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第2話 VTuverになる

 TSという異常事態に見舞われてから、数日が経過した。


 結局、俺は一度も学校に行けず、自室に引きこもり続けている。幸いなことに、両親は共に海外へ赴任中で、この家には俺一人だ。誰にもこの姿を見られる心配はないし、登校を促す小言を浴びせられることもない。


 一度だけ、食料を買い出しに行こうと外に出たことがあった。

 だが、玄関を出た瞬間に後悔した。すれ違う男たちが皆、吸い寄せられるように俺(直奈)の姿を凝視してくるのだ。


(やめろ……俺を見るな……!)


 刺さるような視線が怖くて、女の子として扱われる万能感が不気味で、耐えられなかった。

 結局、コンビニまで辿り着けずに逃げるように家に戻ってからは、ずっとネットの世界に逃げ込んでいる。


 日がな一日、ベッドの上でネットサーフィンをし、推しのVTuberの配信を眺めて現実を忘れる。

 そして、たまにくるおかしな衝動――。

 鏡に映る自分が、あまりに自分じゃないみたいに可愛くて。ほんの悪戯心のつもりで撮った自撮り写真を、匿名のアカウントでSNSにアップしたりもしていた。


『え、透明感やばすぎ』

『どこの事務所の新人さんですか?』


 画面越しに並ぶ、見知らぬ誰かからの称賛。

 男だった頃には一生縁がなかったはずの言葉たちが、今の俺の、唯一の居場所になりつつあった。


「……はぁ。俺、何やってるんだろ」


 スマホを放り出し、天井を仰ぐ。

 男としての「直人」は死に、かといって「直奈」として外を歩く勇気もない。

 俺は今日も、推しの配信を垂れ流しながら、空っぽな時間を浪費していた。


その時、静まり返った部屋に、スマホの無機質な通知音が響いた。


 画面を確認すると、見覚えのない送り主からのダイレクトメッセージが届いている。


【VTuber事務所≪Luminous Live≫】


 業界でも最近勢いのある、中堅どころの事務所だ。恐る恐るメッセージを開くと、そこには簡潔な、だが心臓を直接掴まれるような言葉が綴られていた。


『あなたの現在の姿に興味があります。一度、お話しさせていただけませんか?』


「……なっ!?」


 一瞬、詐欺か何かを疑った。だが、そのメッセージの下に添付されていた画像を見て、俺の全身は総毛立った。

 それは、数分前にアップロードしたばかりの俺の自撮り写真だった。


 誰かに見られている。いや、監視されている。

 この銀髪の少女が、元は男だったなんて知られたら?


 得体の知れない恐怖が這い上がり、スマホを投げ出しそうになる。

 けれど、震える指先は画面から離れることができなかった。


「……ここで無視したら、俺は一生、この部屋で消えるのを待つだけなのか?」


 学校にも行けず、男としても死んだ俺に残された、細いクモの糸。

 今の俺は、何者でもない「幽霊」のような存在だ。そんな俺を、世界が「神谷直奈」として求めているのだとしたら。


 俺は逃げ出したい本能を理性でねじ伏せ、震える指で通話ボタンをタップした。

 

 これはチャンスだ。……いや、チャンスだと思い込むしかない。

 数回の呼び出し音の後、耳元から――驚くほど穏やかな、大人の女性の声が聞こえてきた。


「突然すいません。あなたの容姿、そしてその声――VTuberとして、まさに『完成形』です」


 耳を疑った。VTuberといえば、イラストを使って活動するもの。今の俺の生身の容姿なんて、画面越しには関係ないはずだ。なのに、この女性は「完成形」だと言い切った。

 これは、いわゆるスカウトというやつだろうか。


「……何、言って。俺、じゃなくて、私……」


 慣れない女声で戸惑いながら返すと、受話器の向こうの女性は、氷のように冷ややかで、けれど陶酔したような声で続けた。


「隠さなくて結構ですよ。――あなたが『元男』であることも、私たちは把握しています」

「っ……!?」


 心臓が跳ね上がった。

 数日前まで男だったことなんて、本人以外に知るはずがない。やはり監視されている。それもスマホなんてレベルじゃない、もっと根本的な何かを。


「な、なんで……誰なんですか、あんたたち……!」

「驚かせてすいません。私たちは、あなたのように不可解な現象で『TS』してしまった方々を保護し、VTuberとしてプロデュースすることで社会復帰を支援する、特殊なエージェントでもあります」


 TSした人間を、VTuberにする?

 あまりに突飛な話に頭が追いつかない。だが、彼女の言葉には抗いがたい魔力があった。


「VTuberとは本来、バーチャルの力で『なりたい自分』になる場所です。ですが神谷さん、今のあなたは現実にどこにも居場所がない。……そうでしょう?」


 女性の声が、俺の心の傷口を正確に、優しくなぞる。


「その可愛さを呪うのではなく、『才能』に変えてみませんか? 画面の向こう側なら、あなたは誰よりも輝ける存在になれるんです」


 俺は視線を上げ、部屋の隅にある姿見を見つめた。

 鏡の中にいるのは、涙の跡すら装飾に変えてしまうほど、残酷なまでに美しい銀髪の少女。

 男だった頃の俺がどんなに望んでも手に入らなかった「武器」が、今、ここにある。


(……俺は、この身体で、VTuberになってもいいのか?)


 一度、深く息を吸い込む。

 過去を捨て、男としての矜持を捨て――「神谷直奈」として生き残るための、唯一の選択肢。


「……やります」


 震える声が、ソプラノの響きを伴って部屋に溶けた。


「VTuber、やらせてください。……俺を、俺じゃない何かに変えてください」


 一瞬の静寂の後、受話器の向こうで女性が満足げに微笑む気配がした。


「賢明な判断です、直奈さん。――ようこそ、≪Luminous Live≫へ。あなたのための、最高のステージを用意しましょう」


 こうして、俺は美少女VTuberになることを選んだ。

 すべてが「上書き」された世界で、新しい人生の、狂乱の幕が上がる。

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