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5 気遣いの嵐!

「遅刻しました。すみません」

 みじめである。

 遠野エリは、ホームルーム中の教室にうなだれながら入って、明らかにこの事態に納得いっていない顔で担任を見上げると、一応、形式だけ、という感じで頭を下げた。

 廊下側、真ん中あたりの席に悠々と腰掛ける倉田蒼には、ちょっと女子的にまずいレベルのガンつけをした。

 エリの席は彼のすぐ後ろである。授業中に居眠りをこいて振り子のようになる倉田から一番の被害を受けるポジション。

 エリはどすりと椅子に腰掛ける。――と、こう書くと彼女が結構重たい子のようにみえてしまう。もはや描写にも見放された遠野エリ。

「ははっ。災難だったねー。窓から見てたよ」

 隣の席から、軽薄を絵に描いたような男子の声がした。

 まぁ、どのような外見かいちいち書かずとも、なんとなくわかっていただけると思う。よくいる軽そうなやつだ。

 決まって、髪は短髪で、明るい色だろう。

 いかにもお調子者な口調で、声は高めだろう。

 制服のボタンは、間違いなく外しているだろう。

 適当なライトノベルをめくれば、結構な確率でいるだろう。

 そんな量産型の彼――津田明広は、明るいキャラのさがなのか、軽いボディタッチでエリを励ました。ぽん、と肩に触れるぐらいの、嫌味のない軽さ。

「あはは。まぁ、いつものことだしね」

 明るく返すエリ。

 しかし内心は、

(え、えーと、だれだっけこの人……。いつも名前忘れるんだよね……)

 愛想笑いも引きつる寸前である。

「んまぁ、でも、一限目には間に合ったから良かったと思うぜ。数学の山本はマジで鬼だから!」

「そ、そうだよねー」

 適当な返事をしながら、必死に思い出そうとするエリ。

(誰だっけ……。――あっ、もしかして、す、す、す、須田くん!?)

 違う。

(いや、なんか違う気が…………。――あっ、津田くん!?)

 おおっ! いいぞエリ! よく思い出した!

(つ、津田くん、かぁ……? なんか顔と一致しない……。自信なくなってきた)

 頑張れ! 自信を持って! 津田くんで正しいよ!

(津田くんか須田くん、どっちかのはずなんだ……。どっちだ……!? どっち……!?)

 と、このタイミングでまさかのイベント発生。

 ふと担任の話に顔を向けた津田のシャープペンが、彼の肘に当たってコロコロとエリの机に転がってきた。

(…………!!)

 エリは、両目を見開き、戦慄する。

 シャープペンを取り、彼に向かって口を開くと同時に、とめどない思考が押し寄せてくる。

(津田くん、シャープペン転がってきたよ)

(須田くん、シャープペン転がってきたよ)

(ど、どどど、どっちだ!?)

 ここで注意すべきは、〝名前を呼ばない〟という選択肢はないということだ。

 なんで? 無難な手段じゃん。間違えるよりマシじゃん。とお思いの方もいるだろう。しかし、考えてもみてほしい。

 名前を呼ばずに、「おい」や「あの……」で済ますのは言わずもがな、肩を叩いて呼称を回避しようなどという考えは全て――、


 相手に見透かされている!


 名前を知る間柄なら当然名前が入る箇所に、「おい」や「あの……」や空白が入り込むという違和感が、どうして拭えよう。

 ましてや人というのは、自分がどう思われているかに対して他人の想像以上に敏感だ。(もしかして、名前、覚えてもらってないのかも……)そういう考えに至るのはごく自然な流れである。

 それを知っている聡明な少女エリは、〝名前を呼ばない〟などという愚策はハナっから除外しているのだ。それをやられた相手がどんなに傷つくのかを想像できる、エリはほんとうに、天使のように心優しい少女……(それなら名前覚えとけよ。などという野暮なツッコミをする読者はいないと信じている)

(どうする……どうする!?)

 当然のこと、転がったシャープペンをなかったことにするなんて選択肢もない。気遣いの女エリは、名前を呼ぶことでしか相手への敬意を示せないことをよく理解している。

(よし————)

 〇.〇〇一秒の逡巡ののち、彼女はついに判断した。

 津田に向かって、朗らかな声で語りかける。


「ツスゥ田くんっ、シャープペン転がってきたよ」


 ザ・曖昧。

 それこそが、賢者エリのとった最善の選択。

 そんなエリに津田は、

「おうっ! ありがとねー!」

 白い歯がまぶしすぎる爽やか笑顔で返した。

 よしっ……! エリは机の下で人知れずガッツポーズをする。

 しかし、

「………………」

 津田はエリとのやりとりを終えるなり、彼女の反対を向いて深刻な顔で考え出した。

(ツ、ツスゥ田くん…………?)

