第32話「リンカの村」
―フォルフ地方・リンカの村―
突然現れたアルテミスを保護したキラウェルたちは、フェアリークリニックの中に居た。
今、処置が施されている最中だ。
祈るように待つキラウェルを見たアルフォンスが、彼女の右肩に手を置いた。
『あの妖精はきっと助かるよ。ここは…名医がいるからね』
アルフォンスは、微笑みながら言った。
彼の言葉に安心したキラウェルは、無言で頷いた。
暫くして、処置室から一人の女医が出てきた。
『アルテミスを保護したのは…貴女たちかしら?』
女医は、キラウェルたちを見渡しながら言った。
キラウェルが無言で頷くと、女医は再び口を開いた。
『狼に襲われた傷痕が見つかりました。傷も少し深かったので、こちらで彼女を預からせてください』
『狼!?狼なんているんですか!?』
女医の言葉を聞いたカンナが、驚きの声をあげた。
『フォルフ地方だけではなく、ハンダル地方のウルフウッドにも生息しています。しかし…ハンダル地方の狼は人を襲ったりはしません』
女医はそこで区切ると、再び口を開いた。
『ですが、フォルフ地方の狼も同じです…滅多に生物や人間は襲わないはずなのに…なぜ?』
アルテミスのカルテを見ながら、女医は言った。
『あの…アルテミスに、会わせてください』
キラウェルが、女医にそう言ったときだった。
処置室の扉が開き、アルテミスを託した看護師が出てきた。
『先生!アルテミスが譫言のように、キラウェルという名を言っているんですが…!』
看護師に、キラウェルたちの視線が向かれる。
自分のことだと思ったキラウェルは、右手を挙げた。
『貴女がキラウェルさんでしたか!こちらへお願いします!アルテミスが、貴女の名をずっと言っているものですから』
看護師はそう言いながら、キラウェルを処置室へと導いていく。
覚悟を決めたキラウェルは、処置室の中へと消えていった。
キラウェルが処置室の中に入った途端に、アルテミスは飛び起きた。
腕に痛みがはしったのか、痛そうに顔をしかめるアルテミス。
『アルテミス、ダメですよ。横になっていてください』
看護師が、慌ててアルテミスに駆け寄る。
『あの…何故名前を知っているんですか?』
キラウェルは、看護師に尋ねた。
さっきだってそうだ。
アルテミスを診た女医も、名前を知っていた。
もしかしたら…リンカの村人たち全員も知っているのかもしれない。
キラウェルは、そう思っていた。
『この村の者たちは皆…アルテミスを知っています。だって、オファニム様の相棒として知られていますから』
看護師はそう言いながら、アルテミスの腕に巻かれた包帯の交換をする。
やっぱり…そうだったんだ。
キラウェルは、心の中でそう思った。
すると、アルテミスがジェスチャーで何かを語り始めた。
しかし看護師にはわからないのか、小首を傾げている。
キラウェルは、アルテミスのジェスチャーを理解したのか、頷いてから口を開いた。
『オファニムの所へ帰りたい…そう言っています』
『貴女…アルテミスのジェスチャーがわかるんですか!?』
看護師は驚きのあまり、キラウェルに詰め寄る。
『はっきりではないのですが…何となくわかるんです』
キラウェルが少しだけ驚きながらそう言うと、アルテミスは嬉しそうに頷いた。
『帰りたいのはわかるけど…傷が塞がっていないからダメよ?』
看護師がそう言うと、拗ねるアルテミス。
『ははは…拗ねちゃった』
キラウェルは、苦笑いする。
『拗ねてもダメです』
看護師がそう言うと、余計に拗ねるアルテミス。
『まったく…』
ため息をつく看護師。
『アルテミス、今日はここにお泊まりですからね?』
看護師はそう言うと、処置室を出ていってしまった。
中に取り残されたのは、キラウェルとアルテミスだけ。
誰もいないことを確認したキラウェルは、口を開いた。
「傷を治してから、オファニム様に会いに行こうよ」
ハンダル語で、アルテミスに話すキラウェル。
しかしアルテミスは、嫌だと言わんばかりに頭を振る。
「何をそんなに嫌がってるの?」
