許されざる者
ナイラとジスカの2人には悪いが、今の俺に「復讐」を行う力はない。実行する精神力も無ければ、単純に実力も無い。
グレンは今、この国の覇者だ。自らを「魔王グレン」と名乗り、魔人達の軍勢を率いて王都に攻め込んだ。人間対魔人では数の上では不利だが、奴の手元にある土以外の3つのエレメントがそれを補える。水で退路を塞ぎ、火をつけて追い込み、風を送って焼き切る。まさに虐殺と言って良いだろう。当然王政は倒れ、何とか生き伸びた者は国外に脱出した。おそらくグレンは今、どの順番で他の国を侵略していくか考えている事だろう。
確かに人間達は気の毒だと思うが、それに対して俺が出来る事は1つもない。遅かれ早かれ皆殺しにされるか、あるいは原初のエレメントに匹敵する何かを見つけてくるしかない。そんな物があるのかは果たして謎だが、とにかく俺には関係のない事だ。
俺はただ1人、こうして極寒の山奥で酒を飲みながら暮らしていく事に決めたのだ。まさしくスローライフという奴だ。最高じゃないか。
「ロディ、あんたふざけんの?」
ナイラは侮蔑のこもった眼差しで俺を睨んでいる。少しやつれたか、褐色の肌には以前のようなハリが無い。
「あなたが始めた事でしょ? あなたが決着しないでどうする訳?」
「俺が……始めただと?」
「ああ、そうさ。前魔王のレイシャスとあなたが2人で始めたのが人間界の征服だ。それをたかだかグレンの奴に宝石を奪われたくらいで、何あっさり諦めてるの。その程度の志だった訳?」
明らかな挑発。それに乗って俺が立ち上がると思われていたなら心外だ。
「だとしても……レイシャスはもう死んだ。俺は人間になど興味はない」
「嘘つき」
ジスカが小さくそう呟く。
「ロディの、嘘つき」
「ジスカの言う通りだね。人間に興味が無いなんて嘘だ。昔のロディは一所懸命に野菜を育てて、私達のお腹を満たしてくれた。良い物を効率よく作る為に知恵を絞って、時には自分を危険に晒してでも農場を守った。それに、ロディはタリアさんの事を……」
「やめろ!!!」
思わず俺は声を出す。傷を抉られた痛みに、耐えられなかったのだ。
「……やめてくれ。その名を口に出すな」
俺は頭を掻きむしりながら、記憶から離れようともがく。
「……悪かった。でも、あなたに立ち上がってもらわないと私達が困る。ロディ、グレンを倒して。今それが出来るのは、あなただけ」
真剣な表情のナイラ。冗談を言っているようには見えないが、生憎と俺には冗談にしか聞こえない。
「……奴はエレメントを3つ持ってる。対して俺は1つ。奴には魔人達の軍勢と城砦。俺にはちっぽけな洞窟と酒。これでどうやって勝つって言うんだ? なあ、教えてくれよ」
「ロディ! しっかりする!」
ジスカがそう叫んだ。俺の卑屈な態度に業を煮やしたのだろう。
「昔のロディ、そんなんじゃなかった。どんな問題にも頭を使って立ち向かった。考える。ロディの仕事。私達はそれをサポートする。それで勝てる!」
2年でせっかく言葉が上手くなったのに、興奮のあまり滅茶苦茶になっている。気持ちはわからなくもない。が、
「もう……放っておいてくれ。悪いが、お前らの復讐には協力出来ない」
冷え切った洞窟で、気まずい沈黙が行き場を失っていた。俺は酒を取ろうとして立ち上がり、2人を無視して部屋の隅に移動しようとした。その時だった。
バチ! という音と共にナイラが俺の頬を平手打ちした。
「ジスカ! あなたもこいつを殴りなさい!」
「えぇ……」
名前を呼ばれたジスカは、若干遠慮しながらも、姉が叩いた方とは逆の頬を叩いた。俺は特に抵抗もせず、それを受け入れる。
「……気は済んだか?」
正直、早く帰って欲しかった。2人がいるだけであの時の事を思い出しそうになる。すぐに忘れる必要がある。そうしないと保っていられない。何を? それは分からない。
「済んでない」
ナイラはそう言うと、一転して冷静な態度でこう述べた。
「グレンが、あなたとあなたの持っているエレメント、それに『操魔の指輪』を探している事は知っているね?」
当たり前だ。だから俺はこうして人里離れた雪山に隠れ潜んでいる。
「私達もあなたと同じお尋ね者。だけど、グレンの優先順位はどちらかといえばあなたの方。つまり、私達があなたをグレンに突き出せば、私達は見逃してくれるかもしれない。少なくともしばらくは国外に逃げて安全に暮らしていける」
「それは……どうだろうな」
俺はこいつらよりもグレンの事をよく知っている。経験から言わせてもらえれば答えはノーだ。3人仲良く首を晒す事になるだろう。
「あなたが復讐しないというのなら、もう誰にもグレンは止められない。ならいっその事あなたを売った方がすっきりする。そうでしょ? ジスカ」
強引に話を進めるナイラに、ジスカは戸惑いつつも曖昧に同意した。
その後、ナイラは決定的な問いかけを俺にぶつける。
「ロディ、死に場所が欲しいんでしょ?」
あの時、俺は死ぬべきだった。
生き残り、この2年隠れ潜み、その思いは確信に変わった。俺にとっての命はただの重荷だ。
「……いいだろう。奴の所へ行こう」
俺は土のエレメントとを握りしめ『操魔の指輪』を装着し、ナイラの後ろについて洞窟を出た。
山を降りると、近くの廃村に馬車が止まっていた。
御者はフードを深く被っていたが、見覚えのある首輪をしていた。
「……お前、サルムか?」
サルムは俺の姿をちらりと確認し、顔を隠すように俯いた。
2人と一緒にボロ馬車へ乗り込み、1番奥の席に座るとサルムは手綱を引いて馬車を動かした。
しばらく誰も何も言わなかったが、その空気に耐えかねたのか、ナイラはサルムについて話し始めた。
「あの夜生き残った魔人は、ほぼ全員がグレンに忠誠を誓った。そこのサルムも例外じゃないけど、グレンの方から断られた」
俺はサルムの背中を横目に見る。農場で働いていた時よりも痩せたようだ。
「首輪つきの魔人など許されないと。まあ、原初のエレメントの力があれば首輪を壊すのなんて簡単なんだろうけど、グレンはそうしなかったし、こいつもグレンに頼む勇気はなかった。兄2人にも見捨てられたようだね。そんな中1年くらい前に再会して、今は私達の護衛兼雑用」
相変わらず酷い目に合っているらしい。
「……悪かったな」
俺は手を伸ばして、サルムの首輪にそっと触れた。パキ、という音をたてて、首輪が割れて地面に落ちた。馬車の車輪が首輪を踏んで、何事もなかったように走っていく。
「ちょ、ちょっと何してんの!?」
ナイラは狼狽えていたが、俺はサルムに告げる。
「これでお前は自由だ」
サルムは何も言わず、手綱を握り続けた。馬車を止める事も無ければ、俺に恨み節を言う事もない。3年近く首輪がかかっていた首の事すら気に留めてないようだった。
「……ロディ、お前は俺と同じだ」
サルムはこちらを見ずにそう呟いた。