魔人農家デビュー
街に出てすぐ、俺は人間達に囲まれる事になった。新聞による宣伝の威力は絶大らしく、昨日まではただ歩いてるだけでも嘲笑され、罵声の1つでも浴びせられていたのだが、今となってはフレンドリーに話かけられ、応援してくる者すらいる。いくら何でも激しすぎる変化だ。
適当に相手をしつつ理由を考えてみたのだが、やはりズーミアの言う所の「物語」が大きいのだろう。
つい半年前まで、人間達は勇者をリーダーにして魔王軍を圧倒してきた。だがあと少しで完全勝利という所で肝心の勇者を失い、グレンを筆頭とした新魔王軍の反撃が始まった。次々に領地を落とされるも、王はロクな対策もせず、それどころか暗殺によって王家の存続すら危ぶまれる始末。絶望的な雰囲気が国中に広がっていった。
そこにもたらされた久々の良い知らせが他ならぬ「俺」だった。元魔界四天王でありながら人間の味方をする変わった魔人。その証拠に、断絶しそうになっていた王家の血を守り、元同僚であるズーミアの処刑に一役買った。その上、農家と言うこの世界には欠かせない職業につき、しかも育てる野菜は絶品。信頼されて然るべきと言えるだろう。
もちろん、全員がという訳ではない。俺の周りに出来た人だかりを遠巻きに見つめる連中もそこそこの数がいる。奴らにとってみれば俺の見た目はこれ以上無いほど明確に「悪」であるし、かつては敵の親玉だった訳だから、魔王軍に家族を殺された人物からすれば仇という事になる。仮に俺が本当に人間の味方だったとしても、そう簡単に感情は切り替えられないだろう。
まあ、実際俺は人間の味方ではないし、彼らは等しくズーミアに騙されているのだが、この流れ自体は俺にとっても得なので、真実は口が裂けても言う事はない。
今回の件でクラリスに化けたズーミアは、この国の実権を握るに至った。後はナイラが自由に動けるようになって農場に戻って来れれば言う事なしだが、流石に新たな王としての仕事が大量にあるらしく、まだしばらくは時間がかかりそうだ。
やはり、ズーミアの作った物語は完璧だったと認めざるを得ない。最後の最後まで気を抜かなかった。
土壇場、パリシアがクラリスに疑いの目を向けてそれを周りに訴えた時、ズーミアは毅然とした態度で挑戦を受けた。何故なら、本物の水のエレメントは奴自身が持っていたからだ。水のエレメントは水の性質を変えるので、変身に使うマジックアイテムの石鹸をあらかじめ用意しておいた水に溶け込ませておける。そしてそれを部下にバケツで持ってこさせて、あれだけの人が見ている前でパリシアを自分に変身させた。一方で、自分は変身を二重にかけて正真正銘の人間である事を偽った。
単純なトリックだが、ズーミアが上手いのはパリシアから取り上げた水のエレメントの偽物を「人間側」であるホガークに持たせておいた事だ。そしてあらかじめ根回ししておいた彼自身に本物であるという事を証言させた。勘の良い奴なら水のエレメントを使った偽証の可能性に気づいただろうが、それが偽物である事と、ホガークすらも魔人側になっている事には流石に気付けない。よく練られた計画だった。
ホガークがズーミア側についたのは、血の繋がりが無いとはいえ娘であるナイラを半分人質に取られていた事と、原初のエレメントを勇者が奪った事が大きい。勇者は、人間が持っていれば安心であるという考えを彼の中から消してくれた。因縁という物は実に恐ろしい。
とはいえ、あまりにも上手くいきすぎるのは困り物だ。出来る限りの作り笑いを浮かべて次々と民衆と握手をこなしていると、俺は身動きが取れなくなってしまった。こんな状態で王都の下見など不可能に近い。
「このままこの人達の相手をしてたら日が暮れちゃいますし、一旦商人組合に避難してみましょうか」
当然、俺はタリアの提案に乗る。ポロドの紹介もあるし、王都で商売をするには協力者が必要になる。
