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第12話 本音

絶望的な静寂の中で、スマホが震えた。

 画面に表示された名前は、誰よりも先に俺を「お姉ちゃん」と呼んでくれた、星乃こももからのビデオ通話だった。

 指が勝手に、通話ボタンを滑っていた。


『……マヒロお姉ちゃん、今、忙しい?』


 画面越しに見えるこももちゃんの瞳は、痛々しいほど赤く腫れていた。いつも元気な彼女が、声を震わせて俺に訴えかける。


『こもも、ね……。あの日、お姉ちゃんが「みんな大事」って言ったのを聞いて……すごく、胸が痛かった』

『こももちゃん、私は……』

『嫌なの……! 「みんな」って言われるの、嫌だった! こももは、お姉ちゃんにとっての、特別な「一人」になりたかったのに!』


 ガツン、と頭を殴られたような衝撃だった。

 俺が波風を立てないために選んだ「平等」という名の盾。それは、誰の心にも届かない代わりに、全員の期待を等しく踏みにじる、最低の言葉だったのだ。


『……ごめん。ごめんね、こももちゃん。私、逃げてた』


 俺が絞り出すように謝ると、こももちゃんは小さく頷いて、プツリと通話を切っ

た。



事務所の廊下。冷たい空気の中に、壁に寄りかかって俺を待っていた、天宮ミコ先輩がいた。

 いつも完璧に整えられているはずの彼女の指先が、落ち着かなげに自分の腕をなぞっている。


「……あんたさ。いつまで、そうやって優等生ぶるつもり?」


 言い返す言葉は、一つもなかった。

 俯く俺の視界に、ミコ先輩のヒールがゆっくりと近づいてくるのが映る。


「私のこと、馬鹿にしてるんでしょ。……『先輩だから、こう言っておけば波風立たないだろう』って。そんな舐めた態度で、私たちの横に立ってたわけ?」


「……そんな、つもりじゃ……」


「つもりがないのが一番性質たちが悪いのよ!」


 廊下に、彼女の鋭い声が響き渡った。

 顔を上げると、ミコ先輩は泣きそうなのを必死に堪えた、ひどく傲慢で、ひどく脆い笑顔を浮かべていた。


「いい? 私はね、たとえあんたに選ばれなかったとしても、それはそれで構わないの。勝負して負けるなら納得がいく。……でもね、最初から誰も選ばないなんて、私たちが『選ぶ価値もない存在』だって言われてるのと同じなのよ」


 これは、単なる嫉妬じゃない。

 彼女がトップライバーとして、そして一人の女の子として積み上げてきた「プライド」が、俺の曖昧な優しさに傷つけられたのだ。


「……''選ばれない前提''で土俵に立たされるなんて、屈辱以外の何物でもないわ」


 ミコ先輩はそれだけ言い捨てると、一度も振り返らずに立ち去った。

 カツカツと廊下に響く乾いた足音。そのリズムが少しだけ乱れていることに気づいて、俺は自分の無神経さを呪った。


 こももちゃんの純粋な涙。ミコ先輩の折れそうなプライド。


そして――。

 そこには、いつからいたのか、リリアさんが静かに佇んでいた。

 彼女は、俺の言い訳を聞くつもりも、責めるつもりもないようだった。ただ、澄んだ瞳で俺の瞳の奥をじっと見つめてくる。


「マヒロ。私は、あなたが好き。だからこそ……『みんなと同じ』にされるのは、胸が張り裂けるほど辛かった」


 その言葉は、どんな罵倒よりも深く、俺の心に突き刺さった。

 リリアさんは一歩歩み寄り、俺の震える指先にそっと触れる。


「私はあなたの特別になりたいし、あなたの隣にいたい。……でも、まだあなたの心には、決着をつけなきゃいけない相手がいるでしょ?」


 彼女は、俺を解放するように手を離すと、一階のフロアを指差した。


「セレナさんともお話ししておいで。下のカフェにいるから。……みんな、あなたを待っているのよ。向き合うことから、もう逃げないで」


 俺は頷くことしかできなかった。

 迷いもせずに、重い足取りを無理やり動かしてカフェへと向かう。


 夕暮れ時のカフェは、人影もまばらで、琥珀色の光が差し込んでいた。

 その一番奥の席。

 湯気の立たなくなったコーヒーカップを前に、水瀬セレナさんは優雅に足を組み、窓の外を眺めていた。


 俺が近づく気配を察して、彼女がゆっくりと顔を上げる。

 その微笑みは、いつも通りの穏やかなものだったが、どこか底知れない「覚悟」を感じさせた。


「……来たわね、マヒロちゃん。座りなさい?」


 彼女は自分の向かいの席を、指先で静かに示した。

 こももちゃんの涙、ミコ先輩の自尊心、リリアさんの誠実。

 そのすべてを受け止めた俺が、最後に向き合わなければならない「大人の情愛」が、そこには待っていた。


「マヒロちゃん。あなたは本当に優しい子。……でもね、その優しさは、ときどき誰かを深く傷つける残酷な刃になるのよ」


 セレナさんは、困った子供を見守るような慈愛に満ちた、けれどどこか寂しげな微笑みを浮かべた。


「あなたが誰か一人の『特別』を選ぶなら、私はそれを祝福するわ。……でも、もしあなたが自分からも、私たちからも逃げ続けるなら、私はとても悲しい」


 彼女は飲み干さなかった冷めたコーヒーに視線を落とし、そのまま静かに席を立った。去り際、俺の肩に置かれた彼女の手のひらは、驚くほど熱く、そして震えていた。


 一人残されたカフェ。琥珀色の夕闇が店内に溶け込んでいく。

 

 俺は、男だった。

 だから、彼女たちの熱視線を、どこか他人事のように、あるいは「あってはならないもの」として処理しようとしていた。

 けれど、今は違う。この胸の鼓動も、胸を締め付ける痛みも、彼女たちに触れられた時の高揚感も、すべてが本物だ。

 

 これは友情なんて、便利な言葉で片付けられるものじゃない。


「俺……いや、私は。……誰も失いたくない」


 傲慢かもしれない。卑怯だと言われるかもしれない。

 でも、一人を選んで他の三人の涙を見るなんて、そんなの「星乃マヒロ」じゃない。

 

 選ぶんじゃない。全員の想いを、正面から受け止めるんだ。

 一人一人を、他の誰でもない『唯一の特別』として愛し抜く。

 

 逃げるために「みんな」と言うのではない。

 四人全員を幸せにするために、私は私の道を行く。


「次の配信で、ちゃんと自分の言葉で伝えよう。……逃げずに、全部」


 俺は、震える手でスマホを握りしめた。

 リリア、ミコ、こもも、セレナ。

 彼女たちが変えてくれたこの体と心で、最高の「答え」を出すために。

次回、最終回です!

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