差し押さえ神剣、帳簿の外で笑う ~神すら課税される国で、真面目な鍛冶屋は誤解の中に真実を見る~
※本作は短編(全12シーン構成)です。
神にも納税義務がある王国で、差し押さえられた神剣と、真面目な鍛冶屋の少し皮肉な一幕。
コメディですが、少しだけまじめな話をしています。
気楽に読んで、クスッとしてもらえたら嬉しいです。
帳簿の束が机の端で傾いた。
紙の角が光を弾き、乾いた音で机に戻る。
鉄の匂いが袖に残った。
王国税務局の廊下は狭く、石の床に靴音が規則的に響く。
扉の札には「第三課」とあり、その奥から声がした。
「フェルド、入ってくれ」
無表情の男が椅子を指す。
胸の名札には〈マルツ・レフナー〉とある。
机の上、判の朱がまだ乾いていない。
「依頼だ。神具差押えへの同行を頼みたい」
「神具の……差押えですか」
「納税延滞四年。奉納金滞納三百八十。誤差はゼロにしたい」
マルツは淡々と書類を差し出した。
引き出しから二枚の紙が滑り出て、机に並ぶ。
一枚目は命令書、二枚目は目録。
墨の太さが役所の呼吸を示していた。
「鍛冶屋の目で資産価値を見てほしい。絵画より刃物が得意だろう」
「刃なら、曲がりも焼きも見ますが。神具はまた別で」
「別だが同じだ。資産は資産だ」
窓の外は薄曇り。
判の朱が紙に沈み、乾ききらぬままに色を残す。
「集合は鐘が二つ。現地は北区の小神殿だ」
「了解しました」
「助かる。神は未申告が多い」
机の端に古びた鉄釘がひとつ。
リオンは指先で転がし、ざらりとした感触にわずかに息を止めた。
それはこの部屋で唯一、現実を感じさせる重さだった。
◇ ◇ ◇ ◇
北区の石畳はひび割れ、雑草が隙間から顔を出している。
白く剥げた神殿の扉が軋んだ。
香の匂いがほのかに残る。
マルツが一歩前へ進み、短く名乗った。
「王国財務庁第三徴収課。差押執行に参りました」
乾いた声が神殿の中に響く。
白衣の神官が二人、慌てて礼を取った。
奥には古びた祭壇と、布で覆われた棚が並ぶ。
若い神官が声を荒らげた。
「待ってください、ここは神域です!」
マルツは眼鏡の位置を押し上げ、淡々と視線を神官へ向けた。
そのまま静かに言葉を落とす。
「法は神域にも等しく届きます」
書見台に帳簿が開かれている。
記入欄の空白が広く、奉納の年月は三年前で止まっていた。
老神官が震える声で言った。
「供物は供物です。資産ではありません」
マルツはページをめくり、指先でその項目を示す。
「供与後一年以上未使用の場合は、資産に該当します」
リオンは少し前へ出て、棚の影を覗いた。
「錆が出ていますね。修繕すれば再評価が必要になるかも」
神官が布をめくる。
銀杯、金糸の布、割れた香炉が現れた。
「ここは聖域です。帳簿では測れません!」
マルツは眉をひとつ上げ、書類を閉じた。
「帳簿で測れない価値は、帳簿の外で守ってください」
リオンは苦笑し、わずかに肩をすくめた。
「言ってることは間違ってないですけど、響きが冷たいですね」
マルツはペン先で書類を指し示す。
無表情のまま、淡々と告げた。
「税は温度で変わりません」
沈黙のあと、神殿の奥で風鈴の音が小さく鳴った。
リオンはそれを聞きながら、息を一つ吐いた。
◇ ◇ ◇ ◇
棚の影に長い包み。
麻布越しに鈍い蒼が漏れている。
リオンの視線が吸い寄せられた。
布の端が自重でずれ、柄頭の飾りが古い紋を見せる。
金の線がほとんど消えかけていた。
「……見てない。見てない。我はただの装飾品だ」
低い声。空気がわずかに震えた。
耳ではなく、胸の奥で響く。
リオンは目を瞬かせ、足を止める。
「喋る飾り、ですか?」
「おい、聞こえているのか。そこの鍛冶屋、目を逸らせ」
「いや、どう見ても逸らせません」
布の中で微かに金属の鳴る音。
神剣が小さく身じろぎしたようだった。
「我が輩は神剣などではない。似ているが別物だ。帳簿に書くな」