キラウェルがそう言って、アルテミスに近づいた…その時だった。
「ガウッ!!!」
処置室の窓ガラスを突き破り、1頭の狼が中へ乗り込んできた。
「なっ……!?狼!?」
キラウェルはそう言いながら、鞘から白夜を引き抜いた。
狼は何故だがキラウェルに目もくれず、真っ先にアルテミスに襲い掛かろうとしていた。
狼の瞳を見てみると…正気でない色をしている。
「アルテミスから離れろ!!」
キラウェルはそう言いながら、魔法を発動した。
焔が狼に直撃し、外へと吹っ飛ばす。
騒ぎを聞き付けた看護師や女医…カンナたちも処置室に飛び込んできた。
『何があったの!?』
真っ先に飛び込んできたのは…女医だった。
しかし女医たちは、目の前の光景に言葉を失った。
何故なら…周りを狼たちが囲んでいたからだ。
『狼がこんなに…』
辺りを見渡しながら、絶句する女医。
『狼たちの目…正気を失ってるぞ』
ラルフも、辺りを見渡しなから言った。
『アルテミス!』
キラウェルはアルテミスに呼び掛け、彼女を再びローブの中へと隠した。
キラウェルが再び顔をあげると、狼たちは臨戦態勢に入ろうとしていた。
ふとキラウェルは、狼たちから黒い靄が出たり消えたりしているのに気付いた。
どうやら、狼たちが暴れているのは…これが原因のようだ。
今、キラウェルが所持する‘フェニックスの魔法’には、浄化技がない。
この靄だけを消し去ることができれば、狼たちはきっと正気に戻るはずなのだが…。
キラウェルが悩んでいる間にも、狼たちはキラウェルを睨み続けている。
考え抜いた末に…キラウェルは魔法を発動させた。
『仕方ない…フレイム!』
キラウェルがそう言うと、彼女の左手から焔が放たれた。
だが焔は、狼たちに当たることはなく、地面に当たって消滅していく。
どうやらキラウェルは、威嚇攻撃を行っているようだ。
『ここから…立ち去れ!!』
そう言いながら、焔を放ち続けるキラウェル。
あれだけ睨み続けていた狼たちも、次第に怯え始めてきた。
キラウェルが魔法の発動をやめた頃には、狼たちはすっかり大人しくなっていた。
『狼たちが…お座りしてる…』
カンナは、驚きながら言った。
『いきなりこんな事してごめんなさい…でも、もう苦しくないよね?』
キラウェルがそう言うと、何と狼たちは遠吠えを上げながら走り去っていった。
まるで…キラウェルに、ありがとうと言っているかのように。
騒動がおさまったからか、キラウェルのローブに隠れていたアルテミスが、再び出てきた。
それに気付いた女医は、アルテミスを優しく包み込んだ。
『あのキラウェルという女性…一体何者なのかしら?』
女医が、不思議そうに言った。
ひと騒動のあと、フェアリークリニックから出てきたキラウェルたちは、宿屋に来ていた。
宿屋の主人は、法皇様から聞いていたのか、すんなりとキラウェルたちを中にいれてくれた。
部屋の割り振りは…キラウェルとカンナ、ラルフとアルフォンスである。
まぁ、当たり前なのだが。
まだ陽が高いため、キラウェルは机に白紙の本をひろげて、何やら書き始めていた。
カンナはというと…手紙を書いているようだ。
相手は、もちろんファラゼロだ。
『よし…ここら辺で休憩しよう!』
そう言いながら、キラウェルは背伸びをする。
『そういえばキラウェルさん、最近何か書いてますよね?何を書いているんですか?』
不思議に思ったカンナが、キラウェルに尋ねた。
『秘密です!』
キラウェルは、悪戯っぽく言った。
『そう言われると…余計気になるのですが』
不満そうなカンナ。
『まだ1冊目なので、見せられないですよ。1冊分書き終えたら見せますね』
『約束ですよ?』
キラウェルの言葉に、カンナは微笑みながら言った。
二人が泊まっている部屋に、彼女たちの笑い声が満ち溢れた。
その頃ラルフとアルフォンスは、フォルフ地方の地図を広げて、額を寄せ合っていた。
どうやら…シンラまでの道のりを確認しているようだ。
『ラルフ…シンラまであと少しとなったけど、敵からの襲撃が、あのハルブ以来ないのが怖くないか?』
アルフォンスは、ラルフに尋ねた。
