第30話
鉱山と町を行き来する荷馬車によって作られた轍はゆっくりと右へ曲がっている。しかし向かう山脈は正面、この先からは日頃人間の立ち入らない土地になってくるのだ。
その緩やかに曲がる轍の横に、ファングが座って待っていた。
「なるほど、ここなら間違いなく合流できる。本当に賢い狼だね、彼女は」
ファングはその言葉に大きく尻尾を振って答えた。
馬の操縦をディーンに変わってもらい、アッシュは荷台に移る。
兜を被り面頬を下げ、盾を手に持つ。いつ特異個体が現れるかわからない。アッシュは万全の状態で周囲を警戒した。
「気を張り詰めすぎじゃないのかい?」
ヴェラの声にアッシュはちらりと視線だけ向けた。
「あの時、不意をつかれたとはいえ何も出来なかった。その後の戦いでも二発で、たった二発の攻撃で俺は意識を失った。でもあれから鍛練を重ねて、少しは時間を稼げるようになったはずだ。羊頭を見つけたら俺が囮になるから、お前達は全力で逃げてくれ」
アッシュの言葉にヴェラが溜め息をつく。
「そういうところが駄目だっていうのさ」
ヴェラが荷台に立ち上がりアッシュの元へ向かうと兜を外した。
「いいかい?勝てそうにない敵が現れたとき、逃げるのは皆で、だ。あんたは日頃から盾役としてあたし達を守ってくれてる。でもね、自分が死にそうな時までその役をやろうとするんじゃないよ。駄目だと思ったら全部放り捨ててでも全力で逃げな」
差し出された兜を受け取るとアッシュはどうしたらいいのか分からず立ち尽くした。
「あれは遺跡探索の帰りにオーガに襲われた時の話だよ」
不意にマーヴィンが言う。
「俺と八人の冒険者は突然現れたオーガに戦列を乱され、浮き足立っていた。その時、部隊長で盾役の冒険者が皆に逃げるよう叫んだんだ。君と同じように自らを囮にしてね」
しかし誰も逃げなかった。誰も彼一人を犠牲にして逃げるつもりなどなかったのだ。
徐々に隊列を整え、オーガを囲む。もう一人の盾役がオーガの注意を引き、部隊長の負担を減らした。
「そうして誰一人死ぬことなく、オーガを追い返すことができた。あの時のヴェラちゃんの慌てようは今思い出しても笑いが込み上げてくるよ」
そう言って口に手を当ててくっくと笑った。
「仕方ないじゃないか、まさかあんなところにオーガが現れるなんて思いもしなかったんだ」
少し顔を赤らめヴェラは顔を背けた。
「でもね、アッシュ君。今こうして俺達があの時のことを笑えるのは皆が生きてたからだよ。もしもあの時部隊長を犠牲にして生き延びていたら、きっとこの話には触れられない。そしてそんな関係は長く続くことなく自然に消える」
生きてこそだよ、そう言うとマーヴィンはまた思い出してくっくと笑っている。
そういえば、とアッシュは思い出す。酒場でヴェラがこの話をした時も彼女は笑っていた。
そして思った。この先、この旅を思い出したときディーンやヴェラには笑ってほしいと。
「すまない、俺は自分がどうにかしないとって思いすぎていたみたいだ。これからは皆の命と同じように、自分の命も大切にする」
そのアッシュの言葉にヴェラは優しく微笑んでくれた。




