第147話「陳腐な答え」
時にイギリス人がよく語る言い訳がある。
イギリス料理がクソマズなんじゃない。
イギリス料理の一部(主にパイや国民食となる加工食品や調味料、菓子以外)がクソマズなんだと。
いや、まさか、現代に限ってファストフードが乱立し、多くの人々が世界中の美食を祖国でも食べる事が可能な先進国にあって、そんなの単なるステレオタイプじゃろ?と言う者もいる。
が、生憎と実際にイギリスの料理というのは産業革命以前のレシピが殆ど残っておらず、郷土料理はかなり少ない。
都市部暮らしの長い人々が言う“美味しい料理”とはマズイとは言えない他国料理が大半だ。
イギリスと言えば、紅茶を思い浮かべる者は正しい。
紅茶のお茶請けのお菓子や国民食のパイも美味しい。
だが、イギリス由来の庶民的なソレ以外の料理が美味しいか?と言われると中々にして答えるのは難しい。
インド近辺の料理や多国籍料理が英国で美味しいと言われてもそれはイギリス料理なのかと言われて押し黙る英国人も多い。
安くても冷凍食品の味はまぁまぁなのでこれは祖国料理と言ってよいのではないかと、問題は無いと、そう言う者もいる。
結果として冷凍食品やファストフードを食べて美味しいと言えていた彼ら英国人はこの終末世界においてもパイが容易に食えないとは愚痴りつつも……缶詰食に大方不満も少なく順応して普通に美味しいよねと言える人が多い。
それ以外の缶詰はまぁ食えるけど……昔食べた味には及ばないねと文句を言えるのが他国人という図式が成り立っている。
無論、そんなのばかりではないが比率は明らかにそういう感じだろう。
つまり、この図式の中にいきなり食糧支援ですハイどうぞと言われて出された明らかにオカシな量の存在しないはずの鮮度抜群な食材がドッと流れ込んだらどうなるか?
中には普通だろと味を気にしない者もいるが、大抵は見た目的にも匂い的にも気付くだろう。
それが美味しいものであるのだという事を……。
『今日、初めて祖国の伝統的フィッシュ&チップスが脂っこいと思いました〇』
『きゅうりサンド!! きゅうりサンドじゃないか!! どうやって此処に? 過去の世界から自力で脱出を?!』
『マヨ、付けようぜ? 日本のマヨ……う・ま・みのあるマヨ!!? マヨが旨過ぎるwww』
『ツナ缶やタラ缶のパテとヒューリ印の野菜のサラダもいいぞ♪』
『カリーが帰って来た!! 祖国のカリーが帰って来た!!?』
『タンドールはありまぁす!! チーズナン如何っすか~~善導騎士団製チーズ入れたナンは如何っすか~~あ、イラン料理とパキスタン料理とトルコ料理もありまぁす!!』
『フランス料理なんて手間暇掛けて作ってられるか!! ほら、イタリア料理を作るんだよ。あくしろよ!!』
『おお、神ヨ……我々は……知ってしまった!! ワギューと!!! ショーユと!! テリヤキソースと!!! ワサビと!! マヨとSAKEとUMAMI調味料の味をおおおおおおおおおおおおおお!!!?』
バカ受けしていた。
とくに数日以上、善導騎士団印の食事を摂った英国人達が久しぶりに政府から配給される缶詰を喰って……明らかに缶詰食よりも普通の食事を選ぶ事が増えた。
舌を鍛えなければ、何を食おうと美味しいかどうか分からないという話もある。
要は彼らの舌は数日以上に及ぶ料理で肥えたのだ。
動物だって旨いものと更に旨いものの見分けは付くし、餌を選り好みする。
人間ならば、さもありなん。
英国人なら英国料理喰えばいいのに、と。
料理の味に目覚めた人々を見る外国人は多いが、取り敢えず彼らも祖国の二度と食べられないと覚悟していた料理が作れるし、食べられるという状況に酷い惨状になっている今を一時は忘れてホッとしたのだった。
『AaAaAaAaaaッッ!!? もうッ、もうナイ!! マヨがあぁああぁあ!!?』
『君、マヨネーズばかり食べては体に悪い。ほら、此処に新しい調味料を用意した。これをスーパーベジタブルフゥゥゥドであるトーフと共に食べてみたまえ。ラデッシュとごま油も添えて上げよう』
『HOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!?』
『めんつゆ。MENTUYU。覚えたかい? 全て美味しくなる魔法の言葉さ♪ 天婦羅や揚げ物には塩や香辛料を使わずにメンツユ、だよ?』
『メンツーユゥウウウウウウウウウ!!!?』
『いや、そこは醤油や柚子胡椒じゃろ?』
『ちょっと、裏で話そうか……此処でオリーブオイルやアンチョビと言わない君の知識には敬意を表するよ』
『フッ……そちらこそ、生のトーフにラー油を掛けてマーボー等と宣うような人物ではなくて良かった』
『『(* ̄▽ ̄)フフフフ』』
『あ、オレは抹茶塩と藻塩で』
『『Σ(―□―;)』』
日本伝統と言っていいのかどうか。
日本から送り込まれる食材に合う調味料を探したら何と!!
日本からの配給に大量にありました!!
ついでに配給された袋には料理のレシピ?!
和える食材まで書いていてくれました!!
神よ感謝します!!?
ネットよ永遠なれ!!?