『確かにな…。あの手紙が届いた以上、奇襲を仕掛けてきても、おかしくない』
腕組みをしながら、ラルフは言った。
『もしかしたら…出方を窺っているのかもしれないな』
アルフォンスは、地図を見ながら言った。
『アルフォンス…それはどういう事だ?』
不思議に思ったラルフは、アルフォンスに尋ねた。
『敵が常に狙っているのは、キラウェルさんだよ?もしかしたら、彼女が一人になるのを待っている可能性があるってことだよ』
アルフォンスはそう言うと、広げていた地図を閉じた。
『だとしたらまずい…なるべく彼女を一人にしてはいけないな』
ラルフは、そう言いながら立ち上がった。
『ラルフ?何処に行くんだ?』
アルフォンスは、ラルフを見上げている。
『カンナさんの所へ行くのさ。俺らは周りの警戒をして、何かあれば助太刀すればいい。キラウェルさんの護衛は、あくまでカンナさんだからな』
『だけどラルフ…何かあってからじゃ、遅いと思うよ?常に非常事態と思っていた方が、僕らもカンナさんも、対応できると思うんだけど』
そう言うアルフォンスの言葉は、かなり的を射ていた。
ラルフも身に染みて感じていた。
『今回ばかりは場所が場所だけに、そうも言ってられない。アルフォンス…さっきの狼たちを見ただろう?あれは、キラウェルさんがハンダル地方から離れた為に、フォルフ地方にまで広がった闇だ。一日でも早く彼女をシンラへ送り届けなければならない』
そう言うラルフの表情は、とても神妙そうである。
『だとしたら…シンラに向かう理由は、一つしか考えられないね』
ラルフの言葉に、何故だかアルフォンスは納得している様子だ。
『だが一番気になるのは、彼女は‘あの事’を知っていてシンラを目指しているのかどうかだ。話を聞いている限りでは、知らない様子だった』
ラルフはそう言いながら、再び腕組みをする。
『ラルフ、シャンクス一族もかなり歴史が古いよ?もしかしたら…忘れ去られているのかもしれないね』
アルフォンスは苦笑いした。
『そうかもしれないな…とにかく俺は、カンナさんの所へ行ってくるな』
『わかった』
ラルフは、アルフォンスに見送られながら部屋を出て行った。
その頃、カンナとキラウェルの部屋では、手紙を書いていたカンナがいつの間にか眠っていた。
ふと目を覚ましたカンナは、違和感を感じ取って辺りを見渡し始めた。
『あれ…?キラウェルさんがいない』
さっきまで部屋にいたはずの、キラウェルが姿を消していた。
書きかけのあの本は閉じられており、ペンも机の上に置かれている。
キラウェルは必ず、どこかへ行く際はカンナに報せていた。
しかし、自分が寝ていたせいでもあるのか、それがなかった。
『まずいわ…!今キラウェルさんを一人にしては、大変な事になる!!』
慌てたカンナは、勢いよく立ち上がった。
と…そこへ、運よくラルフが部屋に入ってきた。
『あれ?カンナさん、キラウェルさんはどちらに?』
不思議そうに、ラルフはカンナに尋ねた。
『私が起きた時には、既に居なかったんです!』
『それは大変だ!早く彼女を手分けして捜そう』
カンナとラルフは、部屋を勢いよく飛び出していった。
その頃キラウェルは、近況報告を兼ねてオファニムに会いに来ていた。
傷が癒えないアルテミスに代わり、彼女のもとへ訪れていたようだ。
「そうでしたか…キラウェルさんが離れたばかりに、フォルフ地方にまで闇が広がっていましたか」
祠から聞こえるオファニムの声が、次第に下がっていく。
「オファニム様…闇を一時的だけでも封じることは出来ますか?」
キラウェルは、オファニムに尋ねた。
「やはり一日でも早く、シンラへ向かうことでしょうか。今はそれしか考えられません」
ごめんなさい…と、オファニムは続けて謝った。
「オファニム様が謝ることではありません、気を落とさないでください」
キラウェルは、凛とした表情で言った。
「ふふふ…キラウェルさんはお優しいのですね」
オファニムは、クスクスと笑いながら言った。
ふとキラウェルは、誰かの気配を感じ取って辺りを見渡し始めた。
