痰壺(三十と一夜の短篇第22回)
痰会のある日は、朝から鬱になる。
押入にしまいこんだ筒状の桐箱を取りだす。蓋を開けると、紫色の袱紗。曜変の目玉模様が入った、黒い釉薬の痰壺。わが家に代々つたわる名物である。
方丈の庵室、庭を掃ききよめる。体を洗いきよめ、和装する。引きしまる思いだとかやりがいだとかはない。ただの、こなすべき作業にすぎない。家業だから致しかたない。痰道の家に産まれてしまったことが、運の尽きである。
痰道。
誰もこれを、おかしいともなんとも思わない。気色がわるいと思っているのはどうやら、私だけのようだ。この国に、私ひとり。私の感覚のほうがおかしいらしい。黙して語らず明かさず、墓のなかにまで持ちこむしかなさそうである。
庵室にふたりの客を迎える。父の代からの、わが家の門弟である。きょうはまだ、私がもてなす側だからいい。もてなされる側だったら、ほんとうに気が重い。ああ、こんな家に産まれなければ......職業選択の自由に則って、こんな世界とは無縁でいられたのに。ただただ、わが身の不運を呪うばかりである。
かぁーっ、ぺっ。痰壺のなかに痰を吐く。わが身から出た詫のような、錆のような。黄色い蛆めいた汚物を溜めこんで、一個の汁物となす。
かぁーっ、ぺっ。かぁーっ、ぺっ。何度もくりかえして最後のほうは、血の赤が混じる。これを柄杓(家伝の名器)でよくかきまぜる。黄色の渦に、赤色は呑みこまれる。煮沸もなにもしない。ただたんに、痰をかきまぜただけの汁物。それを柄杓で掬い、茶碗によそう。これもわが家の家宝、天目茶碗である。
茶碗に移した私の痰を、茶筅でかきまぜて泡だてる。泡だってまろやかになったそれを、客に差しだす。客はとまどうことなく、茶碗を手に取る。作法に従って三回、左へ茶碗をまわす。茶碗を持ち、口をつける。音を立てずにそれを啜る。
「けっこうなお点前で」
客はそう言って、つぎの客に茶碗を差しだす。つぎの客も同じように、私の痰を啜る。「けっこうなお点前で」と同じことを言う。同じ茶碗で私の痰を啜ると、ふたりの客は帰っていった。長居は無粋。
ほーっと、胸を撫でおろす。痰壺をかかえあげて、庭の叢に痰を撒く。べっとりと、草に絡まる黄色い粘液。やがて養分に変わるだろう。
痰壺を洗う。水を拭きとって、桐箱にしまう。着物を脱いで、部屋着に着かえる。客の去った庵室で、ごろりと横になる。痰道などというおぞましいものを、いったい誰が考えついたのか。そうしてそんなものがどうして、芸事として承認されてしまっているのか。常識というものに照らしあわせれば、こんなに気持ちのわるい奇習もないはずである。いかに常識というものがあてにならないあやふやなものであるか、この一事で明白である。常識をこそ疑うべきである。
ただし私は、常識に逆らわない。迫害されるのは避けたい。息を潜めて生きていくしかない。




