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山積みの仕事

 クラリスが多忙になるもう1つの理由。それは、元魔界四天王グレンによる人間界侵攻だ。


 王家直属の近衛兵隊長であるクラリスは、軍を指揮する権限もなく、作戦の立案にも参加していない。ただ、その部下であり王都を守っている兵士達はそういう訳にもいかず、結局は訓練を行い、兵糧を確保し、人事に関わる。


 軍隊は徹底した縦社会であるだけに、横の繋がりを重要視する。クラリスの階級は軍の中では将軍と同等であり、それ以下の有能な指揮官達の運命を左右する立場にある。よって、会議に呼ばれる事もあれば相談を受ける事もある。


 現状、グレンの率いる新魔王軍の勢いは留まる事を知らず、つい先日も王都から僅か100km程の距離にある街が1つ、グレンの手によって落とされた。領主達は皆殺しにされ、そこにいる住民達は魔人達に仕える奴隷になるか、逆らって死ぬかという選択肢を迫られている。まさしく最悪な状況であり、勇者のいない今、国として決して無視は出来ない。


 新魔王軍の侵攻は、王都を占領するまでは終わらないとグレンが宣言している。王位継承どころか、国家その物がなくなる危機に立っている今、クラリス以外の将軍は王子の連続殺人など瑣末事だと見ている。よって、他の部署から捜査協力を得る事などほぼ不可能に近い。


 こんなに酷い状態であるにも関わらず、1ヶ月後に迫った祝祭は予定通りに行うというのが王の決定だ。各地から貴族を集め、一夜丸々食べて呑んで踊って大騒ぎする。国民達も王都の各所で祭りを開く。という事はつまり治安維持の為兵士は普段の倍働かなければならず、王宮においてもそれは同じという事になる。


 王としての権威を保つ為、祝祭の中止は出来ない。王子達が死に、魔王軍の脅威がある今こそ、余裕のある所を見せつけなければ、国民達の心は一気に離れる。人間は群れとして強さを発揮する生き物であり、仲間割れは共倒れを意味する。王の判断は道理ではあったが、それを通すには無理が必要だった。


 更に、今のクラリスはもう1つ大きな仕事を秘密裏に行なっている。正確には、犯人の捜査、軍の編成、祝祭の準備という3つと並行して進めている任務なのだが、本人にとっては最も重要な意味を持っている。クラリスが心の底から尊敬している「ある人物」の為に、「ある目的」を果たさなければならないのだ。


 そんな訳で、非常に多忙な日々を送るクラリスだったが、ある会議に出席した時、その耳に奇妙な噂が舞い込む事になった。


「魔界四天王が使っているのは勇者の力だ」


 会議で発言をした人物、王都に住まう魔術師ホガーク。魔術師としての目立った功績がない70過ぎの老人で、本来なら一流の魔術師達が集う会議には似つかわしくない人物だった。


「勇者の力、とは?」

「『原初のエレメント』と呼ばれる4つの魔石の事だ。火、水、風、土をそれぞれ司り、勇者はこの力を用いて以前の魔王軍と戦っていた」

 その場に居合わせた魔術師、指揮官、貴族の全員が互いに顔を見合わせていた。その中には生前の勇者と深く関わってきた者もいたが、全員が初耳だった。


「勇者が『原初のエレメント』をどこで知ったのか分からんが、それを使わなければ魔王を倒す事は出来なかった。そして勇者は魔王と相打ちになって、魔界四天王達が『原初のエレメント』を受け継いだという訳だ」

 どう反応して良いのか迷う者達に向けてホガークは淡々と続ける。


「グレンが使っているのは火のエレメント。そしておそらくだが、王宮内で行われている暗殺に使われているのは水のエレメントによる物だ」

 断言するホガークに、何人かの魔術師が声をあげた。


「た、確かにグレンが炎を自在に操っていたという報告が前線から届いています。魔人による新魔術だと推測されていましたが」

「確かに勇者様は時々、普通の魔術では実現不可能な事をしました。しかしそれが勇者たる所以であると……」

「そんな事より待て。水のエレメントによる暗殺だと? 一体どういう事だ?」


 ホガークが最後の質問に答える。

「王子達は身体の内部から裂けて殺された。知っての通り、人間の身体というのはほとんどが水分で出来ている。どれだけ食事に気を使っても、水分を全く取らないのは不可能だ。そして水を操る事が出来る水のエレメントなら……もう言わなくても分かるだろう?」


「だが、王子達の死体から魔術の痕跡は見つからなかった」

「原初のエレメントの力は魔術ではない。あくまでもエレメントが司る要素を自在に操るだけだ」


 段々とざわめきが大きくなっていく会議場で、1人の男が立ち上がった。

「馬鹿馬鹿しい! 誰がそんなくだらない話を信じるというのだ。大体ご老人、100歩譲ってその『原初のエレメント』とやらがあったとして、何故あなたがそれを知っている? ここにいる者達は皆、一流の魔術師や戦略家だぞ。そのように重要なマジックアイテムの噂、耳にした事もないというのは不自然じゃないか」


 そうだそうだ、という声が一斉にあがった。反対意見を述べた男は宮廷魔術師の1人であり、当然その部下達もこの会議には出席している。


「『原初のエレメント』は私の一族が代々その存在を秘匿してきた。だから君達が知らないのは、私や私の先祖がきちんと使命を果たしてきたという何よりの証拠だ」

「ペテンだ!」

 その声を皮切りに、白熱する会議場。怒号や皮肉が飛び交い、まともで建設的な意見は声が小さくて無視される。意見の正しさではなく地位と声の大きさによって流れは変わり、誰もが自分は正しいと信じる。一種のパニック状態と化している。


 地位も名声も実績も無いホガークがここに呼ばれた理由。それは、ナイラの育ての親だったからだ。ホガークには『原初のエレメント』の情報を公にする必要があった。既に役目を終えていても、知らせる事がフェアだと判断しのだ。


 だが、ホガークは諦めたように首を横に振って、会議場を退出する。

 人は理解出来ない物を恐れる。一方で恐怖は人の性質をよく知っているらしく、最悪な形で顕現する物なのだ。


「お待ちください、ホガーク様」

 廊下で彼を呼び止めたのは、他ならぬ近衛兵隊長クラリスだった。

「『原初のエレメント』についてあなたが知っている事を出来る限り教えて下さい。例えば、水を操るという水のエレメントならば疫病を治す薬などが作れますか?」


 ホガークはしばらく黙っていた。クラリスの人となりを見極めようと、よく観察しているようでもある。やがて重い口を開く。

「可能だろう。その疫病の元となる物は必ず体内にある訳だからな、それを操った水に攻撃させれば良い」

「小麦の収穫高を上げる事などは?」

「……可能だな。水のエレメントを支配した者は、水の性質自体をある程度変えられるようになる」


 それを聞いたクラリスはにこりと笑った。

「ありがとうございます。まだ確たる証拠には足りませんが、いつかそれを王の前で証言して頂く事になると思います。構いませんか?」

「……ああ、いいだろう」


「ところで、ナイラ様も『原初のエレメント』の事について知っているのですか?」

 予想外の質問に、ホガークは僅かに躊躇いを見せたが、答える。

「ああ。もし勇者が私からエレメントを奪わなければ、この役割は我が娘ナイラに継がせるつもりだった」

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