表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/13

第1話 俺、TSする

いつも通り、自室のベッドで目を覚ました。


 ジリリ、と鳴り響く目覚まし時計を止めるべく、ゆっくりと目を開ける。視界に飛び込んできたのは、見慣れたはずの自室の天井。そして、脱ぎ捨てたいのに抗えない、冬の布団の心地よい重み。

 ここまでは、いつも通りの、ありふれた朝のはずだった。


 だが――。


「……あれ。なんか、身体が軽い?」


 言いようのない違和感。

 確かめるように、布団の中からそっと手を出してみた。


「……えっ?」


 そこに現れたのは、これまでの自分からは想像もつかないほど、細くて真っ白な指先だった。まるで繊細なガラス細工のような、自分のものではない誰かの手。

 困惑しながら、その手を再び布団の中へ戻した、その時だ。


 ――むにゅ。


 手のひらに、柔らかくて弾力のある「何か」が当たった。

 嫌な予感がして、俺は勢いよく布団を跳ね除け、自分の胸元を見下ろす。


「……え、大きくない?」


 視界を遮るほどのふくらみ。そして起き上がった拍子に、サラリと何かが頬を撫でた。


「髪の毛……だよな、これ」


 肩を越え、腰まで届きそうなほど長い、艶やかな銀髪。

 指先の白さ、胸の重み、視界を流れる長い髪。

 考えれば考えるほど異常事態なのだが……急激に身体が変化した反動だろうか、強烈な眠気が襲ってきた。


「……ま、いっか。夢だろ、これ」


 俺は考えるのをやめ、再び温かい布団の中へと潜り込んだ。


 ……いや、やっぱり無理だ。こんな違和感を抱えたまま二度寝なんてできるわけがない。


 俺はバッと掛け布団を跳ね除け、ベッドから飛び起きた。そのまますがるような思いで、自室の隅にある姿見の前へと駆け込む。


「え……? うそ、だろ……?」


 鏡に映し出されたのは、見慣れた男の姿ではなかった。


 そこにいたのは、小柄で華奢な体つきに、透き通るような銀糸の髪を纏った――どこからどう見ても、息を呑むような美少女だった。

 少し眠たげに潤んだ瞳が、鏡越しにじっとこちらを見つめ返してくる。


「……はは、これは夢だな。確定だ」


 あまりの現実味のなさに、脳が理解を拒否した。

 俺は現実逃避気味に笑いながら、鏡の中の美少女の頬を、思いっきり引っ張ってみた。さらには、そのままバチィィィン! と自らの顔を叩いてみる。


「いっ、いたたたたたたたっ!!!」


 ジンジンと熱を持つ頬。涙がにじむほどの衝撃。

 五感が叫んでいる。


「夢じゃ、ない……!?!?!?」


 鏡の中の美少女も、驚愕に目を見開いて同じ言葉を叫んでいた。

 その声は、鈴を転がしたような、あまりに可愛らしいソプラノボイス。


 どうやら俺は、本当に美少女になってしまったらしい。


 混乱する頭を必死に回転させる。

 どうしてこうなった? 原因は何だ? 手がかりを探すべく、枕元に放り出していたスマホをひったくるように手に取った。


 画面を覗き込む。

 フロントカメラに顔が映った瞬間――カチリ、と軽快な音を立ててロックが解除された。


「……は? 顔認証、通ったのか?」


 この美少女の顔で。俺のスマホが。

 嫌な汗が背中を伝う。震える指先でメッセージアプリをタップした。


「……なんだこれ。……神谷、直奈なおな?」


 プロフィールの名前欄には、見慣れない、だが俺の名前に酷似した文字が並んでいた。

 俺の名前は「神谷直人なおと」だ。一文字、たった一文字だけが書き換えられ、性別が反転している。


 急いでクラスのグループチャットを開き、過去のログを狂ったように遡った。


『直奈、今日の課題写させて!』

『神谷さん、放課後スタバ寄らない?』

『直奈ちゃんマジ美少女!』


 そこには、俺が「男として」過ごしてきたはずの日常の断片が、まるで最初からそうだったかのように、完璧な「美少女・神谷直奈」の記録として上書きされていた。


 文化祭の写真も、体育祭の集合写真も。

 中心で笑っているのは、短髪の俺ではなく、銀髪をなびかせたこの美少女だ。


「……嘘だろ。誰も、男だった俺を覚えてないのか?」


 世界そのものが、俺を女の子として再定義している。

 この違和感に気づいているのは、宇宙でたった一人、記憶を保持したままの俺だけ。


 スマホを握りしめる指が、がたがたと震え出した。

 この信じがたい変貌を、一体誰に説明すればいい?


「俺は本当は男なんだ。昨日までは、神谷直人だったんだ!」


 ……そんなことを口にしたところで、返ってくるのは冷ややかな視線か、病院への勧誘に決まっている。世界が「直奈」という少女を正解としている以上、俺の主張はただの狂気でしかない。


 アルバムを遡っても、親友とのトーク履歴を見ても、そこに「男の俺」がいた形跡は微塵も残っていなかった。

 積み上げてきた部活の記録も、男友達と馬鹿笑いした思い出も、すべてが華奢な美少女の上書きデータとして処理されている。


「俺……消えたのか……?」


 鏡の中に映る、吸い込まれるような銀髪の美少女。

 その姿はあまりに完成されていて、美しくて――。

 だからこそ、それと引き換えに失ったものの大きさに、足元が崩れ落ちるような感覚に陥った。


 昨日までの俺を知る者は、この宇宙に一人もいない。

 男としての「神谷直人」は、誰にも看取られることなく、この世からひっそりと消滅してしまったのだ。


 視界が熱い膜に覆われ、一粒、また一粒と、頬を伝って雫がこぼれ落ちる。

 男の俺は、死んだ。誰にも知られず、この世界から跡形もなく消え去ってしまった。その絶望と喪失感に耐えきれず、俺は子供のように声を押し殺して泣き続けた。


 ふと、視界の端に映った鏡に目を向ける。


「……っ」


 息が、止まった。


 そこにいたのは、涙で濡れた睫毛を震わせ、潤んだ大きな瞳でこちらを見つめる、あまりにも可憐な美少女の姿だった。

 白磁のような肌に、涙の筋が真珠のように光り、乱れた銀髪が首筋に張り付いている。

 

 鼻を赤くして泣きじゃくっているはずなのに、その姿はどこか神秘的で、守ってやりたいと思わせるような、暴力的なまでの「可愛さ」を放っていた。


「……俺、こんな顔で……泣いているのか……」


 自分自身に対して抱く、ドロリとした嫌悪感。

 だがそれと同時に、脳のどこかが「綺麗だ」と冷静に判断を下してしまった。


 男だった頃の俺なら、一生かかっても手が届かないような――あるいは、画面越しに憧れるしかなかったような、完璧な美少女。

 それが今、自分の意思で泣き、自分の意思で鏡の中の俺を見つめ返している。


 拒絶したいのに、目が離せない。

 その歪な自意識の狭間で、俺の心は音を立ててきしみ始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