究極の畑
死後の世界などありはしない。
そこには何も感じず、どこにも行けず、考える事すら出来ない無限の無が広がっている。俺は今までそう信じてきたし、そうあるべきだとも思ってきた。人間達の多くが信じるような、善行を積んで楽園へ行くという発想は権力者にとってそちらの方が都合が良いというのがあからさまで馬鹿馬鹿しい。一方で魔人が信じるように、強い者はより強い魔人に生まれ変わって好きなように生きられるというのも、ただ単に多くの敵をぶちのめして強さを示したいという感情に言い訳をしているようで阿呆らしい。
楽園などどこにある? 前世の記憶がお前にあるのか?
信じられるのは今この一瞬、俺が俺を認識しているというその状況だけだ。死ねばその瞬間に全てが終わり、2度と目を覚ます事は無く、どんな奇跡が起ころうと元には戻らない。
思えば、俺のそのドライな考え方が、タリアを失った事で悪い方に働いたというのはあるかもしれない。タリアはもう帰って来ないし、俺が死んだとしても2度と会える事は無いのだという事を、はっきりと認識してしまっている。その瞬間、生きていてもいなくても一緒だという考えが頭を離れなくなった。まさに生きる屍だった。
そんな哲学と自己分析は一旦置いておいて、話を現状に戻そう。
今、俺の目の前に広がっている世界は何というかその、御高説をぶち上げといて言うのは憚られるのだが、これはまさしく「死後の世界」と呼ぶしか無い状態なのだ。
満点の星空へ誰かが更に星を足して溢れたような風景だった。陽の光が無く暗いは暗いのだが、蛍のように小さな光が縦横どこまでも際限なく広がっている。目を凝らすと、その1つ1つが極細な紐で繋がれており、全体では網のようになっている。
上下の感覚は既に無い。なので地面に足をつける事もなく、俺はただこの異様な空間をふわふわと漂っていた。生温い感覚に全身を包まれているのに、呼吸も苦しくないし視界も良好だ。それ以外の感覚も至って正常。唯一の問題は、ここが一体何なのか分からない事だけだった。
「ロディ様、『究極の畑』へようこそ」
突如として聞こえた声に、俺はひっくり返りそうになってぐるっと一回転した。
「この声、菌類統率者か?」
「ええ、そうです」
「僕もいるよ」
またどこからともなくチェルが現れた。突然こんな所に俺を放り込んだ張本人なので、1発ぶん殴ろうかとも思ったがやめた。確認が先だ。
「俺は……死んだんだな?」
「死んでませんよ。ここは『究極の畑』です」
いやいや。と俺は周囲を見渡す。これの一体どこが畑なのか。野菜どころか土すら無く、太陽の光も無いし雨も振りそうにない。
「……すまないが、順を追って説明してくれないか」
どこに向かって話して良いのか分からないので独り言のようになってしまったが、返事は来た。
「分かりました。では、最初に尋ねます。そもそも土とは何ですか?」
かつて俺が直面した問いだ。
「それは……お前達の事だ。生き物の死骸を分解し、長い年月をかけて砂と混ぜた物。それが土だ。だからそもそも生き物がいないような場所に土はないし、人間でも魔人でも作る事は出来ない」
「ええ、その認識は正しいです。しかしそれは答えのほんの一端でしかありません」
「……ほんの一端だと?」
「はい」
何となくチェルを見てみると、興味なさそうにふわふわと浮かんでいた。連れてきておいての態度とは思えない。
「どういう事だ? それ以上に何がある?」
この場では神のような存在と化した菌類は、ゆっくりと語った。
「生物には全て設計図があります。あなたにも私にも、生けとし生ける物には全てその肉体を形作る因子があるのです。我々はそれを『遺伝子』と名付けました。あなたのように巨大な身体を持っていては認識すら出来ませんが、私達のように極小の身体を持てば、そこにある知性で遺伝子を観察する事が出来ます。
遺伝子は生物の源であり、極小でありながらその情報量は莫大で、少しずつ変異し続けながら存在しています。親と子が似ていつつもどこか違うのはそのせいであり双子がよく似ているのは共通の遺伝子を持っているからです」
ナイラとジスカを思い出しつつ、極小生物の語る概念を理解しようと努める。
「私達は死骸を分解しますが、その時には当然遺伝子も取り込む事になります。砂と混ぜ、あなたから見れば全く別の物に変えながら土を作るのです」
「……ふむ」
興味深い話だとは思うが、最初にした質問から随分かけ離れた地点まで連れてこられた。俺は死んでるのか生きてるのか、ここがどこなのか、何がしたいのか、どうして欲しいのか。1つも答えになっていない。
「成功しました」
「何に?」
「遺伝子の再現です。更に私達は遺伝子に残った魔力から、持ち主の記憶を呼びさます事が出来るようになりました。そして菌類のネットワークのこの国の全土に広げ、ありとあらゆる場所の死骸から遺伝子を収集しました。それが200年の成果であり、『究極の畑』という言葉の意味です」
言っている意味が分からな過ぎて俺は黙ってしまったが、そんな俺にチェルが尋ねる。
「ロディ、会いたい人がいるんじゃない?」
「何を……」
最後に見た光景がフラッシュバックして、俺は逃げ出したくなった。どこにも逃げ場所などない事は分かっていた。
「土に還った者なら、誰でも呼び出す事が出来ます」
「ま、待て。……やめろ。それ以上俺を……苦しめないでくれ」
死んだ者は帰らない。それが自然の摂理だ。だから俺は諦めたし、この2年を無駄に過ごした。
「会いたくないのかい?」
チェルにそう尋ねられ、俺は答えに窮する。そりゃ会いたい事は会いたいが、しかし……。
「あの、すいません」
菌類統率者が申し訳無さそうに告げる。
「向こう側が会いたいと言っていて、待ってもらっていたんですが、そろそろ限界だそうです」
「……は?」
「ロディ」
名前を呼ばれ、振り向くとそこにタリアがいた。あの時のままの美しさで、胸に赤ん坊を抱いている。
「……タリア?」
まだ目の前の状況が理解出来ず、ぽかんとする俺にタリアはすーっと泳ぐように近づいてきた。
「あなたの子よ。抱いてあげて」
優しい顔で微笑み、タリアは俺に赤ん坊を渡した。恐る恐る受け取る。赤ん坊を抱いた事などないのでかなりぎこちなくなってしまったが、幸い赤ん坊はすやすやと寝息を立てている。薄い紫色の肌とまだ小さな出っ張りでしかない角は間違いなく俺の子の証だった。
「ロディ、名前はどうする?」
ごく普通にそう尋ねるタリアに、俺は何か返事をしようとしたが、混乱と緊張で声が出なかった。
「突然過ぎて思いつかないか。それもそうね。じゃあ、次来る時までに考えておいて」
タリアはそう言って笑った。