(なんだ、その奇妙な名前……)

(い、いや、深く考えるな。今日は寒いし、口がうまくまわらなかったんだ。きっとそうだ……)

「ははっ。つーかさ、今日寒いよなー! 昨日も寒かったけどさー!」

 素晴らしいポジティブ男、津田である。

 ツスゥ田とかわけわからん名前で呼ばれてここまで快い対応ができる人はそういない。

 しかしエリは、

(ちょっと……、まだ絡んでくるのーーー!?)

 正直、ツスゥ田くんも二度目は通用するか怪しい。いや、一度目からすでに通用していないのだが。

「あのさ、遠野さんって寮生なんだよな? どうよ、寮って楽しい? ルームメイトとかさ」

「あ、うん。た、楽しい、よ」

「一緒に夜遅くまで騒いだりとか、面白そうだよなぁー。女子同士ってどんな話するのかわかんねーけど!」

 エリのルームメイトが誰なのか、彼は知らないようである。

「…………」

「…………」

 そして訪れる、数秒の沈黙。

 気遣いの女エリは、ここは自分が何か返す番だとわかっている。

 そして、この流れで返す言葉なんて決まっている。いうまでもなく、寮とか家住みに関する質問だ。エリの中にまた葛藤が押し寄せる。しかし、相手のために、百分の一秒でも早く決断しなければならない。

 ええい! もう、どうとでもなれ!


「ツスゥー田くんは、家から通ってるんだよね??」


〝ツスゥー田くん〟

 慌てていたために入り込んだ、変な長音。

 もはや人の名前の形式を成していない。

 しかし、

「おう! マジ親がうるさくってさぁ。俺も寮住みてえー! けど家から学校まで五分だから、寮住みとか百パーありえないわ! あっはっは」

 明瞭。

 快活。

 すばらしい相手への配慮。

 マジで人格ができすぎている津田の姿に、エリは顔を背けて号泣する。

 本気で、こういう人となら結婚してもいい……!

 そうは思いつつも、改めて彼の名前を覚えようとは微塵も考えないエリ。

 津田は津田で、エリが涙を拭くあいだ、死刑ボタンを押す寸前の執行官のような真顔になっていたが、パッと笑顔に戻ると彼女と顔を見合わせて、

「ところでさぁー」

(まだ続くの!?)

 エリは内心、彼を気絶させて逃走したい気持ちだったが、偉大なる優しさで保たれたこの空気を壊すわけにはいかない。

 しかし、もう限界だ。物事には限度というものがある。というより、これ以上彼の優しさに触れていたくないというのが大きい。

 次で最後だ。次の呼びかけで、会話を完全に終わらせる……!

 気づけばホームルームは終わって、一限目への準備時間に入っていた。

 親しみ全開で会話を続ける津田(内容をまるで聞いてないエリは気づかないが、彼もいっぱいいっぱいである)。その心意気を無駄にしてはいけない。

 エリは、決め手となる一言を頭の中で反芻する。

(ツスゥー田くん、わたし、ちょっとトイレいくね)

 呼び名の部分は仕方ない。もう彼はツスゥー田くんだ。

 重要なのは〝トイレ〟の部分。

 なぜならそこには乙女の恥じらいがあり、少しばかり前後の発言がおかしくても許容されることが望める。これまでの〝ツスゥー田くん〟すらもノーカンになるかもしれない。

 だとすれば、この上なく重要な一言である。

 絶対、確実に伝えなくてはならない。

 エリは脳内で何度もシミュレーションをする。

(わたし、ちょっとトイレ。ツスゥー田くん、わたし、ちょっとトイレ。……うんっ)

 いい感じだ。

 心なしか本当にトイレにいきたくなってきた。

(ツスゥー田くん、わたし、トイレいくね)

(わたし、トイレいく)

(トイレいく)

(トイレトイレトイレ、トイレトイレトイレトイレトイレ)

 よし、今だ。

 すうっ、と息を吸って、エリは津田に告げる。


「トイレくんっ。ちょっとわたし、おしっこ……!」


 瞬間、エリの声の届く範囲にいたクラスメイトが——

 これまで笑顔を絶やさなかった津田ですらも——

 凍りつく。

 エリは無防備すぎる笑みを浮かべたまま、

 首のあたりからグワアアアアーと真っ赤になっていく。

(もう、トイレくんでいいよ、遠野さん……)

 聖人津田は諦めの境地に達した。

「………………ぐぅ」

 そんな事態を気にもとめていない倉田は、二人の前の席でゆっくりと舟をこぎはじめた。

さて、読者諸君、私の自信作であるこの正統派青春文学、楽しんでいただけているだろうか。



え? なに?

全然おもしろくない!?


はっはっはっ(苦笑)

いやいやいや。

またまたご冗談を。


ほんとは面白いんだろォー? そして大好きなんだろォー? 俺のことがよォー?


かわいいやつめ!

恥ずかしがってないで、大好きですって言っちゃえよ。うらうらうらー




※完全にシラフです。

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