土について考える
土とは。
このシンプルな疑問に対峙する時が今更ながら来たようだ。
何気なく人も魔人もそこに立ち、営みも戦いもその上で行われる。
あまりにも当たり前の存在過ぎて誰も気にしない。炎のような派手さや水のような柔軟さがなく、土をコントロール出来る事はあまり自慢にならない。
だがここまで、俺は土のエレメントを通して農業に触れて、その価値に気づかされてきたつもりだった。土は作物全ての源であり、これを支配する事は植物、人間、魔物、魔人、全ての生物を支配する事に繋がる。
だがそもそも土とは一体何だ?
考えれば考えるほど深みに嵌る。場所によって多様な性質を持つのに、いざそれを変えようとすると融通が効かず、運ぶのには重過ぎる。「土を作れ」と言われても「土を変えろ」と言われても普通は無理だ。土のエレメントがあれば自由自在かと思えば、水分がないだの栄養がないだのと我儘放題。一体これは何なのだろうか。
俺は机で腕を組み、目を瞑ってこれまでの事を思い出しつつ想像を膨らませる。
土、土、土……。
朝、気づくと俺は目覚めを迎えていた。昨日は夜遅くまで土について考えていて、気づいたら寝ていたらしい。だが机に突っ伏していない所を見ると、誰かが俺をベッドまで運んでくれたようだ。
しかしいつまでも村長の家に居候するのも面倒だし、そろそろ野菜の売り上げを使って俺用の家を建てても良いかもしれない。魔人の身体に対して人間用のベッドはかなり狭くて窮屈で、足を伸ばせない。
それにしたって、今日は以前より狭く感じる。妙だな、と思って隣を向くと、褐色の肌がそこにあった。
「……ん?」
俺のベッドで、隣にジスカが寝ている。ああ、俺をベッドまで運んだのはどうやらこいつだったようだ。まあ1人では無理だろうから、村長の手を借りたのだろう。そこまではいい。だが、なぜそこで寝ている。確かタリアのベッドを借りて寝ると言っていたような気がしたが、何の手違いだろう。
寝ぼけつつも困惑していると、部屋の扉が開いた。
「ロディ様、失礼します」
入ってきたのは1ヶ月ぶりに見るタリアだった。どうやら俺より1日遅れでノード村に戻ってきたらしい。
俺はベッドの上で寝ぼけ眼のままタリアを出迎えた。
「……ロディ様?」
島国での慣習もあり、ジスカは下着姿で寝ていた。そして気を使ったのか、ジスカは俺の肌着も脱がせておいてくれたようだ。つまり、1つのベッドで、魔人の男と人間の女が、肌を密着させながら寝ている状態となっている。
なるほど、これは客観的に見て非常にまずい状況だな。
「……お2人はそういう関係だったのですね。気づきませんでした。大変失礼致しました」
タリアは棒読みしながら扉を閉めようとする。そういえばそうだ。慣れ過ぎて忘れていたが、ジスカはナイラに似ている。
まとめると、タリアから見ればナイラと俺が「そういう関係」になっているという現場を、ゼンヨークから帰って早々見せつけられたという形か。
「待て、タリア。これは違う」
「気を使って頂かなくて結構です。私の誘いを断ったのは、単純に私に魅力が無かったからではないか、と心のどこかで思っていましたが、それが確信出来てむしろ清々しい思いです。今までありがとうございました」
俺も慌ててはいるがタリアは完全に冷静さを失っている。
「第1に、これはナイラではない」
「結婚すれば名前が変わりますものね」
「第2に、お前が想像しているような事は何もない」
「処女の私では想像もつかないような事をされたのでしょう」
「第3に、お前は魅力的だ」
「そ……」
3本目の矢が命中し、タリアは返答に失敗したようだ。二の句を継げずにただ立ち尽くしていた。気を取り直して冷静さを取り繕う。
