第53話
「この道を通れば内陸に住む方々も容易に海へと辿り着けるようになります」
聖女の案内で道なき道を進む。しかし他の場所と比べて平坦な地形が続くこの場所を上手く切り開けば、海へと続く道路を作ることができるだろう。
「しかし人間が海へと辿り着くことに何か意味があるのでしょうか」
冒険心は満たされるかもしれない。しかしそれ以上の価値をアッシュ達は思い付かなかった。
「海の水は飲めません。なぜなら塩が溶けている水だからです」
「塩が、ですか。あの水全てに?」
アッシュ達には考えられないことだった。父の扱う商品の中にも塩はあったが、それは多くは扱えない貴重な岩塩であった。
「はい、ですから人が海へと辿り着き、製塩技術を開発すれば、今よりももっと豊かになるでしょう。」
「それも、視えたのですか?」
「いえ、これはあの場所で長く過ごすうちに思い付いたことです」
「聖女さんはずいぶんと楽しそうに話すんだね」
未だ顔の知らない聖女はアッシュ達と話をする時いつも楽しそうだった。心なしか歩く足取りも弾んで見える。
「そうですね。長い間誰ともお話をせずに暮らしてきましたから、とても楽しいです。たくさんお話ししたいことがあるのに、でもそれが何なのか思い付かない。そんなもどかしい気持ちさえも今はとても楽しいです」
聖女の無邪気な言葉に皆の顔はほころぶ。聖女だと言われても目の前にいるのは一人の少女だ。たった一人であんな場所で暮らしてきた可哀想な女の子なのだ。
「焦ることはない。これからたくさん話をすればいい」
アッシュの言葉にどんな顔をしているのか分からないが、「そうですね」という聖女の声は少し寂しそうだった。
「羊頭の魔人と戦うことになるのはいつですか?」
黒剣の柄を強く握りながらディーンが問う。
「崖の拠点に辿り着く少し前に。ですから今は力を抜いて頂いても大丈夫ですよ。今日や明日に出会うことはありませんから」
聖女は優しく答えた。
「そうやって先のことが分かるのはどんな感じなんだい?」
顔に当たる枝を鬱陶しそうに払いながらヴェラが言う。目の見えない聖女は枝や草を上手く避けながら歩いている。
「上手く説明できないことは先日もお伝えしましたが、それでもよろしいですか?」
「ああ、構わないよ。黙って歩くのは退屈だからね」
ヴェラの言葉に頷いた聖女は「あなたには伝えておいた方がいいですよね」と話し出した。
この世界には目には見えない音の波があると聖女は言った。しかしそれが何なのかは聖女にも分からない。目の見えない聖女は靴の音や地面を叩く棒の音を上手く使うことで物理的な障害を把握できるのだと言う。
「災害や魔物達の襲撃を事前に把握できたのはまた少し違います」
それは音であったり微弱な振動であった。聖女はそういったわずかな変化から次に何が起きるのかを把握していたのだという。
「今の情報から結果を予想する、それが私の力の正体なのではないかと自分では思っています。ですから私には死のうとしても死ねない結果が視えたのでしょう」
この力は私の命を繋ぎ止めていますから、聖女はそう言ってヴェラへ向いた。
「ご理解頂けたでしょうか?」
「あたしには難しくてよく分からないや」
ヴェラは頭を掻きながら笑って答えた。
「ところでさ、どうしてそれをあたしに言っといた方がいいんだい?」
聖女が話始める前に言った一言が気になった。
「すぐに、分かります」
聖女の声は少し暗い。
「ふうん。それも、視えたってやつかい?」
「はい、この力は時に説明のつかない視せ方をしてきますので」
「やれやれ、ますます分からなくなったね」
ヴェラは理解することを諦めたのか、それから先は普通の話に戻ったのだった。




