第15話「もう一息」
朝が訪れたミスリル村では、住民たちが既に動き回っていた。
畑を耕す者や、田んぼに苗を植えている者…実り始めた野菜を、嬉しそうに見つめている者…一番のどかな場面である。
キラウェルは、その風景を広場から見つめていた。
久々に気持ちよく目覚めたキラウェルは、とても清々しい表情をしていた。
そんな彼女の近くには…地図を広げているカンナがいる。
「キラウェルさん!」
カンナは、キラウェルを呼んだ。
「カンナさん…どうしました?」
キラウェルはそう言うと、カンナに近づく。
「現在地を確かめておきましょ?それに…フォルフ地方までは…あと少しとなりましたから」
そう言うカンナの隣から、キラウェルは地図を見つめる。
「今いるミスリル村は…どこにあるんですか?」
キラウェルは、カンナに尋ねた。
「ミスリル村は、ここですよ」
カンナはそう言いながら、ある場所を指さした。
そこは…地図上では中間だということがわかる。
「半分まで来たんですね」
「そうですよ。あともう一息です♪」
嬉しそうに、カンナは言った。
およそ1ヶ月間…キラウェルはシンラを目指して旅をしてきた。
シャンクス一族が滅んだあの日から、キラウェルの長い旅は始まったのである。
旅を続ける中で、失ったものも沢山あった。
しかしキラウェルは、旅で得たものもあると気づいた。
そして…キラウェルは精神的にも成長していた。
「カンナさん…この壁みたいなものは何ですか?」
キラウェルは、城塞のような場所を指さしながら言った。
「これは北の関所です。ハンダル地方とフォルフ地方を繋ぐ…大切な場所です」
「北の関所…」
地図を見つめながら、キラウェルはそう呟いた。
北の関所とは、フォルフ地方の者たちが検問を行っている場所でもある。
フォルフ地方は、大国・セルネア法皇国が統治するため、ハンダル地方を追われた者がいないか…目を光らせている。
「北の大国…セルネア法皇国は、ハンダル地方の者を嫌な目で見るんです。ですから、北の関所が最初の難関になります」
「最初の難関?それは何故ですか?」
キラウェルは、カンナに尋ねた。するとカンナは、眉を潜める。
「シンラ自体は隔離した集落で、セルネアの考えには賛同していません。しかし、ファルアンやリオシティなど…北の関所を含めた場所は、セルネアの指示のもと警備したりしています。安易にその場所へ行って、身元がバレてしまっては…元も子もありません」
「そ…それもそうですね」
カンナの言葉に、キラウェルは苦笑いするしかない。
「とにかく今は、北の関所がどういう状態なのかを…見に行きませんか?」
「見に行く?」
キラウェルは、小首を傾げる。
「話だけでは、なかなか伝わらないこともあります。ですから…偵察を兼ねて、北の関所へ行くんです」
カンナはそう言うと、真新しいローブを差し出す。
「シルクさん…マロンちゃんのお母様が、キラウェルさんが着ているローブを、洗ってくださるようです。この真新しいローブは、シルクさんから預かってきました」
カンナは、微笑みながら言った。
「シルクさんは…一体何をなさっているんですか?」
カンナからローブを受け取りながら、キラウェルが言った。
「お花屋さんですよ。しかもシルクさんは主婦ですから、家事全般はお手のものですよ」
「お花屋か…」
呟くように言ったキラウェルは、受け取ったローブを羽織る。
「さあ…北の関所へ偵察に行きましょう!」
こうして、偵察へ行くことになった。
カンナとキラウェルは、ルイエロの家で偵察へ行くための準備をしていた。
今回はあくまでも偵察のため、荷物も軽い。
「キラウェルさん…気を付けてくださいね?ここ最近…セルネアが取締りを強化したという話ですから」
様子を見に来ていたシルクが、心配そうに言った。
「大丈夫ですよ、カンナさんも居ますし…捕まることはありませんから」
キラウェルはそう言うと、まとめた荷物を持って立ち上がった。
「キラウェルさん、行きましょう」
カンナは既に、外へ出ている。
「わかりました」
