勇者
レイシャスと一緒にいた時間は長いが、彼の出生、特に家族に関してはほとんどと言って良い程聞く機会がなかった。何気なく尋ねてみてもはぐらかされたし、不思議とそれ以上追求する気にもなれなかったのだ。俺自身は魔人貴族の出身だが、生まれによって人を評価するのも馬鹿馬鹿しい事だと思っている。だから別段気にしていなかった。
ズーミアが腹違いの妹だというのも、レイシャスが1度だけそう言っただけで本当かどうか分からない。まあそんな嘘をついた所で何の得も無いし、ズーミアも否定しなかったのでおそらく事実なのだろう。ただ、その時にもう一言、あらかじめ言っておいて欲しかった事がある。
「我は魔界を統べる王なり。これから貴様ら人間共も我が支配下に置いてやる」
魔王軍が地上への進出を果たしたその日、レイシャスは人間軍の前で高らかにそう宣言した。
あえて人間目線で語れば、ある日地面が大きくズレ、その隙間は魔界などという巨大な異空間に繋がっており、そこから大量の魔人と魔物が這い出て来たという所か。そして当然のごとく、その軍を仕切っている人物は人間に敵対している。反抗は必然だった。
それから約2年程は、魔王軍の圧倒的に優勢な状況が続いた。数の上では人間に分があるが、腕力と魔力では明らかに魔王軍に分があり、更に魔物達が野に放たれれば人間達はその対処をしなければいけなくなった。俺の作業量も魔界にいた頃より倍増し、休みなどなかった。裏方としての仕事に徹するあまり、レイシャスと腰を据えて話す機会が失われたが、それでも俺は必死に働いた。
そんなある日、地上に出兵していたグレンが魔王城に帰ってきた。普段は地上で奪った砦や街に居座って略奪を楽しむ奴が、わざわざ本拠地まで後退するというのは非常に珍しい事だったが、更に興味深いのはそのグレンが傷を負っていたという事だった。
「あの人間は必ず俺が殺す! 絶対だ! 見つけたら居場所をすぐに教えろ! ぶっ殺してやる!」
部下にがなり散らすグレンは、、興奮して腕を振っていた。折れた場所が痛むらしく脂汗を流している。
「あの人間、というのは?」
グレンを連れ帰ってきたシルファに俺が尋ねると、奇妙な答えが返ってきた。
「グレンは勇者と名乗る人間に負けたのさ。それも一騎討ちでね」
俺の知る限りでは、一騎討ちでグレンが負けたのはレイシャスを除けばこれが唯一だと思う。ましてや人間が相手となるとまさに異常事態だった。
「ロディのおっさん。いいから何か情報が入ったらすぐ教えろ。次は必ず勝つ。俺が確実にあいつの息の根を止めてやる」
そう言って、肩を上下させるグレンが哀れに見えて、俺はその依頼を肯定も否定もしなかった。代わりに、レイシャスに報告する事にした。
「魔王様、グレンがある人間に敗れました」
玉座の間にて、俺は片膝をつきそう報告する。
「……ロディ、誰もいない所ではレイシャスでいいんじゃないか」
「いえ、こういうのはあなた自身の自覚が重要なのです。魔王様」
レイシャスはため息をつく。俺がした報告の内容自体には驚いていないようだった。
「あのグレンがたった1人の人間に負けたのですよ?」
確認の意味でそう尋ねる。
「……まあ、それはそうだろうな」
それはそう。俺は戸惑いつつ、1つの答えに辿り着く。
「勇者とやらの正体を知ってるんですね?」
レイシャスは俺を見て、再びため息をつく。先程よりも深く、諦観が多く含まれていた。
そして衝撃的な言葉を口にする。
「勇者は、俺の腹違いの弟だ。ズーミアの兄と言った方が正しいか」
「なっ……」
俺は思わず立ち上がる。決して冗談を言っている風ではない。
「ズーミアの変身能力は知っているだろ? 人間の勇者というのは仮の姿だ。中身は純粋な魔人だよ」
勇者と魔王が兄弟なだけでも奇妙な話だが、より奇妙なのは勇者の振る舞いである。
何故グレンを倒す。英雄気取りで自ら勇者などと名乗るのか。それだけ実力があって更に魔王様とも半分血が繋がっているのであれば、魔界四天王を俺の代わりに勤めれば良い。
「仲が悪い」
「……は?」
「俺とあいつは合わない。だから奴は力を手に入れる為に地上に行った。どういう方法かはまだ完全には分からんがな」
「間違ってたらすいません」と前置きし、俺は核心的な質問をする。「私はあなたの兄弟喧嘩に巻き込まれたんですか?」
