四男の意地
最初の憧れは兄貴達だった。
自信たっぷりで力なら誰にも負けない長男のドラッド兄ィ。
いつもクールで頭の回転が速い次男のフレンク兄ィ。
面倒見が良くて末っ子の俺にも優しかった三男のジョリス兄ィ。
3人の兄貴はそれぞれに得意な事があって、親も期待していた。
でも俺は違った。
体力も魔力も平凡。慕われるような性格はしていないし、得意な事なんて1つも無かった。
人に自慢出来るのはせいぜいその家柄ぐらいで、初対面の相手を前にまず口から出るのは兄貴達が挙げた名声だった。
俺自身には何も無い。何も無かった。
魔王様が現れ、広い魔界を支配し始めた時、俺の憧れは兄貴達から魔王様に移った。
出自なんて関係なく、たった1人で魔物達を従えて、魔人達を束ねる不思議な魅力のある人だった。
そして腕っ節は、ドラッド兄ィより強いグレン様よりも強い。それを知って憧れというよりも服従する気持ちが湧いた。いや服従というよりも奉仕だろうか。この身を捧げたいとそう思い始めた。
だが魔王様が勇者と相討ちになって、グレンが地上の征服に乗り出した時、俺の憧れはグレンに移っていた。魔王様になる事は無理だが、グレンの片腕くらいになら俺でもなれるかもしれない。ドラッド兄ィには出来たのだし、俺にも同じような血が流れている。実際に割り振られる仕事はスケルトンを率いて人間の村を蹂躙するというショボい物だったが、それでもきちんと成果を上げればいつかはグレンの目に留まると、本気でそう思っていた。
そして奴が現れた。
ロディ。グレンと同じく魔界四天王の1人。頭が良いという噂は聞いていたが、実際に表には出てこないし、目立った活躍もないので、魔王様と古くから知り合いなだけの男だと思っていた。実際、追放に近い形で魔界を追い出されていたし、他の四天王に比べれば圧倒的に見劣りする存在だった。
そんな油断が祟ってか、ジョリス兄ィはロディに殺され、俺はロディの奴隷となった。くやしかったが、それでも全然奴への憧れは抱かなかった。日がな土を触りながら、ぶつぶつと金儲けの計算をする魔人なんて、そうなりたいとは全く思わなかったのだ。
どう殺してやろうかと、人間に虐げられながらそればかり考えていた。
だが奴は、人間も魔人も上手く使いながら少しずつ少しずつ成り上がっていった。
ほとんど何も無い状態から、大規模な農場を作り、莫大な利益を生んで、敵である人間達から崇拝されるまでになった。それもたった1年で。何がが見えているのか、何を考えているのか分からない事の方が多かったがそれでも、自分の向かうべき方向だけは確かに知っているようだった。
でも全然憧れなかった。何がどうすごい奴なのか、全く実感出来なかった。
「……で、お前は結局裏切り者だった訳だ」
サルムはフードを深く被り、裏路地を走っていた。両手で抱えた荷物はチュートンから頼まれた、現在グレンと交戦中のロディに届けるべき物だった。
「ドラッド兄ィ……」
立ち塞がったのは実の兄。野菜爆弾の襲撃を受けてダメージを負っていたが、それでも生きているという事は攻撃を凌いだという事でもある。サルムはフードをめくってドラッドに顔を見せた。
「やめろ。兄ィなんて呼ぶんじゃねえ」
ドラッドは血の混じった唾を地面に吐くと、少し刃こぼれした剣を握り直した。
サルムは尋ねる。
「……あの時、フレンク兄ィと一緒に殺しておくべきだったと思ってるか?」
グレンの軍から首輪つきのまま追放された時、ドラッドはサルムを庇っていた。
「いや? 別にそうは思わねえな。お前が出来る事なんてたかが……」
知れてる。そう言い終わると同時に切りかかってくる事をサルムは察知していた。兄弟として、戦いを一番近くで見てきた経験からの直感だった。
サルムには2つの選択肢と2つの分岐があった。
1つは、ドラッドとの勝ち目の薄い戦いに挑み、弟から兄への下克上を果たすか、果たせずに死ぬ。
1つは、使命を全うする為にここは逃げ、チュートンから預かった物を確実にロディに届けるか、逃げられずに死ぬか。
