第9話
「ほら、皆さん、歩くのが遅いですよ」
キールは今、誰よりも前を歩いている。町の外に出たことがないというのは言葉の通りだったようで、何気ない景色の一つですら実に楽しそうに眺めていた。
しかしもうすぐ彼の歩く速度は遅くなり、誰よりも後ろを歩くことになる。
長い距離を歩くための体力の分配ができておらず、元気に任せて歩くものだからすぐに体力がなくなり休憩を提案してくるのだ。これまでにそんな事が2度、3度とあったせいで、当初予定していた二つ目の小屋までは今日中に辿り着けそうになかった。
また、キールの持つ革袋の中には少しの食糧だけしか入っておらず、歩いてお腹が空いたからと計画性もなく口に入れる。他に何も持ってきていないことについて、本人曰く、何が必要なのか分からなかったというのだが、それを誰かに聞くでもなく町を出てきているということに、アッシュ達は呆れてしまわずにはいられなかった。
総じて判断するに、キールは物事の全体を見て判断するということができていないのだ。
恐らくそういった部分が、キールと冒険者達の間に溝を作っているのだろう。
「キールの同行を勝手に決めてすまなかった」
アッシュ達がそういった判断をキールに下していることを感じ取ったのか、ガレアが話しかけてきた。
「だが、初めは皆同じだ。キールのように端からは危うく見えるものだ」
自分はあそこまで酷くなかった、アッシュのそんな気持ちが、少しだけ表情に出る。
「お前は、いや、お前達はずっと二人一緒だった。それに旅に出るまでに俺やカーマインさんが色々と教えてあったからな」
お前達もこれからは教える側の立場になる、とガレアは言う。
「実績を重ねれば色々と頼られることになる。それは組合員の同行であったり、新米の冒険者の手助けであったりな。キールの同行を許可したのは、その為の練習だと思えばいい」
そんな話をガレアがしている間に、前を歩いていたキールの後ろ姿は随分と近づいてきていた。
一つ目の小屋に辿り着いた時点で、既に辺りが暗くなっていた為、今日の移動はここまでとなった。
獣狩りに出た冒険者達が拠点とするのは町から四つ目の小屋という話だ。冒険者のみで足の早い彼等ならば明日には間違いなく到着しているだろう。それに引き換え自分達は、とアッシュはキールを見る。
キールは慣れない長距離の移動と、それに見合わない靴のせいですっかり歩く気力をなくしていた。この調子では明日も次の小屋に辿り着くのでせいぜいだろう。
予定では明日から森に入って竜を探すはずだった。しかしキールが現れたことにより、少なくとも明日から4日間はこの事に費やさなくてはならない。
それを面倒だと思う気持ちもなくはない。
しかしガレアに言われた事を考えると、確かにその通りだとも思う。子供の頃から自分にはディーンがいたし、生きる術を教えてくれる先生がいたのだ。自分には常に助けてくれる人がいた。
にも拘らず、とアッシュの思考はあの日の洞窟に向かう。一人ではないのに無茶をして、オークに殺されかけたあの日。自分の行動を今になって省みると、いくら旅を始めたばかりだからとはいえ、それは危うく見える等という生易しいものではなかった。
穴があったら入りたい、アッシュは一人、そんな気持ちになっていた。
そんな時、突然キールの叫び声が響く。
叫んだ原因は、何のことはない、森から出てきたファングに驚いたからだった。とはいえファングの体は普通の狼よりも大きい。その存在を知らなかったキールにとっては、その姿が例の獣に思えたのかもしれない。
「ファング」
アッシュの呼び声で、ファングは驚いたまま固まっているキールの横を通り抜け、軽やかに近づいてきた。
地面を叩き、その場に横にならせると、アッシュは先ほどまでの自分を恥じる気持ちを隠すようにファングのお腹に顔を埋めたのだった。




