海の向こう
サガラウア島に来てから1ヶ月が経った。シルファから受けた依頼はいよいよ大詰めを迎えており、俺の目の前には畑に改造したダンジョンが広がっていた。
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魔土
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・栄養度S
・通気性B
・水持ちB
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能力付与
土加速(3倍)
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大麻を育てるのに適した土を作り、『地形変化』で灌漑も済ませ、あと必要なのは光だけという状況まで整えた。
そして今日は、この農場のオーナーであるシルファが視察に来る日だ。俺にとっては約1ヶ月ぶりの再会となる。連絡自体は通信宝珠で出来るが、事業の一切はビンスが任されていたようなので、そちらの指示を仰いだ方が早くいし、土に関しては既に俺やジスカの方が詳しく、割と自由にやらせてもらった。
結果、我ながら素晴らしい畑が出来上がったという自負がある。ノード農場に戻った時この経験は必ず生きてくるだろう。後は当初の目的通りに『操魔の指輪』を手に入れるだけだ。
行列を引き連れてシルファがカガリ村にやってきた。ビンスや他の兵士は跪いて出迎えていたが、俺は腕を組んで仁王立ちのまま、奴が象から降りてくるのを待った、
「やあロディ。調子はどう?」
シルファは相変わらず色鮮やか布を羽織った豪華な出で立ちで、4人の従者が扇でシルファを仰いでいた。俺の所には蝿が1匹たかっていた。
「普通だな」
「ふーん。ビンスからの報告だと、楽しそうに土いじりしてるって聞いたけど」
俺はビンスを睨んだが、シルファに対して頭を下げているので表情は分からない。
「どうでも良い事だ。さっさと現場を確認してくれ」
従者達が怪訝な顔をしている。俺のシルファに対する態度が気に入らないのだろうが、あくまで対等な立場である事を俺は目で主張した。
「いいね。早速行こう」
魔王様秘蔵のマジックアイテム、『太陽球』をシルファは忘れずに持ってきていた。その名の通り太陽のように光る球で、これがあれば地下でも農場が運用出来る。1つ天井に設置すれば、そこはずっと夏の朝のような日照りになる、植えた大麻はすくすくと育つだろう。
「クオリティを確認したいんだけど、今すぐ育てられない?」
シルファにそう言われ、俺は頷いて畑の一部分に『成長促進Lv1』を付与した。環境が整っている事もあり、魔力の消費量は比較的少なめ。植えておいたアサがにょきにょきと伸びて、大きくて燦爛たる緑の葉をつけた。
「ビンス、試して」
「は、はい!」
魔人に大麻は効かない。多幸感も依存性も無い、ただの葉っぱだ。指名されたビンスは前に出てきて、大麻をいくつか収穫すると、俺とシルファの見守る前でキメ始めた。
「……す、素晴らしいです」
ビンスの頬がだらしなく緩む。何となく『寄生血虫』に乗っ取られた兵士の表情を思い出したが、自我までは失っていないようだ。ビンスの様子を観察するシルファが、手を1度大きく叩いた。
「よし、良いだろう。ロディ、ご苦労様。これは君の物だ」
取り出したのは『操魔の指輪』。俺はそれを受け取り、自分の人差し指に嵌める。
文様の掘られた銀色の指輪。指輪型のマジックアイテムにしては珍しく、魔石は外側ではなく輪の内側に入っている為、一見すると地味に見える。だが、装着しただけで確実に俺のではない力が目覚めているのが分かった。試したくなったが、あいにくと手頃な魔物がいない。ダンジョンにいたのは殲滅してしまったし、周りは人間だらけでこの指輪は魔人には効果が無い。
