第1話「レイウェアの願い」
ここは、ハンダル地方のとある場所である。
丘の上に聳え立つ、豪邸とも言える屋敷に、ブラウン家は住んでいる。
夜のブラウン家の屋敷から、女性の短い悲鳴が聞こえている。
その悲鳴に重なるように、男の怒号が響き渡る。
どうやら、男が女性に拷問しているようだ。
「言え!!レイウェア!!…魔法の力をどこにやった!!」
怒鳴り散らす男性。
「誰が……言うもん…ですか!!」
女性は、負けじと男性を睨み付ける。
「忌々しい小娘が!!」
男性はそう言うと、女性を蹴り飛ばした。
「うっ……くっ……」
苦しそうに唸る女性。
この男性の正体は、ファラゼロの父親・ファルドであった。
そして、彼の拷問を受けていたのは…レイウェアだ。
どうやらファルドは、レイウェアを捕らえることは出来たものの、魔法の力だけが失われていると知り、苛立っているようだ。
「300年もの間、俺たちブラウン家から逃げ続けていた…罰だと思え!!」
ファルドはそう言うと、レイウェアの頬を平手打ちした。
かわいた音が、地下牢に響き渡る。
「……頭を踏まれようが、罵倒されようが、命を落とそうが……私は…絶対に言わない!!口が裂けてもだ!!」
レイウェアは、あらんかぎりの声で叫んだ。
「小賢しい……魔法を使えずとも、不老にすがるお前は強欲な女だ」
ファルドはそう言うと、レイウェアの顎を持ち上げる。
「そんなに…自分の命が恋しいのか?」
「自分のためではない……魔法のためだ!!」
再び、レイウェアはあらんかぎりの声で叫んだ。
「お前らは…暗黙の了解を知らないんだ!!希少系の所持者が超希少系を持つとどうなるか…お前らは考えたことがないんだ!!」
ファルドを睨みながら、叫ぶレイウェア。
「うるさい!!黙れ!!」
ファルドはそう言うと、再びレイウェアの頬を平手打ちした。
「牢へぶちこんどけ!!逃げないように、錠をしておけよ!!」
そばにいた部下にそう指示すると、苛立ちながら地下牢をあとにした。
「ほらっ!立ちやがれ!!」
ファルドの部下に取り押さえられたレイウェアは、再び牢の中へ投獄されてしまう。
「また明後日…取り調べをするからな!!」
部下はそう吐き捨てると、牢の鍵を厳重に閉めて立ち去ってしまった。
静寂に包まれた地下牢で、レイウェアは天井を見上げる。
蝋燭の灯りだけが、この場所にとって頼りのあるものだ。
「まずい……このままじゃ、キラウェルが危ない…!」
両手と両足首を枷で固定されたレイウェアは、思うように動けない。
「お願いです…父上!娘を…キラウェルをお助けください!!」
泣き叫ぶレイウェア。
そんな彼女の叫びは、誰にも聴かれることなく…闇に吸い込まれていった。
ー翌朝ー
横たわっていたレイウェアは、ランプの灯りで目が覚めた。
「あ…起こしてしまいました?」
そう言って笑う青年。
レイウェアは、この青年を知っていた。
何故ならば…少しの間交流していたからだ。
「ファラゼロさん…」
彼の顔を見た途端、大粒の涙を流すレイウェア。
「その怪我……親父ですか?」
ファラゼロは、心配そうな表情だ。
「ええ…酷い拷問だったわ…」
レイウェアは、涙を拭うことが出来ないため、ただただ流し続ける。
このファラゼロは、父親のファルドとは違い、地位や名声などに全く興味がない青年だ。
住居区が襲撃される前、彼と少し交流していたレイウェアは、彼しか信じないと決意していた。
ふとファラゼロは、地下牢に誰かいないか確認するかのように、辺りを見渡し始めた。
まるで…聴かれてはまずい話を、これから始めるかのようだ。
誰もいないことを確認したファラゼロは、口を開いた。
「レイウェアさん…よく聴いてください。キラウェルさんは、カンナが責任をもって護っています」
「え…カンナさんが!?」
「そうです。カンナは、フォルフ地方のシンラに詳しいので、キラウェルさんは今…そこを目指しています」
キラウェルとは、レイウェアの一人娘だ。
襲撃されたあの日、魔法の力のみを受け継いだ女性。
カンナとは、そんなキラウェルを護衛している、ファラゼロの従者だ。
「キラウェルは22歳……もうすぐ23歳になるんです。本当にあの娘には…辛い運命を背負わせてしまったわ…」
よほどキラウェルが心配なのだろう。
レイウェアはファラゼロに懇願する。
「お願いです…ファラゼロさん!ファルドに見つかる前に…!!」
「大丈夫です…わかっています。キラウェルさんは、俺たちが全力で護ります!親父に見つかる前に、シンラヘ送り届けますから、レイウェアさんは…とにかくキラウェルさんのことは言わないでくださいね」
ファラゼロがそう言うと、レイウェアは強く頷いた。
「口が裂けても言いません……私の願いは、キラウェルが無事に生き抜くことだけですから」
レイウェアはそう言うと、少しだけ微笑んだ。
レイウェアと別れたファラゼロは、長い廊下を歩いていた。
床にはレッドカーペットが敷かれており、奥まで続いている。
「無事に生き抜くこと……か」
先ほど、レイウェアが言った言葉を、繰り返したファラゼロ。
「確かに…そうだな」
ファラゼロはそう言うと、窓を見つめる。
窓の外は海が一面に広がっている光景が見られる。
今はカーテンのせいでうまく見えていない。
ファラゼロはカーテンを開くと、窓の外を眺める。
「今頃…どの辺りまで行ったかな…」
海を眺めながら、ファラゼロは呟いた。
太陽に照らされ、水面がキラキラと輝いている。
静かな波の音は…ファラゼロの心を清らかにしてくれる。
まだ16歳の青年が…普通ここまでするだろうか?
