帰宅
行きと同様、帰りも快適な船の旅だった。シルファと風のエレメントに感謝する気持ちはあるが、この出張全体を思い返すと、出発時に思っていたよりも時間を取られてしまった。ノード農場の方は、『服従の首輪』に繋がれた奴隷も1人いるし大丈夫だと思うが、タリアの方はどうしているだろうか。魔術の修行というのは向いてない者にはとことん向いていないし、もう諦めて戻ってきている可能性すらある。こればっかりは本人の気持ちとは関係がない。
ただ、もしタリアが駄目でも、俺はこの出張で新戦力を得る事が出来た。
「島に住んでたのに船は初めてなのか?」
「船、初めて違う。大きい船で本土行く。初めて」
俺はジスカの同行を許可した。母は既に死に、村には多少の愛着はあるが未練はないようだったし、何よりこいつは言葉こそおぼつかないが魔術が使えて、島原産の野菜に詳しい。そしてナイラとの血縁関係が証明されれば、魔術師組合との交渉にも使えるかもしれない。
つまり、利用価値は「大」という事だ。
「何を見ているんだ?」
船の甲板から顔を出し、下を覗き込むジスカにそう尋ねると、帰ってきたのは沈黙だった。
「……おい、大丈夫か?」
「……う」
「う?」
「うおえぇぇ……」
キラキラと光る波しぶきに混じって、ジスカのゲロが船の後方へと流れて行った。
来た時と同じく約半日でゼンヨーク港につき、俺は少しだけ買い物をしてすぐにノード農場に向けて出発した。シルファからの招待状は一応まだあるが、褐色女と魔人の組み合わせは本土の街ではいかにも目立つし、これ以上トラブルに巻き込まれるのはごめんだ。魔術師協会に寄っていこうかとも思ったがそれもやめた。会えるかどうか分からないし、ナイラ側もいきなり瓜二つの姉を連れてこられたら動転するだろう。困らせるのは本意ではない。感動の再会は出来る限り人のいない所ですべきだと判断した。どっちみちノード農場にはいずれ来る。という俺の説明にジスカも納得してくれたようだった。
かくして、俺は1ヶ月ぶりにノード農場へと戻ってきた。
くやしい事に、こんなド田舎の畑しかないショボい村でも、滞在が長くなると妙な愛着が湧いて来る物だ。俺が帰って来た時、迎えてくれた村長の笑顔を見て、不覚にもほっとしている俺がいた。
サガラウア島へ出張に出ている間も、決して不安が無かった訳ではない。奴隷のサルムがいるとはいえ、グレンの部下達が通りかかったら流石にひとたまりも無いし、畑の状態も気になっていた。
村長が頭を下げる。
「おかえりなさいませ。ロディ様」
「……ああ」
俺は村の中をざっと見回したが、特に異変は起きていないようだ。
「……ナイラ様、少し雰囲気が変わったような……」
村長がジスカを見てそう呟いた。やはり俺でなくても間違えるのだ。
「私、ジスカ。ナイラと、違う」
村長は訝しげに俺を見た。騙していると疑っているようだ。
「サガラウア島の村にいたのだ。ナイラとは別人だ」
「別人……ですか」
村長はじろじろとジスカを見ている。信じられないのも無理はない。だがこれ以上弁明のしようがないので、俺は話を変える。
「サルムの様子は?」
「ええ、とてもよく働いてくれていますよ。時々首が絞まって苦しそうにしてますが」
「どこの畑にいる?」
見当たらないので尋ねると、村長が案内してくれた。
家屋を挟んで反対側、何も無かった場所に立派な畑が出来ていた。そこで一所懸命に鍬を振るう魔人が1人、額に汗を垂らしている。
「サルム」
そう声をかけると、サルムはきょろきょろと視線を泳がせ、俺を見つけた。フラつきながらこちらに来て、消え入りそうな声で言う。
「た、助けてくれ。何でもする。もう農作業だけは嫌だ……」
俺は腕組みしながら、畑を見渡す。元あった1番広い畑よりも広いし、これだけ硬い地面を良くここまで丁寧に耕した物だ。まだ一部分、耕しきれてない場所があるが、サルムは見た所既に限界だった。