どちらにしても、失敗すれば待っているのは死だ。分が良いのは逃げる方だが、リターンが大きいのは戦う方だった。ドラッドに遭遇した時点で、どちらかを選ばなければならない事は分かっていたが、咄嗟に口を突いて出たのは第3の選択肢へと進む言葉だった。
「これは斧だ」
台詞を遮られたドラッドは、サルムの妙に落ち着き払った様子に刃先が少し萎えた。
「ロディには今武器がない。だからこれを届けてくれとチュートンから言われてる。魔人の力にも耐えられる特注品だし、刃は良く研がれてる。見てくれよ」
巻いていた布を解くと、そこには偽りなく上出来な斧が現れた。
「……それなら、なおさら通す訳にはいかねえな。お前を殺してそれを俺の得物にしてやる」
ドラッドとしては当然の返しをしたが、疑問は解決されずもやもやは残った。
何故、サルムは突然斧の説明なんて始めたのかという疑問だ。
サルムの表情が変わった。
「という事はだ、ドラッド、お前はこの斧があればロディはグレンに勝てると見ているんだな?」
「……あぁ?」
「だってそうだろ。ここで俺が斧を届けるのを妨害するって事は、斧を届けられるのはまずいって事だ。つまりあんたにとってグレンはその程度の男だし、ロディには勝てる見込みがある」
既にサルムはこの2年で1番多く喋っていた。誰かに意見する事すら苦手なのに、相手はあの恐ろしい長兄である。本来のサルムならこんな事は逆立ちしても出来なかったはずだが、何故か出来た。ロディが喋っているイメージが頭の中にあった。
「……お前、兄への口の聞き方がなってねえな」
「俺を弟だと思ってないと最初に言ったのはあんただぜ」
戦闘、逃走に次ぐ第3の選択肢、それは交渉だった。サルムは農場にいた時、ロディがチュートンを初めとする人間の商人達と交渉する様を働きながら眺めていた。タリアが代わりに前に出て、それにロディがアドバイスする所も見ていた。
「もしこんな斧をロディが持っていたとしてもグレンが勝てるっていうなら、俺の代わりにあんたが運んでくれたって良いんだぜ? そう約束するなら俺はここで大人しく殺されてやるよ」
「馬鹿か!」ドラッドが大声を出した。「何故俺がロディの味方をしなくちゃならないんだ? ……言葉で丸め込もうとしているのが見え見えだぜサルム。お前ごときに俺が騙される訳あるか。俺はお前みてえな薄汚い裏切り者じゃねえ」
そうして強く拒否するドラッドだったが、サルムの質問には答えられていなかった。そこに負い目がある。サルムもそれは分かっていた。
「斧を届けた所でロディに勝ち目はない。だが、少しでも有利になる可能性は潰しておく。そういう事か? ドラッド」
サルムは諭すような口調でドラッドにとって好都合な意見を代弁する。当然、ドラッドはそれに食いつく。
「ああそうだ。その通りだ。分かってるならさっさと殺されろ」
絶対的な拒絶から、1度肯定させるテクニック。これによってドラッドの緊張が少し緩められた。
「それなら、そもそもあんたはこんな事してる場合なのか? 大通りには野菜達が行進していて、他の魔人を襲っている。そっちを助けないと、後で怒られるんじゃないか? ご主人様に」
「別にグレンは主人でも何でもねえ。お前なんざに言われなくても、お前を殺した後は野菜共を倒そうと思ってるよ」
「おいおい、あんたが本当に倒したいのは野菜なのか?」
「……」
ドラッドの荒ぶる鼻息が止まった。核心に触れられたからだ。
「あんたが今本当に戦いたいのは、血を流さないし断末魔もあげない野菜じゃない。ましてや出来の悪い弟でもない。あんたが1度取り逃し、地獄の淵から戻ってきたロディという男だ。違うか?」
「……」
「ロディに逃げられたおかげで、あんたは自分の実の弟まで自分の手で始末しなくちゃいけなくなった。でも仕方ない。だってグレンは怖いよな? あんたより強いし、誰だって恐れてる。でもそいつに立ち向かってる奴がいる。今。西の広場で、そいつは武器も持たずにグレンと戦っている」
サルムは自分の言葉にロディの言葉を重ねる。
「もう1度訊くぜ。あんたが今すべきなのは何なんだ?」
サルムは全くロディになど憧れてはいなかった。だが親と子がそうであるように、本人の希望とは別の所で才能という物は望まぬ誰かに似てしまう物だった。