キラウェルは、そう言って進もうと歩き出す。
しかし…それを拒む者が。
「おねえちゃん…いっちゃ…いやだ」
マロンが、キラウェルの右足にしがみつく。
「マロンちゃん…」
キラウェルはそう言うと、しゃがみこんだ。
マロンは涙目であった。
彼女は恐らく、キラウェルがもう旅立ってしまうと思っているようだ。
キラウェルはそんなマロンに優しく微笑むと、彼女の頭を撫でた。
「マロンちゃん…大丈夫だよ。様子を見に行くだけだから」
キラウェルがそう言うと、マロンの表情が明るくなった。
「ほんとう?おねえちゃん…すぐ戻ってくる?」
「もちろんよ、だから…ルイエロさんやシルクさんたちと待ってて」
キラウェルは、優しくそう言った。
「うん!おねえちゃん、早く帰ってきてね!」
マロンは、笑顔で言った。
そしてキラウェルは、カンナと共に北の関所へと向かった。
-数時間後…-
北の関所に辿り着いた二人は、森の中から様子を窺っていた。検問をしているのは二人であり、怪しい者がいないか見張りをしている。
何人か関所へやって来ては、検問を無事に突破していく様を…キラウェルはずっと見ていた。
「…そうだった…しまった…。」
カンナは、思い出したかのように言った。
「カンナさん?どうしたんですか?」
不思議そうなキラウェル。
「北の関所を通過するのに必要な、通行証の存在を…すっかり忘れていました…」
「!?」
このカンナの言葉に、キラウェルは驚きを隠せない。
「通行証!?そんなものが必要なんですか!?」
「シルクさんが言っていた取締りの強化とは…通行証の提示を義務付けたことだったんですよ。現に…ほら」
カンナは、そう言って関所を指さす。
ちょうど…検問の二人と男性が何やら口論している。
「どうしても“シンラ”に用があるんだ!通してくれ!」
「ダメなものはダメだ!法皇様からの通達により、通行証を持たぬ者は、如何なる理由があろうと…通してはならんと、そう定められた」
話の内容から…この男性は、フォルフ地方の最北東に位置する、“シンラ”へ行きたいようである。
「娘が熱病にかかって苦しんでるんだ!特効薬は“シンラ”にしか無いんだ!頼む!!この通りだ!」
男性は、必死に頭を下げている。
「おい…どうする?」
そんな男性を見兼ね、もう一人の検問者がそう言った。
「お主…どこの出身だ?」
「サイファ村です」
「「!?」」
男性が出身地を告げると、何故か検問者の二人は驚いた表情になる。
「サイファ村だと!?熱病はいつからだ!」
「1ヶ月程前からです。しかもなんの前触れもなく、突然猛威を振るい始めたんです…俺の娘だけではありません…村に住む子供たち全員がかかっているんです!」
「おい!今すぐ法皇様へ伝書鳩を!」
「言われなくても…今やってるよ!」
その光景を見ていたカンナが、口を開く。
「サイファ村…セルネアとはかなり長く付き合ってきた村だわ」
「カンナさん…知っているんですか?」
キラウェルは、カンナに尋ねた。
「ええ…。サイファ村から出ている絹糸は、セルネアにとって大切な資源なんです。ほとんどの男性が、その工場で働いているという話です」
「では…あの男性も?」
「おそらく」
カンナはそう言いながら頷くと、再び関所へ視線を戻す。
キラウェルも、カンナに続いた。
「届いたか?」
「今届いた!」
もう一人の検問者はそう言うと、届いたばかりの伝書を相棒に渡す。
「法皇様直筆だ…“至急、シンラの薬師へ現状を通達したあと、こちらから医師を数十名派遣する”とのことだ」
「あ…ありがとうございます!」
男性は、嬉しそうに頭を下げた。
ずっと無言でその様子を見ていたカンナは、難しそうな表情をした。
「おかしい…ここで言う熱病とは、“壊熱病”以外考えられないわ…だけどサイファ村は、気候が関係していて壊熱病は発生しないはずなのに…」
「“壊熱病”って…そんなに恐ろしい病なんですか?」
不思議に思ったキラウェルが、カンナに尋ねた。
「“壊熱病”は、その名の通りの病ですよ。40度以下には下がらない高熱が続き、重度の感染症まで引き起こし…しまいには、内蔵を破壊して人を死なせる…本当に恐ろしい病なんです」