あ、それはそれとして日本製の食材に合う料理のレシピはどーれかな(ポチー)という人々は極めて大量であった。
もうこんなに食べられないよ(ムニャムニャ)。
とか寝言で言い出す人々も一定数いた。
一気にイギリス国内の血糖値が上がったのだ。
こうして痛みを忘れる勢いで何処かのヤバめなドラッグかな?という具合に大量の日本式調味料と食材が流れ込んだ英国やシェルター都市では祖国の料理や昔を懐かしむ料理もいいけど、日本食もいいよね派が爆誕し、各地で調味料の争奪戦に発展。
都市部の再建もやるけど、それはそれとして日々食べられる事を愉しまないとねという……この10年近く失われていた気持ちを取り戻した人々が僅かでも明るい気持ちになっていたのだった。
「ねぇ、ベル」
「どうしたんですか? 悠音さん」
「シェルターの子達がお姉様と夕飯の話してたら、日本食を教えて欲しいって言ってるんだけど、お料理教えにちょっと訓練終わった後、行って来ちゃダメ ?」
「訓練が終わったら勿論行って来ていいですよ。お二人のレポートは後回しにしても問題ありませんし、こういう交流もシェルターの人達には良い影響になりますから」
「ちょっと、複雑だけど了解!! お姉様~~ベルが良いって~~」
この数日、外で遊ぶ子供達に人気な緋祝姉妹はそうしてあちこちのシェルターの子供達が集まる広場などで青空クッキングなどして、料理人にも話題提供の為に作って上げて下さいと頼み込む様子が仄々と大人達には見られていたのだった。
無論、それにイイな~~という顔をしたヒューリが妹達を見ていたりしたが、そんな妹達の笑顔を護るのは自分次第だと思い直し、リスティアに肩を叩かれつつ、一緒に眠って訓練に励み。
緊急時に北米へ派遣されていたミシェルなどもあちらが一段落したからと合流。
シェルター都市とイギリス本土では復興工事やリフォーム系工事が次々に竣工。
働けるヤツはとにかく来いと難民もシェルターに逃げ込んだ人間も等しく土木建築現場でマンパワーを集約しつつ、殆ど強制労働に等しい有無を言わせぬ動員にも関わらず。
齎される大量の物資に文句もなく事態は進展していくのだった。
*
イギリスが全土に非常事態宣言を出して10日以上が過ぎた。
善導騎士団と陰陽自衛隊は日本、イギリス、北米に別れて現在も作戦行動中。
神の欠片を正面から暴力で殴り付け、比較的平穏に数日が過ぎて。
日本国内の復興とイギリスの復興は急ピッチで進み。
概ね予想通り。
という事で善導騎士団と陰陽自衛隊では今後の予定が再度高位の意志決定者間の全体会議で詰められる事になっていた。
まぁ、いつものメンバーと日本政府高官とのパイプ役である明神と陰陽自衛隊のトップである結城が勢揃いしていると考えれば良いだろう。
現在、電子空間上の領域に間借りして魔術で視界に映像を投影する形で進む会議には北米とイギリスの問題が次々上げられていた。
「現在、北米の三拠点。ロス、シスコ、ベルズ・スター周辺には300万規模のゾンビが展開中だが、湧き潰し特化の大隊3隊でどうにかなっている。【シャウト】の総数は近隣では確実に減っているとの報告が入っているが、やはり懸念されていた通り、広域分散して増えている様子で現在までに計900万体が要塞線で処理された」
結城が次々に出て来る映像。
北米の中部まで出されたドローンの映像を提示する。
そこではシャウトが次々に呼び出した自身と別の同型ゾンビを一定数引き連れてゾロゾロと都市部へと進軍していく様子が映し出されている。
「ゾンビは確実に戦術を学んでいる様子だ。基本的には包囲多重波状攻撃。第一波が潰える寸前にこちらの射程外からの突撃で着実に広域殲滅を抑止。だが、そのおかげでこちらの突破は不可能でもある。あちらは銃弾と砲弾が尽きるのを待っているが、こちらは日本各地での生産分も含めて在庫は+に転じている」
結城が各地の武器弾薬の在庫状況をザッとグラフで示した。
「今まで善導騎士団側で蓄えて貰った分も含めれば、備蓄率は問題ない。その上で騎士ベルディクトのおかげで稼働した工場から月産1000万発ずつ各要塞線に配給可能。現状で北米戦線は持ち堪えられるだろう。日本政府も自国に蓄えられる状況でない事は承知してくれている」
結城の言葉が終わった後。
次に発言するのはフィクシーだ。
「善導騎士団の教導完了済みの大隊が現在8個大隊まで増えた。現状、この8個大隊は交代で現地の3個大隊の支援部隊という形で実戦形式で訓練をしている。事前備蓄分で装備は第一世代前のもので完全に充足。消耗分を補充してもまだまだ余裕だ。課題はやはり連携だな」
完全武装の装甲にスーツ姿の大隊員達が整列して地下儀式場に並ぶ姿は壮観。
その中心にいるのはフィクシーだ。
派遣される大隊への訓示する姿は今や騎士団長の風格と言ったところか。
「促成とはいえ、魔導の夢を用いた訓練方式も導入している。それでも通常の騎士の階梯まで達するのに2か月は掛かる。後、魔力よりも超常の力に目覚める者の方が多い為、こちらの練成ノウハウが足りていない。戦闘に通用するのは4割、実戦で使えるのはその内の7割、熟練可能なのは更にその半分と言ったところか」