「ああ、魔物の1匹でも連れてくればよかったね」
シルファがそう言ったので、俺は首を横に振る。
「……いや、お前を信頼する。お前は戦略家だが嘘つきではない」
「あっはっは。ロディに褒められるとは思ってなかったな」
ダンジョン攻略の一連の流れは、シルファが俺を試す過程でもあった。俺が約束を守れる男か、魔人としての実力があるかどうか、そして、人間に敵対しているかどうか。
言うまでもなく、この大麻農場は総合的に見れば人間にとって害でしかない。一部の病人や売人にとっては恵みとなるが、その他多勢の一般人は大麻によって堕落し、身を滅ぼすだろう。俺は間違いなくそれに加担した。
だが、いくら手を汚してでも魔王様を復活させる。その点において俺は必死だ。使える物は何だろうと使ってみせる。だからこそこの『操魔の指輪』も手に入れる事が出来た。
だが最後に、乗りかかった船だ。忠告だけはしておこう。
「シルファ、とりあえず農場として使えるようにしたが、肥料を確保して足さないと、2、3年で畑から栄養がなくなって駄目になるぞ。肥料はどうやって確保する?」
俺の発言に、シルファは一瞬きょとんとしたが、含み笑いを浮かべると、俺の耳元に近づいて囁いた。
「人間を家畜化するのに、2年もかからないよ」
そして俺にウィンクする。人間達が少し気の毒に思えた。
それから俺はダンジョンを出てカガリ村に戻り、帰りの支度を整える。と言っても、荷物は大した量ではない。ただ、仕事の合間に近くの村を回って、いくつか新しい野菜の種は手に入れておいたので、それだけは忘れないようにしよう。
島で育つ野菜は、じゃがいもといい本土とはかなり性質が違うようだ。例え土をコントロール出来たとしても、ノード農場で育てられるかは微妙な所ではあるが、持って帰って損はないだろう。
「ロディ、帰るのか?」
俺が出て行こうとした時、そう呼び止められた。声の主はジスカ。
「ああ。世話になったな」
「待て。答える」
「何?」
「ロディの質問、私答える」
俺は眉をひそめてジスカを見る。俺は何も質問なんてしていない。
「ここ来た最初の日、ロディ、私に聞いた。色々」
ああ、そういえば。と思い出す。あまりにもジスカの見た目がナイラに似ていたので、思わず質問責めにしてしまったのだ。あれによって第一印象は悪くなったが、ジスカがまだそれを覚えてくれていたのは意外だった。
「私、父親いない。母だけ、この村に来た」
「……そうか」
「母、本土に出稼ぎ行った。そこで私が出来た。殺されそうになった。それで逃げてきた。そう言ってた」
急に物騒な話になってきたので、俺は確認する。
「殺されそうになった?」
「そう。死にかけた。母、何度も言ってた」
何となくだが事情は見えてきた。ジスカの母は本土でジスカを身ごもって、何らかの事情で身に危険が迫り、故郷であるこの村に帰ってきた、と。
「昨日、母に聞いた。当時の、詳しい事」
そう言うと、ジスカは急に泣きそうな顔になった。
「私、双子の妹いる。連れて行く、2人は無理だった。母、そう言った」
おそらく、ジスカ自身も昨日知ったのだろう。言葉に実感が伴っていなかった。
「妹、魔術師の家、預けられた」
絶対とは言えないが、それがナイラである可能性はかなり高い。
「……ふむ。それで?」
冷たいようだが、2人が姉妹だったとして、どうするかは俺が決める事ではない。
ジスカは唇を噛み締めながら、言葉を絞り出した。
「ロディ、私、連れて行って欲しい。海の向こう」
「……お前の母はどうする?」
言葉に詰まるジスカ。
だが、決意したように言葉を絞り出す。
「昨日、母、死んだ」
おそらく、本土からの逃亡と残してきた妹の話は、スニルにとって最後の告白だったのだろう。
「……ふむ」
ジスカは腕で涙を拭って、唇を噛み締めながら俺に迫った。
「ロディ、私、連れて行け」
俺は答える。
「……いいだろう。お前が役に立つならな」