「書くのはあの人です。僕じゃない」
リオンが顎で示すと、マルツの筆が乾いた音で走った。
数字が列を作る。
「似ているだけだ。そっくりさんだ。神剣風だ」
「風なら風で、査定はしますよ」
空気の振動が止み、神殿の光が細い筋になって包みの上を滑った。
◇ ◇ ◇ ◇
マルツは帳簿を閉じ、視線を上げた。
「どうだ、価値は」
「ええと……古いです。修繕は必要ですけど」
「表情が変わった。良い物だな」
「いや、そういう意味じゃ」
「顔は嘘をつかない」
布がするりと落ち、鞘の口金が光を拾った。
古い金具の合わせ目がわずかに歪む。
「この剣、差押対象にする」
マルツは筆を立て、朱印を素早く押した。
赤が紙に滲み、静かに乾いていく。
「待て。差押えなど認めぬ! むしろ、国家が我に納めるべきだ!」
包みの中で神剣の声が跳ねた。
白衣の神官がすくみ上がる。
香の匂いが急に濃くなる。
マルツは軽く息を吐き、手袋を直した。
「抗議は後で受け付けます。搬出の手配を急ぎましょう」
「ちょっと待ってください。状態の確認が」
「確認は輸送後で構いません。価値は落ちません」
リオンは息を整え、布の端を結んだ。
柄頭の革が手のひらに温度を残す。
「鍛冶屋、我を棚卸しするな!」
「仕事なんで、諦めてください」
短い沈黙のあと、外の鐘が二つ鳴った。
マルツが短く頷き、扉を押し開ける。
「搬出します」
「了解」
麻布が締まり、中から小さな舌打ちの音。
棚の埃が一筋、床に落ちた。
◇ ◇ ◇ ◇
神殿を出ると、冷たい風が通り抜けた。
麻布に包まれた神剣が、二人の係員によって荷車に積まれる。
麻縄がきしみ、金具が鳴る。
マルツは後ろを振り返り、鋭く声を飛ばした。
「おい、あれは丁寧に扱え。神格が割れたら賠償が発生するぞ」
係員の顔が一斉に引きつった。
リオンは苦笑しながら歩調を合わせる。
「神格の修理は、請求書に書けないですよね」
マルツは片手で書類を抱えたまま、淡々と答えた。
「記載項目がないからな」
倉庫の扉が開く。
中には同じように差し押さえられた聖具がずらりと並んでいた。
杖、冠、像、壺。どれも静かに沈黙している。
封印の印を外すと、包みの中から息のような音が漏れた。
「……ここはどこだ。まさか質流れ場ではあるまいな」
「差押保管庁。まあ、似たようなもんです」
「我を競売にかける気か!」
マルツはペンを回しながら、微笑を浮かべた。
「入札は年度末です。それまでに査定を終える必要がある」
神剣の光が小さく脈打つ。
リオンはその脈を見て、炉の火を思い出した。
「とりあえず、修繕の準備をします」
◇ ◇ ◇ ◇
倉庫の奥にある作業台。
リオンは革手袋を締め、包みを開いた。
光が一瞬、部屋を満たした。
金属の表面に亀裂が走っている。
長い時を経た刃は、まるで呼吸しているようだった。
リオンは指先で細い線をなぞる。
「触るな。そこは神性が宿る部分だ」
「錆びてます。神性ごと落ちてるかもしれませんよ」
「なにを言うか。これでも神の証だ」
マルツが後ろから書類をめくり、言葉を挟んだ。
「証明が必要ですね。どの神のものか、記録が曖昧です」
神剣アスラリアが金属音を立てて言い返す。
「曖昧で結構。神を帳簿に書き留めるなど不敬だ」
リオンは小さく笑った。
「不敬も、請求書の項目ですから」
アスラリアが低く唸る。
「鍛冶屋、お前はどこまで俗物なのだ」
「飯を食うには俗物でないと困るんです」
マルツが眼鏡を押し上げる。
「言い得て妙だ。人間らしい誠実さですね」
その言葉に、アスラリアの光が一段強まった。
まるで怒りと羞恥が混ざったように。
◇ ◇ ◇ ◇
修繕が一段落した頃、倉庫の扉が開いた。
白衣の女性が入ってくる。
神官補佐ルシェ。まだ若く、まっすぐな目をしていた。
「査定の立ち会いに来ました。神格が穢されていないか確認します」