フィクシーの言葉はつまり単純に能力を用いる戦闘が可能な部隊は皆無という事を示していた。
「練成過程で基本は教えるが、後は手探りの状態。異種のように肉体や精神の変異に関しても押し込めたり延ばしたりと諸々試行錯誤中だ。大陸での発生確率で考えても異常な程に目覚めているのは間違いないが、やはり人類種とは違う為か。かなり質が低い。魔力に目覚める者の大半も大きな魔力を得ているのは1%以下だろう」
次に発言するのは意外なという程でもない東京本部の医療部門を統括するようになった元市長で現在は生身なZ型義肢の外科取り付け手術の権威という事になっている男、通称エヴァン先生であった。
「人工臓器は需要に対して供給率がようやく8割台に到達した。ただ、此処の施設をフル稼働していても移植が必要な患者に対してのサーヴィスは足りていない。現在、各地の病院から外科手術の専門医を集めて助手に付かせて学ばせている最中だ」
名前も顔も捨てた男はそれでも自分を師と仰ぐ背後に腕を付けた十代の助手達が大人達に恐々と見られながらも果敢に交流している事を脳裏に思い浮かべながら現状の報告を続ける。
「義肢の数は充足したが、取り付けられる医者の方が少ない以上、現在の需要に答えるには後半年は必要だ。此処で一点……【内骨格】及び【内被筋】の実働データが十分に揃った」
偽名医師が溜息を吐く。
「ついでにディミスリルの原理解明から完全に肉体への中毒症状やアレルギー反応を改善する手立てが見付かった。形にするのに4日、量産する前の再設計で8日、量産するだけなら其処の大使殿にしてもらうなら1日で人体の頸椎までの全部位を数万体単位で用意可能だろう」
遂に来たか。
そう思ったのはフィクシーや会議出席者のクローディオだ。
だが、ヒューリを始めとした姉妹達は良い顔はせず。
秘書組は表にこそ出さないが渋い顔。
だが、最もそれに反応したのは結城であった。
「遂にか……」
ポツリとした呟き。
だが、それは待たされた者特有の感慨を秘めている。
「ただし、外科手術による埋め込み方式は特定の機能を埋め込むような例外や特殊な例を除いて奨励出来ない。基本的には四肢や置換部位の取り外しと入れ替えと保存で対応するのが良いとの結論だ。後、この手術を受けた人間には安定するまでHMペンダントが必須だ」
「どういう事かね?」
結城の言葉に肩が竦められる。
「終わりの土を用いた義肢とはいえ、馴染んでもディミスリル部分を脳が認識すると精神に負荷が掛かります。このストレスは遺伝的本能的なもので取り除けないのですよ。基礎的には兵器である以上、現状の仕様でなければならない。単なる日常生活用ならば、ストレスが殆ど掛からないでしょうが、兵器の仕様ではそうもいかない。そういう事です」
「つまり、超人的な肉体を手に入れる事と引き換えにストレスとの戦いになると?」
「これを軽減し続け、蓄積される精神疲労を取り除くにはHMペンダントを直接埋め込んでおくのが合理的……ストレスフリーなものを開発するには時間が足りません。10年単位必要だと九十九からの演算による回答も得ています」
「技術不足か……しかし、それも一部分ならば?」
「ええ、それなりに強くなれるでしょう」
「……黙示録の四騎士に対抗するならば、やはり全身置換しかない、か」
「ただ、全身置換レベルとなれば、命の保証はしますが……限られた人材……今現在は私と数名の助手が共に当たって1日掛かりでしょう。それとストレスで精神がマッハですね。HMペンダントを外した瞬間に精神の骨格を保てずに発狂するかもしれませんよ?」
「まぁ、やれる人間は限られる、と」
「精神的な強さだけは資質を含めても中々どうにも……レベル創薬とやらで補強は可能でしょうが、それでも精神的に不安定な兵隊は脆いでしょう」
「そう上手い話はないわけだな」
結城がデータを読み込んで精査していく。
「現在、二つを一つにしたタイプも設計しているそうですが、単純計算でストレスが2倍です。それに耐えられる人材は人間にはいないでしょうね」
「つまり、騎士ベルディクトくらいの人材以外は不可能、と」
全身置換レベルの手術を受けていた事を知られていた少年は顔に出さないものの……やっぱり、この人は怖いなぁという感想を抱いた。
誰が情報を漏らしたわけでもあるまい。
陰陽自研は殆どブラックボックスになっているのだ。
それでも情報が洩れるというのだから、どうしようもないのだろう。
「で、治験の協力者の方は?」
「黙示録の四騎士に国を追われた陰陽自の外国人の隊員が数名。日本人からも数名。騎士団の隷下部隊からも数名。実働部隊の精鋭からの志願です。基本的には1日で済みます。利き腕から初めて四肢までの置換を数日置きにという形になるでしょうね」
「胴体部はリスクが大きいと?」
「バランスの問題です。巨大な錘を四肢に付けて動かして胴体が疲弊しないとでも? 逆も同じです。義肢部位と生身の部位の接続、保護を各種の術式とレベル創薬で行って初めて超人的な動きや防御力を得る事が可能になるでしょう」
「戦闘後に付け替える事は可能なのかね?」
「わざわざ運用の為に専門スタッフを山盛りにした病院を前線に配置したいならばどうぞ。人的資源に余裕があってもごめんですがね」
