Wind blows through.
二月十四日。
それは世間一般ではバレンタインデーとして、大多数の若い男女が活気づくイベントと言っても過言ではない。
女性が、意中の男性へとチョコレートを贈るのが一般的ではあるが、最近では意中ではない男性への義理チョコ。女性同士の友チョコ。他にも、何かにつけてチョコレートを贈り合う事が増えている。
かく言う自分も、決して多くはないがチョコレートを貰った。
ただ、一つだけ気になることがあるとするなら、いつの間にか学校の自分の机の中に入れられていた、差出人が不明のチョコレートである。
差出人不明のチョコレート。
怪しむ気持ちが無いわけではなかった。
けれど、それとなく周囲の様子を探ってみても入れ間違えられたなどという事は無いようで、それを裏付けるように、帰りの下駄箱に無機質な文字が打たれた手紙が入れられていた。
それにも差出人の名前は書いていなかった。
隣で、長い付き合いである友人がラブレターだとからかってきたが、白い封筒に無地の紙。そして、機械的に打ち出された文字という、とてもラブレターとは思えないような手紙に、一言。
『机のチョコレート受け取ってください』
とだけ、書かれていた。
家に帰って、机の中にあったチョコレートを確認してみることにした。
やはり、差出人が不明なだけあって、他の直接渡されたものより少し気後れしてしまう。
包装紙は綺麗にかけられており、破いて開くのも躊躇われる。
仕方なしに、少しずつ、少しずつ破れたりしないように包装を剥がしていく。
中から出てきたチョコレートは、一目で分かるほど高級なチョコレートだった。
そういったものに疎い、自分でも知っているようなブランド名が、眼下にあるのだ。
確か、最近有名なTV番組で紹介されて、早いうちから予約をしないと買うことすら出来ないとか言っていたような気がする。
……食べるのが勿体無いぞ。
だが、食べずに捨てるのも勿体無い。
意を決して、煌びやかに並んだ一つを手に取り、口の中に放り込む。
美味しい。
何が、というのは分からないが、今まで自分が口にしたチョコレートとは決定的に違うものであると確信できた。
チョコレートって、こんなに美味しかったのか。
次に口にした手作りのチョコレートは、申し訳ないけれどどこか味気無く感じてしまった。
手作りが一番だなんて、自分の舌は言ってくれなかったみたいだ。
翌日、学校へ行くと昨日の浮いた空気は何処へやら。
今までとは一部、距離感の変わった人達も居るようだが、自分の周りに変化はない。
勿論、差出人については分からないままだった。
昨日のラブレターもどきを知っている友人に聞いてみたが、やはり心当たりはないようだった。
三月十日。
あれから何気なく日々を過ごしてきたが、そろそろホワイトデーが目前まで迫っていた。
貰ったものは、やはり気持ち程度でも返しておかなければならないと、適当な市販のクッキーを購入し、準備をしておく。
そして、思い出す。
例の高級チョコレートを贈ってくれた相手に、何か返した方が良いのだろうか?
あれだけのものを貰っておいて、そのまま放置というのも気が引ける。
だが、今からではあれだけのものは間に合わないし、見ず知らずの相手にそんな高級なものを買う必要もないだろう。
もう一度友人に相談してみる。
流石に友人も困ったような返答しか無かった。男だもんな、当然か。
三月十一日。
学校へ行ってみると、靴箱に手紙が入っていた。
白い封筒。これには見覚えがある。あの高級チョコレートの差出人だ。
『お返しは不要です』
それだけだった。
だが、何か少しもやもやとしたものが残る。
席に着くと、自分の前の席に座る友人に話をしてみる。
すると、困ったように笑いながら、どうしてもお返しを用意したいのなら、持ってくるだけ持ってきてみたらいいんじゃないかという提案を貰った。
なるほど、上手く行けばお返しができるかもしれない。
出来なければ自分で食べればいいだけだ。
友人ナイス。流石だ。
三月十四日。
放課後。結局差出人は現れなかった。
通学鞄の中に眠っているクッキーは、どうやら自分で食べる事になりそうだ。
……お腹が鳴る。
少し気を張っていたからだろうか、小腹が空いているようだ。
鞄からクッキーを取り出そうとしたタイミングで、友人が後ろから追い掛けてきた。
少し走ったのだろう、薄らと汗が浮き上がっている。
丁度いい。
クッキーの包みを開けて、一つ口の中に放り込む。
普通のクッキーだ。
自分が渡せなかった事を、友人はそれで気付いたようだ。
更にもう一つ、クッキーを咥え、友人にもクッキーの入った箱を差し出して処理の手伝いを促す。
気付いた時には、友人の顔が目前にあった。
自分の咥えていたクッキーは、友人の口へと移り、彼はそれを咀嚼し、飲み込んだ。
何が起きたのか分からない。
彼の顔が目前に迫って、一瞬、柔らかくて、温かい感触が口に触れたと思えば、彼がクッキーを口にしていた。
まるで風が通り抜けたかのように。
足を止めた自分に、彼は顔を赤らめ、目を逸らす。
その反応に、瞬間的に自分の顔も熱くなったのを感じた。
そして、彼は一言、言い残して走り去っていく。
『お返し、ちゃんと貰ったから』
その言葉で漸く察した。
あの高級チョコレートの差出人が、誰であるのかを。
私はとんだ鈍感女だったみたいだ。
真っ赤な顔を隠して、家へと帰る。
明日から、どんな顔をして会えばいいんだ。まったく。