理由はまだわからないが、何かしら理由がなければ、こういうことは出来ない。
「ファラゼロ」
ファルドがやって来た。
「親父…」
少し嫌そうなファラゼロ。
「お前に大切な話がある…ついてこい」
ファルドはそう言うと、踵をかえして歩き出す。
言い訳を跳ね返すようなファルドの背中に、ファラゼロは黙ってついていくしかなかった。
「大切な話ってなんだよ?」
歩きながら、ファラゼロはファルドに尋ねた。
「俺の部屋に着いたら話す…それまではダメだ」
厳しい口調のファルド。
このファルドの態度に、ファラゼロは何も言えなくなってしまった。
口を挟めば、きっと憤慨するからだ。
ファラゼロは短くため息をつくと、窓の外に広がる空を見上げた。
その頃キラウェルは、川の中流で一休みしていた。
近くにはカンナがいて、先ほど釣ったばかりの魚を焼いてくれている。
「焼けた!キラウェルさんー!焼けましたよー!」
串に刺さった魚を持ちながら、カンナはキラウェルを呼ぶ。
「……」
川を眺めていたキラウェルだったが、カンナのところへ向かった。
「食べたらまた歩きましょう…小屋まであと少しですので、それまでの辛抱です」
カンナはそう言うと、コップに水筒の水を注いでキラウェルに渡す。
「ありがとう…ございます」
コップを受け取ったキラウェルは、渇いた喉を潤す。
「美味しい…自分で焼いたから、なおさら美味しい…!」
カンナは先ほどから、魚を夢中で食べている。
「…………」
しかしキラウェルは、魚を食べようとはしない。
「キラウェルさん…どうしました?」
カンナは心配になったのか、キラウェルの顔を覗きこむ。
「私……この旅を、いつまで続けたらいいのでしょうか?」
キラウェルは、俯きながら言った。
「キラウェルさん…」
カンナはそう言うと、キラウェルの頭を撫でる。
カンナの優しさが身に染み込んできたのか、キラウェルは再び泣き出した。
声を出さずに、肩を震わせて泣き続ける。
「その涙を…希望に変えましょう。今はまだ辛いかもしれませんが、良いことがきっと起きます」
キラウェルの頭を撫でながら、カンナは言った。
キラウェルはただただ頷いた。
そして、泣きながら魚を食べ始めた。
カンナはその様子を見て、少しだけ安心した。
この二人が目指す「シンラ」とは、フォルフ地方の最北東に位置する里だ。
地図で見る限り、周りを森で囲まれているその場所は、周辺の村や町とは根絶したような印象を受ける。
更に北には「セルネア法皇国」が存在し、かなりの面積である。
「シンラ」はここに近いため、かなりの距離があった。
ファラゼロがキラウェルにここを紹介したのも、実は「セルネア法皇国」が関係してくる。
ファラゼロたちブラウン家は、「セルネア法皇国」を恐れており、周辺の国や地域にまで足を運べないのだ。
理由はわからないが、これに賭けたファラゼロは、とにかくキラウェルを北へ逃がそうとしていた。
「休憩は終わりです、歩きますよー!」
カンナはそう言うと、腕をぐるぐると回す。
「カンナさん…気合い十分ですね」
苦笑いするキラウェル。
後始末をした二人は、川沿いを再び歩き始めるのであった。