「そういう事か。まぁ、妥当な話だ」
「全て魔力と魔術で補おうとすれば、補えるんですよ。ですが、それは同時に魔力系の妨害に酷く脆弱な面を抱えるという事だ。こちら側の技術の進展の限界だと思って下さい」
「時間は無いが、時間が掛かると言われるわけか」
「ええ、SFのようには上手く行かない。技術の両輪の片方を疎かにしても弱点を突かれて負ける可能性が高い。我々医療班としては完全な義肢人形を遠隔操作する方式を押します」
「それは確か……通信技術的な問題がクリア出来れば、という報告を受けた記憶があるな」
「ええ、黙示録の四騎士の通信妨害を突破出来さえすれば、それこそ超絶な身体能力を用いたお人形の兵隊を熟練兵で遠隔操作して特攻紛いに相手を粉砕出来る、かもしれません」
「操作方式と通信さえクリア出来れば、かなり有用そうではある」
結城は現在、日本のシェルターに卸されているドローンの遠隔操作方式をチラリと参照してから、チラリとまた精霊化技術の項目を参照した。
「相手からの汚染、侵食、乗っ取り、判断時間の関係から直接人工知能を載せるのはお勧め出来ません。精霊も同様です。AIによる外部からの遠隔操作が一番効率も良いし、安上がりですが、黙示録の四騎士相手だと人工知能よりも人間の判断能力が求められます」
「技術的なブレイクスルーまではお預けか」
「はい。通常ゾンビや同型ゾンビに対してならば、今まで申し上げて来た機能でも十分に通用します。兵隊の安全を取るならば、義肢人形による制圧部隊の創設の方が余程に現実味があります。コストを低く抑えて相手に解析されても問題ない技術だけで構成すれば、恐らく現行戦力を丸々転用可能でしょうから」
「陰陽自衛隊としては検討してみよう。無論、善導騎士団や北米側もだろうが」
「こちらからは既に……」
「根回しの良い事だ」
満足した様子で結城が言葉を切る。
「騎士ミシェル。ご報告申し上げます。現在、東京本部、北米のシスコ、ロスの本部、アイルランド・シェルター都市の四地点で前回の四騎士の攻撃に耐える結界魔術の敷設を行っています」
全ての地点にある転移ポートである地下儀式場が映し出される。
「超規模魔力の凝集による大陸規模の純粋魔力打撃……これに対抗し得るのは省力化を行った同じ規模の魔力による多重防御方陣だけでしょう。相手は魔力の凝集で制御も手一杯。単一性能の超規模攻撃は単一性能の超規模防御陣の展開で防げます」
ザッと半径400km単位の巨大な方陣防御圏が地球上の四地点に出現する。
「騎士ベルディクトが現在東京本部に魔力の充填を終了。更に他の地点にも推定魔力で前回の規模の4倍までの威力を堪えるだけの魔力を供給中です」
さすがに結城含め他の全員が少年を見やる。
それに困った笑みで大した事無いですと呟く少年だが、さすベルという単語が多くの脳裏に流れた。
「魔力の集積力の向上はディミスリル原理の解明に起因しています。現在、開発中の最新の魔力電池ですが、騎士ベルディクトのみが現在量産可能なものに関しては前回の量産型痛滅者に使われていたものの3000倍程まで飛躍的に高くなりました」
「さ、三千倍!?」
さすがに明神が驚いた顔になる。
「ただし、魔力の安定化が難しくなるという一面もあり、最終的には大陸の知識である魔力の積層化限界とやらに行き当たりましたが……空間制御技術を用いる事で制御空間内に安置するという方法を取る限りは3000倍まで保存出来ます。これは魔導師及び魔導機械術式を使う者ならば使えるという意味でもあります」
現在、空間制御が可能な人材のリストが次々に流れていく。
「ポケットの空間占有は痛いのですが、空間内に魔力電池を貯蔵しておけば、その電池が切れるまでは空間制御の能力を使い続けられる為、かなり有用な技術です」
「だろうな」
結城もさすがに3000倍のインパクトに呆れた様子になっていた。
「各地の儀式場も黙示録の四騎士に乗っ取られるような事が無いよう空間制御系の術式を常に用いてセーフティーを敷いていますが、より強固になりました。結果としては、魔力容量の限界値は黙示録の四騎士にも劣らなくなるはずです」
ミシェルが結界と防御方陣のデータを呼び出す。
「今後の課題は大規模な魔力の拡散による巨大な魔力災害の多発を抑止する方法及び周辺魔力環境の激変に伴う世界規模での動植物の変質をどう抑えるか。あるいは利用するかというものになるでしょう」
「どうにかなるかね?」
結城の言葉にミシェルが頷く。
「地球環境の悪化は騎士ベルディクトが示した通り。このばら撒かれた魔力を上手く活用して環境の保全に役立てられないか糧食部門などと協議中ですが、前々から研究が進められていた魔力適応する植物を用いたゾンビ駆逐案も技術的な難易度は低く現在試作が終了した分を大隊のドローンで検証試験して貰っており、実践投入は可能なレベルです」
ミシェルが座る。
「そちらは戦略プランとしてもう提出済み。実行可能ですから、何か詳しく聞きたい事があれば、データベースから検索を。では、僕からはイギリス本土と各地の要塞の内政と建築、現在の敵である神について」
少年が立ち上がった。