「立派な畑じゃないか。お前1人で作ったのか?」
「そ、そうだ。……そうです。俺が1人で……耕しました。だから、どうかもう俺を解放してください」
俺は地面に手をついて土のステータスを開く。通気性が改善されており、新たな畑として十分に使えそうだ。『地形変化』を使って一部分だけ出来ていない所を一瞬で耕作すると、サルムは呆然とそれを見ていた。
自分が1ヶ月かけて必死にしていた事を、ほんの一瞬、指先だけでこなされ、言葉を失ってしまったサルムに俺はあえて尋ねる。
「手伝ってやったぞ。礼は?」
「か……かはっ……」
そのままサルムは仰向けにぶっ倒れた。最近の魔人は軟弱になった物だ。
まあ、これ以上意地悪してやるのもかわいそうだ。そろそろ休ませてやろう。
「いいだろう。楽にしてやる」
俺がそう言うと、サルムは天を向きながらきょとんとした顔になった。
「たっぷり眠って休めばいい」
するとサルムの顔が段々と青ざめていく。
「い、いい。休みたくない。次は何をしたらいい? ……仕事をくれ。頼む」
……あれ? なんか言い方を間違えたか。完全に別の意味の「楽にしてやる」と捉えられたようだ。真面目に頑張っていたようなので、休みをくれてやろうと本気で思っていたのだが。訂正するのも面倒だ。適当に肥やしでも作っていてもらおう。
肥料で思い出したが、例の魔物の家畜化計画も進めねばなるまい。
家畜と言っても、多分村人は魔物を食べるのを嫌がるだろうし、商品としても出荷出来ない。となると、基本は糞や骨を使った肥料目的となる。何の魔物が家畜に適しているかちょっと考えてみよう。
遺跡ダンジョンにいたミノタウルスなんかは身体もデカい分よく食べるし、糞もその分出す。ある程度育ったら屠殺して骨、肉、ツノに至るまで無駄なく活用出来そうだが、いかんせんそのデカさが問題だ。気性の荒さは『操魔の指輪』でどうとでもなるが、きちんと育てるにはある程度のスペースが必要になる。
あるいは鶏に近い魔物であるコカトリスなんかもその卵に利用価値がある。卵の殻は貝殻と似た性質を持っているし、そのまま肥料に使えなくもない。卵なら、村人達も説得すれば食べてくれそうだし、ポロドとの交渉次第ではあるが、商品としてギリギリ出荷出来るかもしれない。
ただ、上の2つは魔物の中でも割と珍しい部類であり、魔界にいた種はほとんど勇者が狩り尽くした。今から探すとなると新たなダンジョンを見つけなければならず、それはなかなか骨の折れる作業になる。つまりはまた出張する羽目になる。
最後に残った選択肢としては、豚に近いオークを育てるという手があるが、見た目が完全に亜人なので食べるのは忌避されるだろう。魔物の数自体はまだ残っているが、ただほとんどがグレンの新魔王軍に編成されており、オークを入手するにはグレンと敵対する事になる。サルムはあちらから仕掛けてきたので正当防衛が成り立つが、グレンの部下を盗もうとすれば必ず波が立つ。
……いやビビってる訳ではない。ビビってはないが、少なくとも今このタイミングでグレンを敵に回すのは得策と思えない。個人的に腹は立っているが、現状四天王の中で1番畏敬を集めているのは奴だし、その邪魔をするのは魔王様復活という目的から遠のく事になる。
さて、家畜化するのにちょうど良い魔物はいないものか、と熟考していると、珍しくチェルがあちらから話しかけてきた。
「何を迷っているの?」
倫理観の著しく欠如したこの妖精相手に相談が成立するとは思えないが、一応、言ってみよう。
「安定して肥料を得る為に家畜が必要なのだ」
「でも君には土のエレメントがあるじゃないか」
何を言ってるんだ、と思いつつ反論する。
「俺の魔力だけで野菜を育てるには限界がある」
「それはそうだね。でも、君には土のエレメントがある」
こいつ、頭がおかしくなったのか?
「……どういう意味だ?」
「そもそも君は土が何なのかを分かっていないようだね」