マルツが書類を差し出した。
「査定項目はこちらです。修繕前後で重量差一〇グラム以内なら問題ありません」
ルシェが眉をひそめた。
「神を量るなんて、どうかしてます」
マルツは書類を整えながら答える。
「計量単位が違うだけで、やってることは同じです。神格も税率に影響しますからね」
リオンは二人のやり取りに挟まれ、苦笑いを浮かべた。
「宗教論争は後にしません? 刃を研がないと」
アスラリアが刃を震わせ、かすれた声で抗議する。
「刃など磨くな。神の顔を削る気か」
「顔が刃の部分って、笑えない設計ですよ」
ルシェが振り向いた。
「あなた、神具をなんだと思ってるの!」
「修理対象です。思ってるより脆いんですよ、神様は」
マルツが咳払いをした。
「面白い。続けてください」
倉庫に笑いが小さく響く。
アスラリアだけが本気で怒っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
夜。倉庫の灯りは一つだけ。
リオンは仕上げのため、刃を研いでいた。
研ぎ汁に光が溶けるように流れていく。
アスラリアが低い唸りを漏らす。
「本当に触る気か。神を試すつもりか」
「もう少しで終わります」
「我を逆撫でするな!」
「逆撫でって言われても」
力を入れた瞬間、金属が鳴った。
音は鋭く、部屋の空気が跳ね返る。
リオンは手を止めた。
刃先の向きが――逆になっていた。
息をのむリオン。
アスラリアが沈黙する。
扉が開く音。
マルツとルシェが駆け込んできた。
「どうしました!」
「……手違いで、刃が逆に」
マルツが無言で書類を開き、ペンを構える。
「修繕ミス。報告書に記載ですね」
そのとき、ルシェが目を丸くして叫んだ。
「ち、違います! これは――これは、謙遜です! 神が自ら、贅を捨てたんです!」
マルツが顔を上げた。
「謙遜?」
「はい。神が人と同じ地を歩くために、刃を伏せたんです!」
沈黙。
アスラリアの柄頭が、かすかに震えた。
「この娘、本気か……?」
「……今の、記録に残すか?」
リオンは額に手を当てた。
「もう残っちゃってますよ。口に出た時点で」
マルツは書類を閉じ、静かに言った。
「宗教的解釈として、追記しておきます」
ルシェは感動したように手を胸に当てた。
「神は、ついに税を超えたのですね!」
リオンは小さく息を吐く。
「いや、超えたのは理屈のほうですね」
倉庫の灯りが揺れ、刃の裏側で淡く光った。
◇ ◇ ◇ ◇
翌朝。
差押保管庁の前には、人だかりができていた。
新聞売りが声を張り上げている。
「『神、自ら贅を捨つ』! 王都で新たな奇跡!」
リオンは入口で立ち止まり、紙面を奪うように見た。
見出しには「逆刃の神剣、謙遜の象徴」と大きく書かれている。
「……昨日の、あれがニュースになるんですね」
マルツが通りの向こうから歩いてきた。
手には同じ新聞。
「世論が信仰を決める時代ですよ。発表前に記事になるんですから」
「すごいですね、宗教報道のスピード」
「信仰も速報性が求められるんです。神はトレンドです」
リオンは顔をしかめた。
「それ、もう皮肉ですよ」
庁舎の奥では、ルシェが取材に応じていた。
白衣を翻し、熱を帯びた声で語る。
「神は謙遜を示されたのです! この剣こそ、民の象徴に!」
控室の片隅で、包まれたアスラリアがぴくりと動いた。
「……あの娘、本気で信じたぞ。もう止まらん」
リオンは腕を組んだ。
「大丈夫ですよ。世の中は熱しやすく冷めやすいですから」
「我は冷めぬ方がいいと思うぞ」
「そりゃ、あなたが主役ですからね」
外で歓声が上がる。
人々の手には、小さな木製の“逆刃護符”がぶら下がっていた。
◇ ◇ ◇ ◇
王都の中央庁。
信仰局と財務庁の合同会議が開かれていた。
議題は神剣アスラリアの「税務上の扱い」。
長机を挟み、二つの部署の代表が向かい合う。