「現在、壊滅した北部中部からアイルランド南部に移住してもらった避難民の方々と南部で生き残った人々全員をシェルターに収容し終えました。シェルター都市、今後名称を募集しますが、この都市近辺の大規模な要塞化建築の進捗率は55%弱となります。内政面はほぼ初期の混乱が克服されました。重要な報告としては被害者支援に関する者が一点」
少年が広がる広大なシェルター群の群れや食料生産区画の此岸樹、周辺の壊滅した地域から次々に死体を掘り当てて骨になるまで肉体を溶かし、死者の特定が出来るまではと保管している施設など諸々の情報を開示する。
「現在ドローンで回収出来た遺体は300万人程で九十九により状況と身形や当人を証明する品をデータ化。骨と一緒に小さな遺品は収めています。顔に関しても九十九による復元が可能でしたのでそれも一緒に行いました」
本当ならば、現場で沈鬱な表情で死体を掘り返さねばならなかったはずの人々の仕事を肩代わりした少年は次々にその施設を訪れる人々に様々な情報。
顔や名前や場所などのデータから見付けたい人物の特徴を探し出して引き合わせプログラムなどを説明する。
「現在、訪れた10万人程の人が会いたい人物に辿り着けた確率は30%程。多くは北部が吹き飛んだ際に消滅したかヨーロッパやアフリカ、イギリス本土に降ってしまったんだと思われます」
災害時の落下物の範囲予想は正しく超広域であった。
「今後も遺体収集は継続する事をイギリス政府と現在アイルランドの暫定政体として発足させた技能集団の各代表者達との協定で調印しました」
「上手くやっているようじゃないか」
結城がさすがの手腕かと少年を褒める。
それにありがとうございますと返した少年は更に本題へと入っていく。
「もう既に報告してありますが、先日摘発された黄昏教団の英国内の最大派閥らしい人々をこちらで保護しています」
その言葉には姉妹達が敏感に反応していた。
「教祖と周囲を固めていた人々は行方不明ですが、信者は丸々残っていて……ミシェルさんやラグさんと同じく魂魄の消却が確認されました。更に適齢期上限10歳前後から50代までの女性ほぼ全員が妊娠しており、その内部の子供達は全員が亜人の類である事も判明しました。遺伝検査して九十九で解析した結果……」
少年が一息置く。
「現在、敵対している神の肉塊と合致する幾つかの遺伝形質とそれとは違う様々な人の手が加えられたと思われる部位を多数発見しました。結論から言います。あの神の力を取り込んだ新人類と呼ぶべき存在です。そして、これほどの技術……恐らく北海道戦域で戦った敵の親玉……仮に彼女と呼称しますが、彼女と同じくガリオスの遺跡と関係ある人物が教祖であると思われます」
「つまり、魔術師であり、今回の件は北海道の一件の焼き回しだと?」
結城の言葉に少年が頷く。
「焼き回しというよりは別口での人類救済とやらなんじゃないかと推測されます。魂魄の消却された跡が酷似しており、更にその消却した魂から抽出した魔力を用いて彼女達を母体として形成。人類に代わって激変する地球環境でも生きられる種族でも作ってたんじゃないかと」
「遺跡の力を使って、か」
「ええ、ガリオスにそういう力はありませんが、七教会にはそういう力があったはずなので……彼らに関してイギリスは面倒事をもう許容出来ないとこちらへ全て任せるとの事です」
「為政者としては失格だが、理解は出来る」
「僕ら善導騎士団としては将来有望な種族ですし、神からの影響を受け難い性質なども確認出来た為、彼ら自身の同意さえあれば、北米の二都市に移住して貰おうかと考えてます」
「度量が深い事だ」
「イギリス側の事情も分かります。この状況で更に社会不安を増長させる因子は排除したいでしょうし、彼らもそういった不の感情に晒されるよりは被害者として全うに生活を再建していく方が良いでしょうから」
「将来的には騎士団員に成って欲しいとも聞こえるが?」
「その将来を作るのが僕らの仕事です。帰れても帰れなくてもこちらに持ち込まれた技術で生まれた人達の面倒をちゃんと見なきゃなりません。それを出来るのが僕らしかいないのならば」
少年の言う事は最もだが、善人など通り越した話なのは誰にも分かった。
それは彼らが自身に科した義務であって、誰かから科された責務ではないのだ。
「風評被害が出る前に彼らの処遇の決定は速やかに。当人達の意見も交えながら行われる事になります。この話はこれで終わりです。で、最大の懸案ですが」
周囲に肉塊の映像が次々に映し出される。
「アイルランド北部の肉塊が全て攻撃を受けた最大個体に結集している事が確認されました。この肉の繭の内部で肉体の再編を行っている様子ですが、ハッキリとした事は分かりません。ただ、前回のような攻撃が効くと安易に考えない方が良いでしょう」
「で、どうする気だね?」
結城に少年が肩を竦めた。
「現在は現状維持です。とにかく準備が足りません。イギリス全土の要塞化率は現状3%以下。シェルター建設もまだ予定分を完了していません。この状況では本体どころか破片にも勝てるか怪しいです。痛滅者の再生産とオーバーホール終了まで後1週間。更に前回の黙示録の四騎士戦のデータを元に更に特化型の痛滅者を2種類陰陽自で再設計中ですが、これは数週間後にロールアウト予定です」
