7 三球勝負!
——前回までのあらすじ——
「わたしは、世界一のパティシエになる!」
べつにそこまでかわいくない顔と、いまいちふるわないスタイルを兼ね備えた普通の女子高生遠野エリは、洋菓子職人への大いなる夢をえがいて単身フランスへ飛び立った。
パリの有名洋菓子店に弟子入りし、修行を重ねる中、エリは道端で物乞いをする少年、クラタと出会う。
「これ、わたしが作ったケーキ。美味しくないかもしれないけど、食べてみて」
「…………」
もぐもぐ。
(マズっ……)
洋菓子を通じて、しだいに二人は心を通わせていく。
しかし、
「それは店の売り物なのよ! エリ、あなたはクビだわ!」
「ガーーーン!」
真面目一直線の先輩ルナに目撃され、エリのパティシエの夢は早くも潰えかかる。
そのとき、物乞いの少年クラタが、エリへの恩に報いるため、ルナの前に立ちはだかった!
「彼女の優しさ、そしてスイーツの味は世界一だ。彼女を侮辱することは、この僕が許さないぞ(棒読み)」
「なによ、物乞いごときが私にたてつく気?」
「二人ともやめてえっ! わたしの大切な先輩と、大切な物乞いが争うところなんて、見たくない!!」
クラタVSルナ。
こうして、戦いの火蓋は切って落とされたのだ――
「謝るなら今のうちよ、倉田。なにせ私は、フリースロー対決なら男子にも負けなしなんだから」
場所は、体育館。よく磨かれた茶色の床面が、一クラス四十人には広すぎるほどの広がりをみせている。
鉄カゴの中のバスケットボール。流奈はその一つをとり、慣れた手付きで床に弾ませる。
体育の授業は、流奈の働きかけで自習となった。いやいや、学校側にもちゃんと授業計画というものがあるだろうに、ええんかい。と思うが、要は体育の教師が空気を読んだということだ。
倉田はあからさまにダルそうな顔で、やる気満々の流奈に向かい合っている。
その周囲を、クラス全員が遠巻きに囲むかたちだ。
「この勝負にあなたが負けたら、これまでの行動をみんなに詫びて、改めてもらうわ」
流奈はにやりとして続ける。
「万に一つもないと思うけど、もし私が負けたなら…………そうね。クラス委員長の職を降りるわ」
(………………)
それ、実質現状となにも変わらないじゃん、と、クラスの誰もが思った。
流奈は軽くドリブルをしながら、フリースローラインへ。
そのまま、何気ない動作でシュートを放った。
ポスン。
リングへの接触なしで、ボールはゴールを通過。ゴールネットが美しく波打った。
「エリ、ボールをもう一球ちょうだい」
「え……、あ、はいっ」
たまたま鉄カゴ近くにいたエリは、慌ててボールを投げた。
ワンバウンドしたそれを受け取ると同時、流奈は二度目のシュート。
ボールは前回とまったく同じ軌跡を描いて、ゴールネットを揺らす。
「次」
周囲のざわめきのなか、エリがボールをパスして、三球目のシュート。
ポスン。
全く同じ軌道。機械が放ったような精密さで、ゴールが決まった。
流奈は倉田に振り返ると、微笑する。
「今の三球はノーカンでいいわ。でも、これで私の実力は…………わかってもらえたわよね」
おおお……と、周囲から呻きが漏れる。
「すげえ。さすが、〝フリースローマシーン〟……」
男子の一人が言った。
「中学時代、あの性格でめちゃくちゃ嫌われてて、一人でフリースロー練習ばっかしてたからついた異名よね……」
隣の女子が恐る恐る言った。
「そうしたら本当にフリースローがマシーン並みの正確性になったという……。試合には一度も出たことないらしいが、とんでもない選手だ……」
そう言う男子は、戦慄に身をすくませていた。すごい……! すごいんだけど、どうなのそれ……! というのは、少し離れて会話を聞いていたエリの心境である。
「三球勝負」
声高らかに、流奈が言う。
「多く外した方の負けよ。まぁないとは思うけど、決着がつかない場合は、どちらかが外すまでのサドンデスになるわ」
「…………」
倉田は、足元に転がったボールを見つめている。
そこにエリが慌てて走り寄った。
「倉田くん、な、なんかすごいことになっちゃったけど」
「…………」