慣れていない気配に、キラウェルも警戒を強くする。
「どうしました?」
不思議に思ったオファニムは、キラウェルに尋ねた。
「誰かが…こちらへやって来ます」
キラウェルは、そう言いながら白夜に手をかける。
彼女の行動を見たオファニムは、祠から気配を消した。
「何なのこの気配は…感じたこともない」
キラウェルは、辺りを見渡しながら言った。
暫くして現れたのは…さっきの女医だった。
『キラウェルさん、こんな所で何をしているんですか?』
相手が女医だとわかったキラウェルは、悟られないように白夜から手を離す。
『先生こそ…どうしてここに?』
キラウェルが女医に尋ねると、女医は祠に近づいてお供え物を置いた。
『私の家系は、代々‘天の魔法'を受け継いできたんです。ですが…遥か昔に起きた出来事の影響で、守護神・オファニム様は姿を現せなくなりました』
女医は一旦そこで区切ると、祠に向かって手を合わせた。
そして…再び口を開いた。
『この祠の場所は、私の家系しか知りません。キラウェルさん…貴女はこの祠で何をしていたんですか?』
そう言う女医の表情は、とても厳しいものであった。
おそらく彼女は、キラウェルの返答次第で襲って来る可能性がある。
キラウェルが返答に困っているのを見兼ねてか、オファニムが口を開いた。
『ユキ…変な疑いはよしなさい』
『オ…オファニム様!?』
オファニムの言葉に、女医…ユキは驚きを隠せない。
『わたくしが許可したのです。この方は不死鳥の守護がある女性です。ユキ…貴女と同じなのですよ』
オファニムに言われ、ユキは再びキラウェルを見つめる。
『とある事情で、ハンダル地方に居ることが出来なくなってしまったのです。これから先どうすればいいのか…彼女はわたくしに会いに来られていたのです。助言を求めて』
オファニムはそこで一度区切ると、再び口を開いた。
『いずれ訪れる暗黒時代を防ぐ為にも、ユキ…彼女の力になってあげなさい』
オファニムは最後にそう言うと、口を閉ざしてしまった。
ユキは驚きながらキラウェルを見つめている。
物凄く見つめられている為、キラウェルは苦笑いしか出来ない。
『そうだったんですね…。変な疑いをかけてしまい、ごめんなさい』
ユキは、頭を下げながら謝った。
『あ…謝らないでください!ですから、顔をあげてください』
キラウェルの言葉を聞いたユキは、安心したのかすぐに顔をあげた。
しかし穏やかな場面も、キラウェルに向かって飛んできたクナイにより、緊迫してしまった。
まぁクナイは、キラウェルが白夜で弾き返したが。
『クナイ…!?一体どこから飛んできたの!?』
ユキは、頭を抱えてしゃがんでいる。
『ユキさん、祠の近くにいてください。オファニム様がきっと守ってくれるはずです』
キラウェルの言葉にユキは無言で頷き、言われた通りに祠の近くに向かっていった。
キラウェルはというと、鞘から白夜を引き抜いて構えた。
『居るのはわかってるのよ…出て来なさい!!』
キラウェルは、辺りを見渡しながら言った。
しかし、クナイを飛ばしてきた人物は現れない。
キラウェルはまだ微かに感じる気配を察知しながら、辺りを見渡して警戒する。
暫くして、覆い茂った草から音がした為、キラウェルは反射的に振り返った。
草から現れたのは…黒装束の男だった。
『その格好…ガクさんと同じ忍ね!私を狙っているのは、ルスタの敵討ちかしら?』
キラウェルは、黒装束の男に尋ねた。
しかし男は問いかけにこたえず、無言でクナイを握りしめた。
『無言ということは…図星ね』
キラウェルはそう言いながら、白夜を握り直して構える。
祠の後ろで隠れているユキは、初めて見る戦闘に戸惑いを隠せない様子だ。
オファニムはというと、相変わらず黙りである。
『ルスタ様の仇…今ここで晴らしてやる!!』
男はそう叫びながら走り出し、キラウェルに襲い掛かってきた。
『今更敵討ちだなんて…懲らしめてやるわ!!』
キラウェルもそう言いながら、男に向かっていく。
禁断の地で、大きな戦いが…今まさに起ころうとしていた。




