剣呑な交渉
チュートンの出してきた契約内容を簡潔にまとめると以下の通り。
・これは独占契約であり、今後ノード農場が出荷する作物は全て商人組合が取り扱う。
・契約金1億ゼニーの他に年間契約料として2000万ゼニーを商人組合が支払う。この契約は最低でも5年間解約する事が出来ず、契約不履行となった場合違約金が発生する。
・作物の売り上げの内、20%がノード農場の取り分となる。
・作物の値付けは商人組合が行う。
・1年ごとに作物の最低出荷数を定め、それを下回った場合次年の契約料から減額される。
・販売にかかる経費は全て商人組合が負担する。
契約書を読み終わった後、俺は吐き捨てるように告げる。
「話にならんな」
チュートンは笑顔のままだったが、口角は微動だにしていない。
「ちょ、ちょっとロディ様!」
タリアが焦った様子で俺の名を呼び、小声で言った。
「……1億ですよ1億。こんな話、もう2度とないと断言できます。今すぐ契約しましょう。1億貰いましょう」
いやらしい顔になるタリアを見つつ、こんなにがめつい奴だったか、と思う。だが分からなくもない。1億は確かに大金である。
「具体的にどこが不満なんだ?」
タリアに説明するついでにチュートンの質問に答えよう。
「まず、1番駄目なのは値付けだな。卸した野菜の値段をそっちで勝手に決められるという事は、極端な話1ゼニーに設定するという事も可能という事だろう?」
「はっはっは! そんな事する訳がねえ! 俺達は商人だぜ? 儲けが出ないとこっちが困る」
「販売する相手はそっちが決めるんだろ? そちらが悪用しようと思えば出来るルールを組み込んでおくのは商人として誠実さに欠けるんじゃないか?」
とはいえ、多額の契約金を払っておいて詐欺のような事をする可能性は低い。だがこれは交渉であり、上に立った方が有利になるのは戦闘と同じだ。
「……ならば言わせてもらうがな、そもそも魔人が王都で商売を始める事自体、反対する奴は多いんだぜ? 俺達商人組合が間に立てば、その抵抗は緩和される。販路も既存の物を使うし、個人との取引とは規模が違う」
「それには同意するが、俺は既に民衆の支持を得ている。1から商人組合に匹敵する程の販売網を築くのは確かに骨が折れる作業だが、時間ならいくらでもあるからな。のんびりやらせてもらってもいい」
もちろんこれはブラフだ。魔王様復活の為に少しでも急ぐ必要性はあるが、それを明らかにしては弱みになる。別にお前らと取引をしなくてもどうとでもなくなる、という態度を取っておく。
「……ポロドから話は聞いてますぜ? つい数ヶ月前までは無一文で、種を買うのすら難儀していたと。そんなに時間があるというなら、1年くらい出稼ぎしてそれを元手に始めたって良かったのに、多少強引な手段を使ってでも野菜を売り込みたかった理由は何ですかい?」
なるほど、既に俺の調査はそこそこ済ませている訳だ。これはタフな交渉になりそうだ。
「時間はあるが、早いに越した事はない。そういう意味では商人組合の手を借りる事もアリだろう。だがこの条件では駄目だと言っている」
「30%。専属農家にしては破格の条件ですぜ?」
流石に商人の長。理解も話も早い。あっさりとこちらの取り分を10%と上乗せしてくれた。
「馬鹿にしてるのか?」
もちろん俺は簡単には譲らない。
「タリア、帰るぞ」
そう言って席を立ち上がると、タリアは心底信じられないというような表情で俺を見て、オロオロと慌てていた。連れて来たのは判断ミスだったかもしれない。
「そんな古典的な揺さぶりはやめましょうや。こちらは腹を割って話すつもりですぜ」
チュートンはそう言いながら、机の端に置かれていた資料を広げた。
「この国で商売をする者は、全て商人組合に属してる。無許可で商売を始める奴は、衛兵にしょっぴかれて罰金を取られる。組合員は、盗品を売らないだとか客の個人情報を漏らさないだとか、色々規約を守って商売をしている」
「そんな事は知っている。それが何だ?」
「ロディさん。あんたにゃ悪いが、この独占契約を蹴るって言うならこっちにもそれなりの考えがあるんですぜ」
資料には地図もあった。赤い点で示されているのが契約している店の位置。王都内には満遍なく広がり、目の届かない所はないようだ。
「……脅迫か?」
「どう取るかはあんたの自由だ」
俺がソファーに座り直すと同時に、チュートンは立ち上がって俺の隣に素早く移動して座った。
「言っておきますが、俺はあんたと対立したい訳じゃない。昨日少しだけありつけましたが、あんたの作る野菜は絶品だし、ポロドから聞いた話によれば生産量も凄まじい量が期待出来る。俺は骨の髄まで商人なんでね、稼げる話を逃す訳にはいかねえんですよ。ここは素直に協力しときましょうや」 そして人懐っこい笑顔で俺に握手を求める。飴と鞭で緩急をつけてきた訳だ。
なるほど、そう来るなら俺は魔人流の鞭だけでいく。握手には応えず、出来る限り冷たく言い放つ。
「精神論じゃなく具体的な話をしよう。最低出荷数というのはどの程度を想定している?」
チュートンは残念そうに手を引っ込めて俺の質問に答える。
「平均的な農家の3倍。農地の広さはポロドから聞きやした。何やら特別な農法を使って栽培しているらしいですからね。数字が高すぎますか?」
「逆だ。低すぎる。300倍に設定しろ。上回れなければ契約金もゼロで良い」
これには流石のチュートンも驚きを隠せなかったらしい。交渉における鞭は相手に振るうだけではなく、自分を打つ事でも効果を発揮する。
「……そいつは願ったり叶ったりですが、可能なんですかねえ?」
土のエレメンタルなら可能だ。と、言いたい所だが流石に無理だ。栽培自体が可能でも、収穫の手間がおいつかないし、土の栄養問題もある。そもそも、そんなに多く作物を出荷しても、市場が吸収しきれない。
「その代わり、商人組合と契約している他の農家をお前が紹介しろ。俺がそこに赴いて畑を作ってやる。そこから獲れた野菜も出荷数に含めての300倍設定だ」
交渉の核心はここにある。
ノード農場だけでは、面積的にも限界があるし、田舎にあるから労働力の確保も難しい。それに他の農家と供給が被れば、大量に作るほど価格競争を引き起こし、結果的にクオリティの高い野菜も値崩れしてしまう。それを事前に防ぐ方法はいくつかある。
他の農家を皆殺しにするというのが従来の魔人流だが、それはあまり得が無いのでやめておこう。収穫量を絞るというのが穏便な方法だが、それは儲けを絞る事にも繋がる。ならば他農家を乗っ取るという手段が良い。良く言えばマネジメントという奴だ。
俺の提案に、チュートンはしばらく考えていた。
「……話に乗ってきそうな農家をいくつか知っていますがね。それなら……」
「20%で良い。取り分の話だろ?」
20%から始まり、30%に上がり、20%に戻す。無意味な事をやっているようだが、もちろん意味はある。
「ただし、ノード農場から直接出荷する野菜については、こちらが60%頂く」
つまり、既存の農家に俺が赴き、土のエレメントで畑を作る。そこから収穫した物に関しては俺が20%もらう。だが俺が直接育てた野菜については60%の取り分で出荷するという条件だ。もちろん、チュートンがこんな条件を飲むはずがない。
「最初の数字の3倍か。……あんた、俺を舐めてんのか?」
それで良い。存分にしばき合おうじゃないか。