商人組合本部。流石に本拠地だけあってゼンヨークにある支部とは大きさも建物の古さも比べ物にならなかった。入り口は武装した衛兵で守られ、造りは堅牢かつ威厳がある。5階建てというのは王都でも珍しい高さで、凝った作りの窓枠はいかにも金がありそうだった。
民達からの追求を避けてそこに入ると、そこにはきちんと受付がいた。どこかの魔術師協会とは違い、待っている人用のベンチもあるし、ちょっとした打ち合わせに使えそうなブースも用意されている。受付の後ろでは事務員達が忙しそうに働いており、奥では魔導機械を使って荷物を運び込んでいる様子も見えた。
「あの、すみません」
タリアが受付の女に声をかけると、女はタリアの後ろに立つ俺の姿にすぐ気づいた。
「あ、ロディ様ですよね? お待ちしておりました!」
女の言葉に反応したのか、色んな所ぞろぞろと商人達が出てきた。あっという間にまた囲まれる。どうやら外にも中にも落ち着ける場所は無いようだ。
「クラリス様からお話は来ております」
「委託業者をお探しですか? それとも仲買人?」
「今ちょうど広い倉庫が空いておりまして、すぐにお貸しできますよ」
「商品の現物は今どのくらい持っていますか?」
「マネージャーはご必要ではないですか?」
流石は商人達とあって、我先にとセールストークを始める。どうやらただの民衆より厄介そうだ。
「待て待てお前ら! ロディさんがお困りだろうが!」
低く野太い声が聞こえ、商人達が道を開ける。そこに現れたのは顎髭をたっぷり蓄えたスキンヘッドの男だった。背丈は俺と同じくらいで、人間にしてはでかく、筋肉質で半袖シャツの襟口がパンパンに詰まっている。おそらく40代くらいで、肌は浅黒い。
「ロディさん! 会いたかったですぜ!」
男は暑苦しい笑顔を浮かべて手を差し出してきた。俺は少しためらいつつも握り返し、かろうじて薄ら笑いを浮かべる。手に力を込められたので、俺も力を込め直し、ぶんぶんと縦に振った。
「俺の名前はチュートン。ここの組合長をやらせてもらっている」
驚く。こんな筋肉男が商人組合のトップだと?
「……冒険者ギルドと間違えたかな」
「はっはっは! なかなか言うじゃねえですか! まあ確かに腕っ節の方も自信はありますがね、金勘定の方が得意ですぜ?」
機嫌良さそうに笑うチュートン。この裏表のない感じが逆に商人達を束ねるのに必要なのかもしれないな、などと勝手に思う。
「こんな所で立ち話もなんだし、上がってくれ。茶くらいは出しますぜ」
誘われるがまま、俺は商人組合内の応接室に入った。
革張りの椅子に滑らかに加工された机。調度品は全て高級で、歓迎を受けている事は分かった。ようやく落ち着けそうだ。
「いやいや、祝祭の翌日だってのに早速来てくれたのは嬉しいですぜ。こちらから行こうかと思ってたくらいでね。ところで、こちらの方は秘書ですかい?」
「そうだ」と俺が肯定すると、タリアがお辞儀した。
「美しい方だなあ。素朴さの中にも可憐さがあって、何より賢そうだ。俺は見た目がこんなだから、なかなか商人にすら見られなくて困ってるんです。はっはっは! さて、何から話しやしょうかね?」
こいつがどんな奴かはもう少し詳しく知りたい所だが、今は商売を優先しよう。
「王都で俺の農場で獲れた野菜を売りたいと思っている。商人組合の力を借りたいのだが、まずは何をすればいい?」
昨日から始まりここに来るまで、貴族達や個人商店の主に野菜を売ってくれという依頼はいくらでも貰ったが、具体的な値段や輸送方法についてはまだ何も決まっていない。売るなら出来る限り高く売りたいし、それに税金の事もある。せっかく仲間だと思われているのだから、敵対する行動は避けるべきだ。
「契約金として1億ゼニー用意しやした。それを受け取ってもらうのが、最初にして欲しい事ですぜ」
俺はタリアを見る。零れ落ちそうになるくらいに目を剥いている。その表情からすると、どうやら俺の聞き間違いではなかったらしい。