「また、新しくなるのか……」
もう驚くのも疲れた様子で結城は苦笑していた。
「技術更新の速度と現状の要求が合致した結果です。再生産中の機体とオーバーホール後の機体は馴らしを終えた後すぐに北米と日本の大隊へ回します。ブラッシュアップ用の改修キット。いえ、追加武装ですかね。それも混みで……」
「イギリスに最新鋭機を?」
「ええ、最新鋭機の一歩手前の機体を導入する予定です。最新鋭機の設計はもう少しで終了する予定ですが、それよりも前の時点の成果で仮組みの機体を仕上げて貰って搬入予定です。これには3週間以上掛かるかと」
「ふむ……」
「データのフィードバックを含めてもとにかく数が足りません。乗れる人数も増やしていますが、現行で乗り熟せる人員が1200名に対して数が250機余り……陰陽自衛隊、善導騎士団合わせてです」
「人員はいても、機体がないと」
「はい。最新鋭機を現行戦力の一番上からお下がりで卸していって……後3か月で3000機まで増やすのが目標ですが、恐らく不可能でしょう」
「君が言うと現実味が逆にないな」
結城が一般的な騎士ベルディクトへの意見を代弁する。
「……これに関しては現行機の廉価版を自衛隊の一般部隊と警察に配備する事が決まっているので防衛に関してはまだ問題ありません。ですが、復興と要塞化を進めている関係で生産ラインの準備はまだ整ってません」
「聞いているが、廉価版の機体の設計が遅れているのかね?」
「載せる機能と載せられない機能と載せておかなければならない機能の兼ね合いで諸々陰陽自研で検討中の部分が多いんです。警察と自衛隊の仕様も違いますしね。そもそも現行兵器のブラッシュアップに労働力の大半が割かれてます。近い内に権限や責任を現場で働く中小企業体に任せる事になるでしょう」
「なるほど。それで君達はようやく自分達のやりたい仕事に掛かれると」
「ええ、廉価版は1月後には生産ラインを稼働させて、順次卸していきますが、日本と北米の12の工場で月産で10万機が限度でしょう。管理者やら人員の手配が間に合いません」
「10万機か。少ないのか多いのか悩むところだが、多いに越した事がないのは分かるな。人員不足、人材不足、どこも深刻か……」
超少子高齢化の日本では今更な話ではあった。
「今現在、教練と学習と諸々の技能者育成プログラムで人員を同時並行で何とか増やしてますが、各種の職能と技能に合わせて作るカリキュラムは現行技術で短縮出来ないものもあります。これらを一気に解決するには……レベル創薬の大規模供給開始を待つしかないでしょう」
「そちらはいつだったかな?」
「各職能に合わせたモノも開発していますから、何とも……ただ、基本的には戦闘関連が最優先である事に代わりはありません。30日を目途にして数万人に第一次配布。更に30日後には正式採用版を2次配布。更に30日後に市販技能職用を3次配布という計画です」
「三か月、か。長いのか短いのか……」
「痛滅者もレベル創薬も神の欠片と本体相手の決戦を準備しなきゃならなくなった関係で研究者やエンジニアの方々が毎日睡眠時間4時間で頑張ってくれて現状が維持されてます。人員を更に増やす為の一番苦しい時期だと考えれば、この後は楽になってくるはずです」
「彼らが生き残っていれば、かね?」
「それを担保するのが僕らの仕事ですから」
会議は踊る。
だが、その会議が内閣総理大臣や防衛大臣にすら事後報告である事は正しく今の善導騎士団と日本の力関係を示しているだろう。
陸自も空自も海自も直接的な意見は現場から吸い上げる為に上層部の意見は書面上でしか確認されていない。
それで問題ないと言われているのが最も彼らにとっては屈辱的な事ではあるのかもしれず。
だが、魔術も分からず、善導騎士団の内実に詳しいわけでもない彼らにソレを求めるのもまた酷なのは結城にしてみれば、自明であった。
嘗て、彼もまたそういった理解に窮するモノに幾らでも出会って来た。
魔術を知る故にだ。
だからこそ、今此処に立つ彼は自衛隊という軍隊ではなく祖国防衛の戦力だと豪語する世界的に見れば奇妙な名前の一軍を率いる将の1人として関わる者に必要な情報を卸さねばと切実に思う。
この世紀末に未だ軍主体の軍政を敷かないのも、軍の権限が強くすらないのも、日本という国だからこそだろう。
なればこそ、現場の人間には最大効率で働ける環境と納得出来る情報を。
時にはその合理性が人に死ねと命令する事があるとしても、それを知っている彼の部下達が誰一人彼の下から去らない事が……彼の一面における優秀性と正しさを証明していた。
それから二時間程で詳細を詰め切った会議は終了。
姉妹達は難しい話に付いていけなくて途中からは少年が活躍しているかいないかくらいにしか反応しなかった。
が、それも会議という堅苦しい場では清涼剤だっただろう。
恙なく会議予定は消化終了したのだった。
電子データ上の会議室から抜けた少年が映像を出せば、そこにはクローディオとフィクシーが揃っており、HMDを取って共に額を揉み解していた。
電子空間での会議が有意義かどうか。