真剣な表情で、カンナは言った。
「そんな恐ろしい病が…何故?」
そう言うキラウェルの表情は、明らかに怖がっている。
「それはわかりません。ですが“壊熱病”は…子供大人関係なくなると云われています。しかし今は子供だけ…絶対におかしいです」
「カンナさん…一度ミスリル村へ戻りましょう!現状をファラゼロさんたちに伝えないといけません」
キラウェルはそう言うと、立ち上がって走り出す。
「それもそうですね…行きましょう!」
カンナも、キラウェルに続いて走り出す。
再び数時間かけて戻ってきた二人は、ルイエロの家で待機していたファラゼロとガクに、北の関所での出来事をすべて話した。
「サイファ村か…」
腕組をしながら、ファラゼロが言った。
「ファラゼロ様…いかがなさいますか?」
カンナは、ファラゼロの言葉を待っているようだ。
「サイファ村だと、俺とガクの方が顔が利く。カンナはここで待機していてくれ」
「わかりました」
カンナは、ファラゼロの言葉に頷いた。
「ガク…俺が頼んでいたものは出来たかい?」
ファラゼロはそう言いながら、何やら作業をしているガクを見る。
「もちろんですよ」
ガクはそう言うと、ファラゼロにある物を手渡した。
「これは…サイファ村の地形測量図か!」
ルイエロは、感心したように言った。
「実は…ガクに頼んで描かせていました。この測量図があれば、“壊熱病”が広まった原因を突き止められるかもしれない」
ファラゼロはそう言うと、測量図を懐へしまう。
「ファラゼロ様…サイファの現状なだけに、急いだ方がいいです!サイファ村へ行きましょう!」
ガクはそう言うと、外へと飛び出していく。
「ああ!しかし今回は馬を使うぞ!」
ファラゼロはそう言うと、軽く口笛を吹いた。
すると、馬の嘶きが聞こえてきて、二頭の馬が森から現れた。
「これで行けば、すぐに辿り着ける。キラウェルさんは、ガクと乗ってください」
「私…馬に乗るの初めてなのですが…」
不安そうなキラウェル。
「大丈夫ですよ、俺にしっかり掴まっていれば」
ガクは、優しく微笑んで言った。
ファラゼロは慣れているのか、華麗に馬に跨がる。
ガクもファラゼロに続いていくが、キラウェルはぎこちなく馬に跨がる。
「うわ…高い」
思わず出た…キラウェルの素直な言葉。
「キラウェルさん、しっかり捕まっていてくださいね!とばしますから!」
「え!?」
ガクのこの言葉に、キラウェルは思わず彼に強くしがみついた。
「よし…行くぞ!!」
ファラゼロはそう言うと、颯爽と去っていく。
ガクも馬を走らせた。
「きゃっ…」
キラウェルは短く悲鳴を上げたが、今は他のことを考えている余裕などなかった。
何故なら…馬のスピードが、思ったよりも速かったからだ。
「キラウェルさん…ちょっと力を緩めてくれません?」
苦笑いしているガク。
「む…無理です。振り落とされそうで…」
余程怖かったのか、キラウェルの声が上ずっている。
「俺…苦しいんですが…」
「へっ!?あ…す、すみません!!」
ガクが本当に苦しそうだったため、キラウェルは慌てて少しだけ力を緩めた。
「おいおいガク…そんな会話をしているから、ルイエロじいちゃんに誤解されるんだぞ?」
そう言うファラゼロの顔は、どこかニヤニヤしているようにも見える。
「ファラゼロ様までからかわないでください!」
「はいはい…」
「なんですか…その返事は?」
「べつに…」
「何か酷いですね…」
そんな、ファラゼロとガクのやりとりを見ていて、キラウェルはふと笑った。
そして…遠くの方に、集落が見えてきた。
「見えてきた…あれがサイファ村ですよ」
ガクに言われ、キラウェルは前を向く。
「このまま行くぞ!」
ファラゼロの掛け声で、二人は馬のスピードを更に速めた。
サイファ村では…一体何があったのだろう?
意図的に病を流行らせたのか…それとも…。
複雑な心境で、キラウェルはただサイファ村を見つめることしかできなかった…。




