緑
久々の地上。ずっと地下にいたせいか、やけに太陽の光が眩しく感じて鬱陶しい。聞く所によると、人間は長い間光を浴びないと体調が悪くなるらしいが、魔人の俺には関係ない。太陽なんてただ光ってるだけの玉だ。
ジスカに案内されたのは村の外れにある小屋だった。中には一通りの家具が揃っていたが、あまり頻繁に使われている様子はなく薄く埃を被っている。部屋の1番奥にあるベッドの上では、人間が1人寝ており、サイドテーブルの上には薬瓶と器具が置いてあった。
「……寝ているようだが、勝手に入っていいのか?」
俺が尋ねると、ジスカが頷いて答える。
「私の母、スニル。1年前、病気なった」
俺はスニルの顔をちらりと覗く。ジスカとナイラより肌の褐色が濃いが、顔は似ている。
「何の病気だ?」
置いてある薬瓶を見たが、分からない。それ以外には、紙の束と少し溢れた緑の粉末、マッチと皿が置いてある。
「医者、色々言った。分からない。治せない。高いお金、払えない」ジスカは憤った様子で続ける。「試す。魔術師、見た。分からない。私、探した。聖職者、分からない。母、辛い、苦しい。言う。私、分からない」
ジスカは拳を握りしめながら必死に言葉を繋げようとするが、どうやら感情が邪魔して難しそうだった。かろうじて分かったのは、ジスカが必死に母親を助けようとしたが駄目だったという事だけだ。
「この薬は?」
俺は棚の上に置かれた物を指す。
「……シルファ様、この村、持ってきた。楽になる薬。痛み無くなる。気持ちよくなる」
溢れた粉末を俺は指で触って、鼻に近づけて匂いを嗅ぐ。
「……ふむ」
その時、ベッドで寝ていたスニルがぱっと目を開けた。俺の姿を見て一瞬悲鳴をあげたが、声が掠れていて玄関にすら届いていないだろう。ジスカが母親に寄り添い、俺に分からない言葉でしばらく2人が会話していた。俺をなんて紹介したのかは分からないが、ジスカがポケットから出した草を見て、何かを納得したようだった。
「母、歓迎する。ロディ、お願いしたい。沢山、草」
スニルはそれを聞いて頷いていた。
俺がここに来た理由を、俺は今知った。正確には、ヒント自体はあらかじめ点として撒かれていたが、それが全て繋がったという感じだ。
スニルが吸引しているこの薬の原料であり、シルファがこの村に持ち込んで育て、ダンジョンを改造して量産を狙い、対王国での切り札として用意したい草。
その名は『大麻』だ。
元は魔界にのみ生えているアサという植物で、その葉を人間が使用すると一時的な快楽を得られ、強い依存性がある。実は以前、魔王様はこの性質に目をつけて、人間界にこれを流通させようとした。だが計画に気付いた勇者に邪魔されて、群生地を焼き払った挙句に王国内での使用、栽培を禁止する法律を作らせた。ある意味因縁のある植物だ。
シルファはおそらく、魔王様の秘蔵アイテムの中にこれの種を見つけたのだろう。そして勇者がいない今、かつての計画を蘇らせるべく新たな栽培地を作ろうとした訳だ。魔界を除いて、森の中にあるダンジョン以上に栽培場所に適した場所はない。
依存した人間は快楽への欲求に歯止めが効かなくなるが、一方で痛みなどを和らげる効果もある。もう助からない病人に処方するだけなら、良い薬だと言えるだろう。
真相を知り、考え込む俺の手をスニルが掴んだ。何度も何度も同じ言葉を繰り返す。何を言っているのかは分からないが俺に何をして欲しいのかは分かった。
ありったけの『大麻』を育てて欲しいのだ。
「……少し、考えさせてくれ」
俺はスニルの手を置いて、小屋を出る。木々の隙間から見える夜空を眺めながら、俺は思考を整理する。
まず、シルファを責める事は出来ない。
奴はかつて魔王様が失敗した計画を再度やろうとしただけでもある。そしてその計画は、もし成功していれば人間を大幅に弱体させる事が出来ていたし、今でもそれは正しい。何より、4つのエレメントを支配して畏敬を得るという目的において、大麻の利用は非常に効果的と言える。
ここで栽培した『大麻』を流通させ、人間達を堕落させる。金はいくらでも手に入るし、依存者が増えた所で量を増やしたり減らしたりすれば、人間達の意思を自由にコントロール出来る。王国その物に毒を打ち込むような物だ。
シルファと協力する約束をした当初、俺は頭の中で「美味い野菜を行き渡らせれば自ずと人間達はその生産者を尊敬してくれる」と思っていた。実際それは事実だが、策としてはぬるい。少なくともシルファはもっとシビアに考えている。より強固で、逃れられず、どうしようもなく抗えぬ、心の奥の深い深い所までをも「支配」しようとしているのだ。俺の土と奴の風があればそれが出来る。奴がジスカの母と俺を引き合わせたのはそういうメッセージでもある。
「……ビンス、いるんだろ?」
俺が名前を呼ぶと、物陰からビンスとその部下2人が出てきた。ビンスは部下を下がらせて、1人で俺に対峙する。
「シルファ様の素晴らしい計画を知った感想を、是非とも聞いてみたい物ですな」
俺はビンスを睨む。シルファはこいつを相当信用しているようだが、どこまでの事を教えているかは分からない。俺がそこを怪しんでいるのを察してか、ビンスは告げる。
「ご安心ください。私は紛れもなく人間ですが、決して人間の味方ではありません。私が信頼しているのはもっぱらこっちだけです」
指で円を作ってにやりと笑う。喋りだけではなく、金が第一というあたりもとことん商人気質の男らしい。
「支配者が誰であろうと私には興味ありません。王だろうがシルファ様だろうがあなただろうが……魔王だろうがね」
どうやらこいつは魔王様がまだ生きている事も聞かされているらしい。という事は、エレメントによって復活するという事も当然知っていると考えるべきだ。
「……例えば、この事を国王に報告すればお前は貴族の仲間入りが出来るんじゃないか?」
試しに聞いてみると、ビンスは微笑みながら首を横に振った。
「権力は効率よく稼ぐのに便利ですが、時には重荷にもなりますから、出来れば私は背負いたくありませんな。ひと財産築いて、島の1つでも買って女と良い酒に囲まれて何の心配もなく暮らすのが私の夢です」
「ふっ」と俺は笑う。人間は愚かだが、こいつはその愚かさを自認している分、いくらか他の人間よりマシに思える。
「で、そろそろ答えをお聞かせ願えませんか? 『大麻』の栽培に協力するのか、しないのか」
俺は答える。だが、ビンスに向けてではない。
「……協力しよう。だが、それはあくまでシルファの計画だ。俺は協力者に過ぎないし、約束自体もきちんと守ってもらう」
「大変結構。早速シルファ様に報告しておきます」
ビンスはにっこりと笑ってダンジョンの中に戻って行った。
「……チェル。聞いてただろ?」
「うん。何か用?」
「一応聞いておくが、お前は人間を救いたいとは思わないのか?」
チェルは顔を見せないまま、声だけで答える。
「誰にも人間を救う事なんて出来ないよ」
まあ、そう答える事は分かっていた。
……。
さて、寝るか。明日からは大麻栽培の為の畑作りが始まる。




