑張れるんだろうという疑問と、どうして自分は頑張れないのだろうという不満に答えをくれた気がした。
彼らが凄くて、自分が弱いからだと思い続けていた。
けれど、本当は同じ気持ちだった。
お互い楽がしたかっただけだった。
「また壊されるかもしれない。けど、もう壊されないかもしれない。そういう望みがある限り、人は何度だって立ち上がるべきなのさ」
「そうやって立ち上がり続けた先に、もう壊されたりしないっていう決意が生まれて、魔物も退治できるようになるのさ。今は無理でもな」
復興に勤しむ村の人々を見つめながら、アレクは最後の質問を投げかける。
「絶望したりしないの?」
「こんな程度で絶望したりしねえさ。望みは絶えない。人間は強欲だからな」
それにエイドは即答する。
重ねてアレクに質問を投げ返す。
「お前にだってあんだろ? 欲しいものがさ」
そう言って、伝えられるだけを伝えたエイドは、少しして仲間の元へと去っていった。
エイドと別れたあと、交わした会話を脳内で何度も反芻する。
自分の欲というものについて思考を巡らせる。
思えば、何かを強く望んだ覚えがアレクにはなかった。おそらく子供の頃はいろんなものを欲しがっていたはずなのだ。
けれど、それらを欲することは次第になくなっていて。
それは、結局手に入らないと分かっていたからだろう。どうせ手に入らないだろうと、分かった気になっていたから、全部諦めてしまっていた。遂には生きることさえも諦めるほどに。
何が一番欲しかったのか、どうしてそれを諦めてしまったのか、もう覚えていない。
「決めた」
だから、それを思い出すために、今一番欲しいものを手に入れるための努力しよう。
電子機器もなければ、インターネット環境もない。
捻ったら水が出てくることもなければ、火を扱うこともできない。
最低限な生活の保証も、明日生きていられるかの確証もない。
おまけに魔物なんていう化物まで存在していて。
それでも。
そんな世界で懸命に生きることをアレクは誓った。