検証用の実験でもあったが、やはり目にはあまり優しくないらしい。
これなら魔術での通信を用いた方が楽、という報告書が後に提出されるだろう。
『結城の御大将は大半の計画の前倒しを主張してたが、どうすんだ? ベル』
「実際問題としてそうするべき状況なのは確実ですし、止める理由も具体的な障害がある懸案以外は無いんですよね」
クローディオの言葉に少年は認めざるを得ないと返す。
『ベル。あの男が言っていたが、実際にはどうなんだ? お前が使っているモノに比べて置換式の義肢は使えそうか?』
「ええ、そちらは既存の問題以外は全部完璧に解決されました。再設計も実際には殆ど終了してます。というか……」
「やぁ、諸君」
『『……』』
少年の背後に先程まで会議に参加していた北米の元市長を見て、二人が状況を理解する。
「一体成型の方は既に設計は終了している。後は実働データを取るだけだ。無論、実働データを取れる人物は1人しかいない。そういう事だ……」
『ベル。いいのか?』
クローディオが胡散臭そうに男を見やる。
「ええ、結構仲良くなったので」
『仲良く、か。お前がそう言うなら、我々に言う事など無いな』
フィクシーは今も己の背後の腕を意識しながら仕方なそうに溜息を吐いた。
「今のオレはエヴァン先生だ。娘を悲しませるような事はしないよ。少なくともこの騎士から命令されない限りな」
「ええと、フィー隊長には色々と内緒で進めていた話があるんですけど……聞いて貰えますか?」
「何だ? 言ってみろ」
「背後の腕を僕が確かめた後でいいので一体成型の【内骨格】及び【内被筋】……いえ、陰陽自研内では【錬金粒体装甲】と呼ばれるものに置換してみませんか?」
『……私の腕を元に戻す方法をずっと探してくれていたのか?』
フィクシーが優し気に目を細める。
「あ、いえ、その……四本の腕だと仕事が捗るとか皆さんに言ってるのは知ってます。でも、寝る時に邪魔じゃないかなぁって……」
『まぁ、そうだな。寝台を特注したのは内緒だ』
おどけてみせたフィクシーにクローディオはこいつも成長してるんだなという感慨を抱いたが、顔には出さないよう内心でニヤニヤしておく事にする。
「フィー隊長の魔術は切り札です。でも、それを十全に相手へ打ち込む事が出来ても肉体の強度を増させる事が出来なければ、最悪……命を落とすでしょう」
『ああ……』
「それで陰陽自研で片世さんのデータや肉体の強化案を色々と練った結果として肉体を強化するよりも肉体へ密接に関わる道具で因果的な繋がりを補強するのが良いんじゃないかと思ったんです」
『具体的にどうする? 概念魔術系統の術式は騎士団には殆ど新規からの開発になるはずだが……』
「道具を作る時、沢山の人に関わって貰います」
『沢山の人?』
「因果律の集束による事象の決定には常に大量の相互関係のある因果が複雑に絡み合いますが、それを更に極大化する方策を取ります。簡単に言えば、一つの武具にあらゆる人々を直接的に関わらせて世界の消却からの防波堤にします」
『……つまり、国家のあらゆるリソースを使って武具を作ると?』
「はい。僕がこれからデータを取る事になるモノはかなりのリソースを喰う道具になります。ソレを叩き台にして今研究中のソレを開発後、フィー隊長の両腕そのものを共に用いて練成出来れば、効果はあるはずです」
『分かった。期待して待っていよう』
「は、はい!!」
それから幾らか話した後。
少年が通信を切る。
後ろのエヴァが少年をこいつ本当にアレだなという顔で見ていた。
「?」
「【錬金粒体装甲】の概要と設計は見た。魔術や錬金術とやらを最大限に使った代物なのは分かる。それをお前がこれから使う【全躯体義肢装甲】にってのも悪くはないだろう』
「そう言って頂けて安心しました」
「だが、分かってるのか? 両腕だけとはいえ、負荷は並大抵のストレスじゃないぞ? ただの人間に2本も耐えられるか? オレは一本でも限界ギリギリだと思ってたが……」
「そこは問題ありません」
「何?」
「結城さんの手前、ああは言いましたが……無いわけじゃないんですよ。ストレスを完全に消し去る方法」
「……有るのか?」
「ええ、今記述中のHMC2による錬金技能の再現が可能になれば、過去の錬金技能の最大の特性が生かせます」
「特性?」
「僕の錬金術は実際に物質変換を行う代物ですが、その本質はAをBに変える事じゃなくて、A+B=Cという物理法則をA+B=ABまたはA+B=Xにするというものです」
「……待て。何だ? 原子変換が本質じゃないと?」
「はい。錬金術には幾つかの分野がありまして……僕らの世界における錬金術の最先端は恐らく波動錬金学。あらゆる世界の事象を波動によって定義して、波動のエネルギーさえあれば、何でも作れる真に万能な唯物論的な学問なんですが……昔の錬金術は概念論も主流派の一つで。僕はそちらを主に修めてます」
「概念論的なのが魔術。それがこちらの常識だったんだがな」
「一応、最新式の方も魔導に取り込まれたところもあるので唯物論的なのも齧ってはいましたけど……」
「つまり、お前は昔の錬金術の方が使える、と」