信仰局の局長が机を叩いた。
「信仰対象である以上、非課税扱いにすべきです!」
財務庁の官僚が眼鏡を押し上げ、冷静に資料を示す。
「所有権が神殿にある限り、資産課税の対象になります」
会議室の空気が一気に乾いた。
紙をめくる音だけが響く。
壁際で傍聴していたリオンは、深く息を吐いた。
「いつの間にこんな大事に……」
マルツは表情を変えず、資料をめくった。
「制度とは、誤解を文章化することです」
リオンは顔をしかめる。
「なんか今、すごく名言っぽいこと言いましたけど、正直やめてください」
「誤解が続くうちは、社会が動いている証拠ですよ」
ルシェが椅子を押しのけ、勢いよく立ち上がった。
白衣の裾が揺れる。
「神は人のために刃を伏せたのです。これを税に問うなど不敬です!」
マルツはわずかに視線を上げ、ペン先で机を叩いた。
「不敬の定義を決めるのも私たちの仕事です」
その音に、アスラリアが机の上で微かに揺れた。
「……我はもう何も言うまい」
リオンは溜息を吐き、眉を下げた。
「助かります。静かなのが一番ありがたいです」
マルツは資料の余白に短く文字を書き加える。
筆先が紙をなぞる音だけが残る。
そのあとで、低く呟いた。
「沈黙も信仰の一形態です」
会議室が一瞬だけ静まった。
窓の外で鐘が鳴る。
議論は続いたが、誰もその音を気に留めなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
数日後。
庁舎の裏で火災が起きた。
煙が倉庫の屋根を覆い、職員が走り回る。
リオンが駆け込むと、封印室の扉が歪んでいた。
中では火の粉が棚をなぞるように舞っている。
棚の上、アスラリアの包みが炎に包まれかけていた。
「冗談じゃない……!」
リオンが素手で布を掴んだ。
熱が指に走る。
その瞬間、包みの中から青白い光が広がった。
火の粉が消え、煙が静まる。
光はすぐに消えたが、炎は跡形もなく沈んでいた。
「……奇跡、って言われるやつですかね」
マルツが現場を見回し、記録板を取り出した。
「報告書の表現は“自然鎮火”。奇跡は書けません」
「現場の感想も書けないんですね」
「書くと査定が変わるので」
ルシェが駆け寄り、息を呑んだ。
「神が、私たちを守ったんです!」
アスラリアが静かに呟く。
「守ったのは倉庫の帳簿だがな」
リオンは小さく笑った。
「まあ、ある意味、国も救われたようなもんですよ」
◇ ◇ ◇ ◇
夕暮れ。
倉庫の外は静かだった。
報道も熱を失い、護符の出店も姿を消している。
リオンは木箱の前に腰を下ろした。
中ではアスラリアが淡い光を放っている。
もはや神剣ではなく、ただの剣。
けれどその光は、不思議と穏やかだった。
「これで、非課税ですね」
「うむ。神格が消えた証拠だ」
「気分はどうです」
「軽い。やっと帳簿の外に出られた気分だ」
マルツが現れ、手帳を開く。
「報告書をまとめました。分類は“凡剣”。信仰度ゼロ、危険度ゼロ、課税額ゼロ」
「ゼロばっかりですね」
「それが一番安定している」
リオンは空を見上げた。
薄い雲の切れ間から夕陽が覗く。
橙の光が、神剣の金具に反射した。
「なあ、鍛冶屋」
「なんですか」
「神とは、あれだな。帳簿を超える“誤記”みたいなものだ」
「言い得て妙ですけど、役所には通りませんよ」
マルツが微笑を浮かべた。
「通らなくていい。たまには、記録に残らない奇跡も必要です」
リオンは頷き、箱の蓋を閉じた。
光がゆっくりと消える。
鐘の音が、遠くで一つだけ鳴った。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
帳簿にも、信仰にも書けないもの――それを“物語”と呼ぶのかもしれません。
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