魔法少女の始まり。
だだっ広い地帯に、俺は立っていた。
けれどここは廃墟みたいに廃れて荒れた場所ではないし、ましてや元々広い空き地だったわけでもない。そもそも、街の真ん中にこんな平らな土地があるはずはない。
ここは、存在を食われたのだ。元々は普通に家が立ち並ぶ、街の一角だった。
(……ライトニング! 合わせて!)
頭の中に声が響く。もう慣れてしまったこのテレパスに、臆することなく返事をする。
(ああ! グレイシャ、あとどれくらいかかる?)
俺は一人に返答を返すと、俺は加えてもう一人に声をかける。凄まじい力が上空に集まるのを感じて、思わず息を呑む。このピリピリする感覚は、まだ慣れられないものだ。
そしてその力の主からの返答が、一拍おいて帰ってきた。
(あと……20秒! スカーレット、ライトニング、お願い!)
(わかった。あんたは絶対守るから、安心して力を溜めるんだよ! いくよ、ライトニング!)
スカーレットに促されて、俺は大地から足を離して上空に浮き上がる。そしてゆっくりと下を見下ろすと、見たくもないものが視界の端に映る。
どろどろ、ぐにゃぐにゃとした紫色……いや、口では言い表せないような、危険な色を放っている不定形の物体。あれは生き物じゃない。それを知ったのは、随分最近のことだけれど。
存在しないもの。
それが、あの個体の名称だという。あのぐちゃぐちゃとした肉体と思わしき部分に呑まれたものは、有機体であろうと無機物であろうと、存在を食われる。つまり「最初からそこになくなる」。
それが、今この場所が広いだけの空き地になっている理由だ。正直、気持ち悪い。
「行くぞ……雷よ!」
俺が手を天に向ける。そしてそれを振り下ろすと、腕の動きに共鳴するように銀色の稲妻が、銀色の魔方陣からあの存在しないものに落下する。凄まじい轟音だが、実際はあまり効いていない。せいぜい、痺れさせるのがいいところだ。
「はああああああっ!」
続いて地上で真っ赤な光が燃えて、存在しないものが微妙に歪む。鋭い閃光と共に燃え上がるような炎が立ち上り、存在しないものは苦しみだした。俺はちらりと上を向く。
力が耳を突くほどに高まっている。もうそろそろ、良さそうだ。するとその予想は当たったようで、上空から再びグレイシャの声が降ってくる。
(二人とも、離れて!)
俺は空を蹴り、地上で搖動を引き受けていたスカーレットを連れてその場を離れた。すると次の瞬間、周りの温度が一気に下がる。スカーレットと一緒にいるのに肌寒さを覚えるほどの、冷気が漂う。
「氷よ……!」
グレイシャがゆっくりと呟いた瞬間、存在しないものは硬くて厚い氷の中に封印された。もう身動きはとれなかった。そこへすかさず、空を蹴ってその氷の柱の上空へ飛ぶ。
「ライトニング!」
「ああ! 行って……来いっ!」
勢いをつけて、掴んでいた手を離す。するとスカーレットは空を切って氷の柱へ向かってまっしぐらに落下する。その手には、鋭い刃の刀剣が握られている。そして氷の柱にスカーレットがぶつかったと思った瞬間、スカーレットは大地に降り立ち、刀剣を鞘にしまった。直後、氷の柱ごと存在しないものは崩れ落ちた。
ぶくぶくと、まるで泡が消えるかのように存在しないものは消え去った。すると存在しないものがいた場所から光が溢れだし、辺りに散らばる。
存在しないものに存在を食われた人やものは、元通りの位置に戻った。やっと一安心して、二人と合流する。
「ふぅ、終わったね」
「最近、少し存在しないものが強くなってきたね」
向かって右側の赤い髪の少女が、さっき刀剣を振り回して戦っていた魔法少女だ。髪を俗にいうポニーテールに結った少女は俺と同い年くらいで、高い身長は赤いマントを際立たせる。少し露出の高いビキニアーマーはよくRPGとかで見るような装備だ。強気なつり目は明るい炎を宿し、腰にはさっき氷を切り裂いた刀剣を携えている。名をスカーレットという。
