第52話
「少し早いですが、皆様起きてみませんか?」
辺りがまだ薄暗い時間に聖女に起こされた三人は、まだ寝ぼけている頭で言われるがままついていった。
昨日はあんなに気持ちよく感じた風が今はひどく冷たい。
「こんな時間になんなんだい?」
ヴェラは少し不機嫌な様子だ。
「せっかくこんな大陸の果てまでいらしたのですから、皆様の記憶に少しでも残ればと思いまして」
間もなくですよ、と聖女の声は楽しそうだった。
今、四人は崖の上に立ち暗い海を見ている。誰もが無言でこれから何が起こるのかを待っていた。
「あちらを」
そう言って聖女が指し示す方向を見る。すると今まさに太陽が海から昇っているところだった。
暗かった海は太陽によって照らされ、少しずつキラキラと輝きだしている。
「きれいだね」
「はい、私にはこの光を見ることができませんが、しかし、世界が明るくなっていくこの瞬間が一番好きなんです」
冷たい風に冷えた体を照らす陽の光は心地好かった。
「さて、きれいな朝日を拝めたところで、早速出発しようじゃないか」
そう言って天幕へ戻ろうとするヴェラを聖女が呼び止めた。
「あ、まだもう一つあるんです」
聖女の言葉でヴェラが振り返ったとき、海の上で何か大きな音がした。
その音のした方へ皆が向く。海には大きな波紋。しかし何者の姿も見えない。
直後、今まで見たことのない巨大な魚が海の中から飛び出し、大きな水飛沫を上げて落ちた。
その光景にアッシュ達は何も言わずただ見とれている。
「初めてあれを視たとき、とても驚きました。今まで海の中が視えたことはありませんでしたから」
なんてことなかったんです、と聖女は続けた。
「何でも視えるつもりで竜へ赴き、自分のせいで仲間を死なせてしまったと思っていました。でも私の力なんて視えていないことの方が多かったんです。それが分かったとき、もう少しだけ生きてみようと、そう思いました」
今日見たこの景色を良い思い出として頂ければ嬉しいです、そう言う聖女の顔は見えないが、それでも微笑んでいるように思えた。
「こちらをお持ちください」
天幕に戻ると収納箱から聖女が取り出したのは簡素な作りの盾と胸当て、そして数本の短剣だった。
魔人との戦いを経て地下水脈に流された時、身を軽くする為にいくつかの装備を失っている。それによりアッシュ達の装備は非常に心許ないものとなっていたが、唯一その軽さからディーンの黒剣だけが残っていた。
「崖の拠点から回収しておいたものです。羊頭の魔人と相見えた時、役に立ちます」
アッシュが盾と胸当てを身につけ短剣をベルトに差し込んだ。ディーンも一本短剣を身につけ、あとはヴェラに渡す。
アッシュ達が装備をしている間、聖女は天幕の中を片付けていた。
「では、参りましょう」
そう言って天幕を出る聖女は何も持っていない。
「またここへ戻ってくるのですか?」
自分達を送り届けたあと、一緒に山を降りればいいのにとアッシュは思った。
「いいえ、ここに戻ることはありません。とはいえ荷物になるほど持ち歩く物もありませんので」
その為アッシュは聖女の言葉を一緒に山を降りるものだと受け取った。




