近衛兵隊長クラリス
近衛兵隊長クラリスは、下位貴族の出身でありながら、剣の腕を買われて16歳の時に護衛騎士として王宮に取り上げられた。護衛と言っても、ほとんど王宮から出ない王妃や側室の周辺を巡回するだけであり、実務的な部分は男達がやるのでお飾りのような立ち位置にいたが、鍛錬だけは常に欠かさなかった。
そしてクラリスが19歳の時、クーデターが起きた。突如人間界への侵攻を始めた魔王軍に対して、無為無策の王を糾弾し、軍事政権を樹立する為に軍部の一部が暴走したのだ。人数は少数だったが、中心となる人物が王宮にいた事もあり、王族の半分は殺された。だが、もう半分が生き残れたのがクラリスの手柄だった。
クラリスはほとんど1人で兵団長クラスの人間を立て続けに倒し、王、王妃、そして王子達を守り抜いた。その功績が認められ、近衛兵隊長となった後も精進し続け、以降10年間その座を守り抜いてきた。
しかし11年目に異変は起きる。第1王子の変死、間を置かずして第2、第3王子が死亡し、いよいよ最後に残った第4王子さえもクラリスは守りきれなかった。
「……」
王の御前、片膝をついて頭を下げるクラリスは自ら一言も発せず、微動だにしない。堂々としていつつも、その所作からは静かな怒りが湧き上がっているのが垣間見えた。
玉座に座り肘をついて髭を撫でていた国王ゴドリックが、クラリスの様子を見かねて口を開いた。
「クラリス、お前には命の恩義がある。10年前のあの日、お前がいなければ我らは皆殺しにされていた」
正当な王位継承者を全て失い、心神喪失気味ではあるが、王としてのプライドが彼を支えている。
「お前の腕は勇者にも認められていた。仲間にならないかと勧誘されても、お前はそれを断った。実力も王家への忠誠もこれ以上なく、信頼に足る人間だと言い切れる」
王は深呼吸してから、一段低い声になってクラリスに問う。
「……だがこの体たらくは何だ?」
王がよろよろと立ち上がると、側近が杖を差し出した。それを受け取り、玉座から降りてクラリスの前に立つ。
「脱げ」
玉座の間には当然他の役人達もいる。クラリスの直属の部下もいる。クラリスに全幅の信頼を寄せる王妃もいる。それは下位とはいえ貴族の出身であるクラリスに対する最大の侮辱だった。
だがクラリスは、反論など1つもせずに、鎧を外し、中の鎖帷子、下着も脱いで上半身を露わにした。控えめだが形の良い[ピーー]が明らかになったが、それを嘲る者は1人もいなかった。
王は振り上げた杖をクラリスの背中に一気に下ろす。木と肌のぶつかる音が響いたが、クラリスは目を瞑って無言を貫く。
その後、何度も何度も王はクラリスを杖で叩き続けた。手はすりむけ、悪魔のような形相で、細い腕にはありったけの力を込めていたが、その目からは涙が溢れていた。
クラリスの背中が真っ赤になった頃、ようやく王は息切れしてその場に座り込んだ。
「ナイラを……ナイラを頼む」
それが都合の良い頼みである事は他ならぬ王自身が理解していた。だがそれは同時に、今いる正当な王位継承者がナイラのみとなっており、信頼出来るのがクラリスのみであるという事も示していた。
かつて殺そうとした我が子を頼るなど、王にあるまじき振る舞いではあったが、それほどまでに権力への執着というのは逃れられぬ物だった。
「畏まりました」
王の責めに対しても悲鳴をもらさず、ひたすら沈黙を貫いていたクラリスが初めて口を開いた。
「必ずや、ナイラ様は私がお守り致します」
玉座の間を後にしたクラリスは傷の治療すらせずに城内にある衛兵詰所に急ぎ足で向かう。
今のクラリスにはすべき仕事が山のようにある。
まずは、王子達を殺害した暗殺者の捜査。未だにその暗殺手段、犯行時刻、実行犯のどれも特定出来ていない。国内の魔術専門家を呼び寄せて有識者会議を行なっているが、未だに成果は得れていない。
王子達の死体に外傷はなく、全員が内臓、および血管をずたずたに裂かれて死んでいた。胃の内容物を確認したが毒物は見つからず、食後の経過時間も30分から6時間とバラバラ。更には料理人や使用人も長年王家に仕えている者ばかりで、容疑者は全く絞れない。
傷でも毒でもないとなると魔術しかない訳だが、第1王子の際は死後の魔術的解剖が許され無かった。第2王子以降は渋々了承されたが、その後の2人と同様に魔術を使用された痕跡はなく、魔力の滞留濃度も全くの正常。
また、第3王子に至っては警戒して丸2日間誰とも会っていない状態から密室状態で死亡した為、誰かと接触するチャンス自体が無かった。部屋の周囲で警護していた10数名の兵士達も異常は無かったと報告している。した事と言えば毒味を済ませた食事を扉の隙間から差し入れられただけ。それで翌朝には死亡していた。
そこでいよいよ第4王子には、城内から出てもらう事になった。その居場所は王族や近衛兵隊、一部の貴族など、信頼出来る極一部の人間にしか知らされていなかった。居場所さえ分からなければ暗殺者も手を出す事が出来ない。事件の解決はまだだが、ひとまず命の安全は保証出来る。
その1週間後、王都内の高級宿屋の3階で第4王子の死体が見つかった。死体は第1王子から第3王子までと全く同じだった。
クラリスが城内を1人で早歩きする。以前ならお供をつけていたが、今は人手不足かつ信頼出来る者も限られる為、仕事は1人でこなしている。
その時、廊下の向こうからラグナスとパリシアの2人がこちらに向かって歩いてきた。
クラリスは頭を下げつつ、決して視線を2人からは切らずに観察する。王子の連続殺人が始まったのは、この2人が城内に滞在するようになってからだ。
「あら、近衛兵隊長のクラリス様じゃありませんか」
クラリスの前で足を止めたパリシアが、わざとらしくそう言った。
「大変そうですわね。どんどん王子様達が死んでしまって……」
「……はい」
「でもこれからどうするのかしらね。ナイラ姫は今どこに?」
「……」
当然、沈黙を守るクラリスに、パリシアは大声で笑う。
「冗談よ。最重要機密ですものね。田舎貴族ごときには教えて頂けないわよね」
「……いえ、決してそういう意味では……」
「遠慮しなくて良いのよ。上位になった下位貴族に周りの風当たりが強いのは当然知ってるわ」
「おい、そろそろ行くぞ。王がお待ちだ」
2人きりの時とは打って変わって、あくまで硬派な夫を演じるラグナスに、パリシアが返事をする。
「……ええ、分かっているわ。行きましょう」
今回、ナイラの隠し場所は王にすら話していない。知っている人間をより絞る事でしか護衛が成立しないというのはかなり危うい状態と言える。だからこそ、早く犯人を探し出す必要がある。
だが、こなさなければならない仕事はまだまだある。
時間に追われるクラリスは、いよいよなりふり構わずに廊下を走り出した。