「……とにかく、事情を詳しく聞かせてください。着替えてから居間へどうぞ」
そう言うと、タリアは勢いよく扉を閉めて俺の部屋から出て行った。その音で、問題の原因であるジスカが起きた。
「ロディ?」
何気なく俺の胸板に触っていたジスカの手を掴み、そっと置く。
「……色々と言いたい事はあるが、まずその格好を何とかしてくれ」
「脱ぐ?」
「着ろ」
俺とジスカの2人が居間に入ると、タリアは既に食事の用意をしていた。村長は畑を見に行っているようで不在。仲裁役がいないのはやや不安だが、ここは堂々と事情を説明しよう。
「タリア、彼女はジスカ。島で会った魔術師だ。よく似ているがナイラではない」
そう言うと、タリアはまじまじとジスカを観察していた。
「……それよりまず、何故私に黙って島に行ったんですか? 祖父からの手紙で知ったんですが」
そういえば出発前に説明するのを忘れていたのを思い出す。いや正確には、反対されると面倒なのであえて黙っていたのだが、こうなったからには正直に謝ろう。
「すまんな。説明するのが面倒だった」
「……」
タリアがじっと俺を見る。謝罪の仕方を間違えたか。だが俺は引き下がらない。
「俺は魔人だ。人間の指図も受けなければ許しを乞う事もしない。俺はこの村にとって最善だと思ったからこそ島に行ったのだ」
「……そうですか」
素っ気ない答えは、納得ではなく不満の現れだ。
……まあいい。俺は隣を向く。
「ジスカ、彼女はタリア。この村の村長の孫で、俺の秘書でもある」
「秘書? 恋人と違う?」
「違う」
「なら何故怒る? 私とロディ、何しても自由」
悪意なく問題を混ぜっ返すジスカに、俺は思わず頭を抱える。
「ジスカさん、その通りですね。私とロディ様は何でも無いただのビジネスパートナーですから、ご自由にしていただいて結構ですよ。ただ、この家は私の祖父の家ですから、出来れば他で好きなだけやって下さい」
「分かった。外でやる」
やらない。いやまずやってない。だがそれを口に出すと堂々巡りになりそうなので、俺は意図して話題の転換を図る。
「ナイラはどうした?」
「まだゼンヨークにいるはずです。私が先に戻ってきました」
「そうか。それで魔術の方はどうだ?」
「習得しました」
「ほう。よくやったな」
半分くらいしか期待していなかったが、これで農業用の魔導機械を導入すればその操り手として期待が出来る。まあ今はジスカもいるが、人数が多いに越した事はない。
「それで、ナイラはいつ村に来る?」
「予定では3日後ですね。ロディ様が依頼されていた物は完成しましたが、調整と輸送の手続きを行っていますので、多少前後するかもしれませんが」
「分かった。ありがとう」
「いいえ、私はただの秘書として当然の仕事をしているだけです」
棘のある言い方だ。これは俺が思っているよりも根深い問題になるかもしれない。これからの事もあるし、少しくらいは機嫌を取っておくか。
「ああそうだ、タリア。是非食べて欲しい野菜がある。じゃがいもと言ってな、島原産の物なんだが、栽培が楽で腹持ちも良い。上手くすればこの農場の主力になるかもしれんぞ」
「はぁ、そうですか」
気のない返事。段々腹が立ってきた。
そうだ、せっかくだし今俺が直面している難問をタリアにぶつけてみよう。
「タリア、お前を優秀な秘書と見込んで今から1つの質問をする」
「……何ですか?」
「『土』とは一体何だ?」
タリアは少し考えた後、答えた。
「土は土です」
ふざけている素振りはない。
いやむしろ、俺の質問がふざけてるのだ。何故なら、俺自身もタリアの答えには同意せざるを得ないからだ。
土とは。
この問いかけに対する答えは、これからの農場の発展を左右する重要な物である気がするのだ。