数分前の教室でのいざこざは、非常に空気を読むクラスメイトたちによって、当事者二人の対決イベントへと昇華された。放っておけば教師などを巻き込んで騒ぎかねない流奈と、まったく真面目に応対する意思を持たない倉田、双方の性格を考慮した上での、考え得る限り最善の選択であろう。
「バスケ…………したことないんだよな」
「え……」
ぼそっと呟く倉田に、エリは返す言葉がない。
負ければ謝罪である。必要なら土下座も迫られるかもしれない。
「…………」
しかし、エリには、彼が負けるような気がしなかった。
おかしな話だが、たとえ相手がフリースローを外さない女で、彼がバスケ未経験だったとしても。
あのときの異次元な走りが、エリにそんな期待をさせていた。
「先攻、後攻、どちらでもいいわよ」
すでに勝ち誇った顔で流奈が告げる。
倉田はすると、黙って足元のボールを掴んだ。
おっ、と眉を上げて流奈は、
「練習してもいいわよ。それでもし入ったら、あなたの場合はカウントしてもいいわ! あはは!」
「いらない」
無愛想な返答に流奈の頬がヒクついたのも束の間、
——周囲の誰もが目を見開いた。
倉田の掴んだボールは、その手を離れると、軽やかに彼の股下を弾んだ。
そして力強く、掌と床面との間を往復した。
エリを追い越しかけた不器用なフォームとは違う、完全完璧なボールさばき。
目の前の流奈でさえ魅せられた。
(まさか——)
流れるような動作で、倉田はシュートを放つ。
(入る——)
皆が息を飲んだ、瞬間、
ガコンッ。
ひどく不細工な音がした。
ボールはゴールリングに跳ね返されていた。
直前の盛り上がりは一体なんだったのかというほどに、味気なくバウンドして転がっていくボール。
「…………く、倉田くん……」
エリは色々突っ込みたい気持ちで一杯だったが、こればかりは本人に何の責任もないので、どうにか抑える。
「…………」
倉田は一ミリも表情を変えない。
それを見ていた流奈は、軽く息を吐くと、妙に優しげな顔になって、
「——残念ね。もしかしていい勝負になるかもって、私も期待したんだけど」
転がったボールをすくい上げる。
「でも、シュートの前の動きは凄かったわ。なんとなく運動のできない人と思ってたけど、認識を改めることにするわね。——それじゃあ」
言葉を切ると同時、シュートのフォームに入る。
軽やかなスナップ。
放たれたボールの軌道は——、
(まったく、同じライン……!)
誰もが奇跡を見た。結局は目算でしかありえないのだが、しかし直前の三投と寸分違わないデジャヴを、四十人弱全員が感じることの凄まじさ……!
流奈が思った。
(入る)
エリが思った。
(入る……)
その他大勢が思った。
(間違いなく、入る——!)
ガコンッ!
…………。
「え?」
あるはずの地面を足が捉えず、空中に投げ出されたような感覚。
〝絶対〟の崩壊をエリは味わった。
他の者も同様に。
そして流奈は、自己の確信が揺らぐのを感じた。
……ボールはリングの内側に当たり、大きく跳ね返ると、無意味に宙を舞って床に落ちた。
「……何が起きたんだ……?」
「絶対に入るコースだった」
ざわめきの声が上がる。
「い、委員長……」
「どうすんだよ……」
流奈が当然のごとく勝利して事態は丸く収まると期待していた者たちが、目を合わせて囁きあった。
流奈は、
「………………」
ひび割れたプライドを守るように、必死で体を硬くしていた。
最後に外したのは、いつだったろうか。
もう何年も昔だ。どんなにふざけて投げても外さないのが当たり前になっていた。
「ふ、……ふふ」
無理につりあげた唇から声が漏れた。
「動揺……したのかしらね…………。お、思えば、さっき、パンツを見たから……」
パンツのせいにした。
「お、おもしろくなってきたじゃないの。パンツくん。ふふふは。ほら……ほら、投げなさい。一点入れて、私を追い詰めてごらんなさいよ」
(明らかに壊れかけてる……)
周囲は恐怖にたじろいだが、倉田は動じる様子もなく、
「じゃあ、遠慮なく入れさせてもらう」
ボールを手にし、ダンダンッ、とドリブルの直後、
華麗なクイックシュートを放つ。
ガコンッ!
「って、そこは入れるとこでしょーーー!!」
エリの叫びが体育館にこだました。