そして左側で行儀よく立っている青髪の少女は、さっき氷の柱で敵を閉じ込めた魔法少女だ。海の波を思わせるようなウェーブのかかった髪を腰下まで伸ばし、フレアスカートのワンピースを身に纏っている。スカーレットとは真逆に重装備を纏った感じで、手には杖のような棒を握っている。優しげな丸い瞳は海のような色をしており、ゆっくりと微笑んでいる。名をグレイシャという。
「また、戦い方を考えなきゃな……あ、じゃあ、お……ワタシはここで」
もう戦いも終わったことだし、その場を離れようとしたその瞬間、グレイシャの声に呼び止められる。
「待って、ライトニング!」
「……! 何?」
だいたい察しはつく。足を地上から離しながら、俺は振り向かずに答える。
「ねえ……まだ、私たちと……」
「……ごめん。その話は、いずれ」
もうそれ以上話す時間はとれない。俺はその場で転移魔法を使って、そこを立ち去った。
雑木林には、空が見えないほどに木が生い茂っている。ここは地上からも空からも、隔離された空間。
用心深く周りをもう一度確認したあとで、ゆっくりと体から力を抜く。魔法少女の魔法の力が、体から分離する。魔法の力が消え去ってから、俺は木から降りた。
学校帰りの学ランには葉っぱが何枚かついている。仕方ないことだ。この季節は、いつもそうだ。
「……疲れたああああ……」
俺はその場に膝をつき、手のひらをつく。思わずため息が漏れて、もうどうすればいいか分からない。
銀の髪を腰下まで伸ばし、それにはカールがかかっている。騎士を思わせるようなガントレットに上品なコート、短いスカート。金色になった瞳。体はもちろん女のもの。それが、俺のもう一つの姿。
はっきり言うと、何が何だかわからない。もちろん趣味であんな格好をしているわけでもないし、そもそもあんな過激な趣味を俺は持っていない。
何より重要なのは、俺は男だ。正真正銘の、男だ。女の子が俺って言ってるわけではない。本当に、男なのだ。でも、魔法少女。こんなこと他人に話しても意味が分からないと思われるだろうが、なぜかそれは事実なのだからどうしようもない。
「ああもう……嫌だこんな生活。誰か俺を元の中学生に戻してくれ……」
女の子に変身する体だなんて。普通に考えて、他人に言えたもんじゃない。冗談じゃない、と最初は怒りに任せて喚き散らしていた。けど、それが無駄だと思ってからはもう騒ぐのも疲れて、諦めるようになっていた。
俺は……泉頭光太は、一か月前までは普通の中学生だった。……いや、普通じゃなかったけど、少なくとも学校の連中にはそう思われていたはずだ。ちょっと浮いていたけど。それが、ある日突然、変な化け物がこの街に出現しだして、二人の魔法少女が現れて……って、そこまでは別に良かった。俺には関係のないことだと思っていたから。
けれど、それは変わってしまった。とあるきっかけのために。
「はあ……頭が痛いよ」
学校にあの化け物が現れた時。魔法少女は、俺の目の前で現れた。避難が遅れて、壊れた校舎の影からびくびくしながらあの化け物を見ていた。すると同じクラスの――俺のよく知る女子二人が、俺の目の前で、魔法少女に変身した。
あの時の衝撃は、今でも覚えてる。どうしてこの二人がって、そう思った。同時に、なんとなくそうなんじゃないかという俺の予測は、虚しくも当たってしまった。そうして、彼女たちは、俺と同い年の二人の女の子は、戦っていた。
けど、化け物はとても強くて、彼女たちは化け物に食われそうだった。危ない、そう思った時に、世界は暗転した。
すべては、あの時に始まったんだ。