それからレイシャスは俺に向かって説明する。魔界の統一、そして地上の制覇は純然たる自身の野望であり、それが出来るだけの力があるからこそするという事。弟である勇者はレイシャスに匹敵する力を手にし、王の座を奪おうとしている事。
そしてそれを意地でも阻止したい事。
「ふ」
必死に弁明するレイシャスを前にして、俺は思わず笑ってしまった。
「くくく……ははは……! レイシャス、それでこそ君だ」
魔人とはこうあるべき、という姿を誰よりも体現しているのがレイシャスだった。俺はそんな彼を尊敬していた。
「……あまり笑うなロディ。それから、俺の事はちゃんと魔王様と呼べ」
「ああ、分かったよ。いや……畏まりました。魔王様」
勇者が何者であろうと、俺のすべき事は変わらない。レイシャスを支え、この先にある物を見る。それだけなのだ。
ただ、物事は思うようには進まなかった。勇者は特別な力を得て、それをフルに使って人間界をあっという間にまとめ上げ、魔王軍と正面からぶつかった。その特別な力の源が原初のエレメントであるという事は、後になってレイシャスから聞いたが、もしあらかじめ分かっていてもどうにもならなかった。
魔王軍の侵攻は王都に届く寸前に止まり、そこから一気に押し返され、やがて勇者は魔界にまでやってきた。俺は勇者とその仲間を分断する作戦を立てて魔王様に了承してもらい、それ自体は上手く行った。
勇者は死んだ。だが魔王様も致命傷を受けた。
魔王様は最後の力を振り絞って自身を封印し、原初のエレメントを我ら魔界四天王に託した。
……そうだ。はっきり覚えている。
俺は土のエレメントを使って人間界で農業を始めた。土について詳しくなり、人間達の畏敬も得た。伴侶も出来た。子供ももうすぐ生まれる。そして原初のエレメントが再び集結し、魔王様がついに復活する。
そのはずだった。
なのに……どこで道を間違えた?
腹に良いのが一発入って、俺は現実に引き戻された。
拳の主はドラッド。笑いながら俺を殴って、「弟の仇だ」とか「情けない奴め」とか散々に喚き散らしている。鬱陶しい奴だ。土のエレメントを使って埋めてやろうかと思ったが、俺の手元にそれはない。
「どけ、ドラッド」
今、俺の土のエレメントを持つ男が、宙にふわりと浮かびながら俺を見下していた。
ドラッドは興奮冷めやらぬ様子だったが、その男の命令には逆らわず俺の前を開けた。
「今、楽にしてやるよロディ」
先程レイシャスを粉々に砕いたエネルギーが、再びエレメントに集まる。どうやら俺はここで終わるらしい。まあそれならそれでいい。もう何もかも失ったし、帰る場所もない。最後に昔の思い出が蘇って良かった。俺は目を瞑る。
「……あ? 何だお前は?」
グレンがそう呟いた。
「いつからそこにいた? 何者だ?」
俺は目を閉じたまま、終わりの瞬間を待つ。
「何を言ってやがる? 俺が野菜なんか育てる訳ないだろ」
そこでようやく俺は薄目を開けた。何をしているのか、純粋に疑問に思ったのだ。
グレンは何も無い空間に向かって話していた。グレンの部下達も、そんな奴を不思議そうに見上げている。
「やかましい。もう黙ってろ。今良い所なんだ」
グレンは再度エレメントを俺に向ける。そして観念した俺を見て、何かを思い出したようだった。
「ああ……そういえばロディが前に言ってたな。守護者がどうとか。こいつがそうか」
チェルか。所有者が移ったから俺には見えなくなっているらしい。だがロディからは見える。当然の事だ。
「まあどうでも良い事だ。邪魔が入って悪かったな、ロディ。……死ね」
虹色のエネルギーが螺旋を描きつつ俺に目掛けて飛んできた。直撃は免れない。跡形も残さず俺は死に、楽になれるだろう。そう思った。
「さあロディ、逃げようか」
耳元で聞き覚えのある声がそう言った。
ロディの手元から離れた土のエレメントが顔にぶつかり、反射的に俺はそれを掴んでいた。螺旋は僅かに軌道を外れ、俺の頭上数10cmの所を掠めて行った。僅かな間を置いて後方で爆発音が聞こえ、俺はただただ呆けていた。
「ロディ、聞いてる? この場はとりあえず逃げよう」
チェルが俺の顔の前を遮った。その向こう側では、グレンが明らかに激怒していた。
次の瞬間、城の床が崩れた。正確には、一瞬波打つようにして揺れ、その動きに耐えられなくなった床が割れたと言うべきだろう。隙間があいて、周囲の魔人も何人かが落ちていた。もちろん、俺も例外ではない。
地割れに飲み込まれ、落ちていく。再び俺は死を覚悟したが、あいにくこの厄介な妖精はそれを許してくれなかった。