「はい。昔の錬金術は魔術体系の中では極めて優秀な部類でした。そのおかげで世界最先端である魔導にすらも影響は多大でした。概念論系の錬金術における最大の特性は“世界法則の置換”です」
「世界法則の……置換?」
「つまり、熱量の第二法則を別の法則に置換して、一時的に無効化したりします……概念魔術体系に組み入れられる錬金大系は特に法則干渉……いえ、法則置換による無限機関の作成などに使われたという話もあります」
「待て待て!! つまり、お前がやろうとしている事はあの副団長代行の魔術とやらで消えそうになるという法則の大本やストレスを感じる事に関わる法則を……」
「はい。一時的に別のものに置換します。と言っても所詮は魔力にモノを言わせるだけの拙い術式……恐らくかなり難しいでしょうし、効果もあまり出ないかもしれませんが、やらないよりはマシでしょう」
「そんな事をしてお前は大丈夫なのか?」
「いいえ、あんまり大丈夫じゃないかもしれません。というか、大陸でも七教会が出来るまでは無限機関を持つ国家は稀少でした。錬金術師は大量にいましたが、上位の者の殆どは時空間の大系を扱う術師と同じで行方不明が大量だったという話も一部では聞かれます……」
「何に殺される? いや、無かった事にされる類か?」
「ええ、世界の恒常性。この世界を世界たらしめる法則群からの干渉でも受けるんじゃないかと個人的には思ってます。でも、これを扱う術師本人よりも創作した本人の方が最初に消えますよね? 因果律的な繋がりで言えば……」
「卵が先で鶏が後、と」
「でも、僕は特別です。死んでいるモノは死なせられません。特に物理的な破壊ではなく概念や法則による死なんて恐らく矛盾してしまうので消却しかないでしょうが、その消却自体の定義を死と置き換えれば……」
「つまり、お前のところでその法則からの干渉は止まると?」
「可能性はあります。それもかなり高い……それにこう言うとアレかもしれませんが、好きな女より後に死ぬ男って格好悪いと思うので」
エヴァがその言葉にもはや止める類の言葉は何も言えなくなった。
「お前……騎士に向いてるよ……この格好悪い男の代表みたいなオレが言うんだ。間違いない」
「ありがとうございます」
「じゃあ、いいんだな?」
「はい。やって下さい。全身埋め込み式で」
「こんな事の為にアイルランドくんだりまで呼ばれるとは医者冥利に尽きる。自分の体で人体実験か……ウチの娘が訊いたら泣くな」
「あ、それに関して何ですが、聞いてますか?」
「何?」
「ええと、フィー隊長とヒューリさんが騎士見習いの学校の願書を送ったそうですよ」
「―――は?」
「ええと、実に言い難いんですが……僕の体を弄る男に対する嫌がらせ行為だそうです……」
「聞いてない……あの子から何も聞いてないぞ!?」
思わずエヴァが喚いた。
「ええと、ヒューリさんとメールでやり取りしていたりする事は?」
「聞いてない!!」
「でも、あちらは本気で切実だそうです。お父さんは傍で見守ってないと。いつか、消えちゃいそうに思えるから、とか」
「―――」
「本人の意向で調べましたが、後方職向きでした。一応、《《保護者》》の同意が取れてないので保留にしてありますが、どうしますか?」
「クソ……そんなの聞いてあの子が生き残る確率を下げる感情的な意見をオレが言えるとでも?」
「一応、ガードとして騎士1人が付いてるので、保護者としてなら別の道を用意してあげる事は可能ですけど」
「ああ、クソ……最短で最速で仕上げてやるとも……その小奇麗な体の毛細血管一本まで組み込んでやろうじゃないか……今更、狂気云々と御託は並べない。震えて明日を待つといい。意識が戻れば、超人にしておいてやる」
八つ当たり気味に男が自分の横に置いてある巨大なトランクを蹴った。
その弾みで開いた中身が冷気の中から現れる。
現在地は黒武医療ブロック内。
寝台の上に座っていた少年は内側に収められていたソレを見る。
「これが……」
それは骨格を蔽い、内臓に寄り添い、筋肉を護る為にある保護膜のような薄さも併せ持つ標本染みたDC製の内部構造だった。
輝きは今霜が降りた表面に無いが、明らかに人間に移植するというよりは―――人間をソレに移植する、と言うのが正しいと誰の目にも解るだろう。
脳を、内臓を、背骨を、筋肉を、皮膚を……正しく改造人間なんて馬鹿馬鹿しい単語を昭和世代の人間ならば思い浮かべたかもしれない。
そんな骨格標本というよりは機械の骨格がそこにある。
各パーツの接合は複雑そうに見えるが、埋め込んで間を繋げるというのならば、逆に単純かもしれず。
足先から頭の天辺まで……肉を切り、皮を剥ぎ、骨を断ち、関節を外し、その状態のバラバラになった肉体をソレに埋め込んで繋げる……。
そういうモノなのは見れば本能的に誰もが理解出来た事だろう。
「陳腐だろ? これが究極的には地球環境が終わっても外部で生きられる生物になれる可能性がある装備の叩き台だってんだからな」
その日、12時間程、騎士ベルディクトの業務の停止が発表され、善導騎士団、陰陽自、シェルター都市、ロス、シスコ、イギリス間での様々な決済や会議や物流が3割程途絶え……それを知る人々は空を見上げた。
また、あの子が何かしているに違いないと。