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事故物件芸人の俺

作者: 苺 迷音

 顔なじみの芸人たちが、椅子に腰かけて思い思いに過ごしている。

 メイクを直す者、台本をパラつかせてセリフ確認する者。スマホで動画を見て笑ってる奴もいる。

 そのざわめきの中に、俺も混ざっていた。

 片手には、ラベルの剥がれたミネラルウォーターのペットボトル。

 もう片手には、電子タバコを持っていた。


「あれ? ガッシーさん、タバコ吸ってました?」


 そう声を掛けて来たのは、昔からよく知る後輩芸人。

 こいつも、怖い話で動画の再生数を稼いでる。


「あぁ、一度辞めたんだけどなー。電子タバコが出て来てからまた、吸うようになったんだよ」


「なるほど。事故物件芸人としては、紫煙で部屋を汚すわけに行かないすもんねー」


「ま、そゆこと」


 そう言いつつ、俺はもう片方の手に持っていた水をひとくち含んだ。

 緊張しているせいか、どうも喉が渇いて仕方がない。

 

 後輩が首を傾げながら言葉を続ける。


「ガッシーさん、なんか……口調、変わりましたよね。前はもっと関西弁って感じだったのに。都会に染まっちまったて奴ですか?」


 少し揶揄うように言う後輩。

 俺も鼻で笑い、返答した。


「怪談話すときに、方言よりも標準語の方がわかりやすいって言われてな。日頃から訓練してるんや」


 そんなどうでもいい話をする。


***


 俺の名前は磯ガッシー。本名は磯田雅史。

 関西から出てきてもう十年になる。芸人として舞台に立って、テレビに出て……なんて夢を抱いてたけど、現実はそう甘くない。


 コンビを組んでた相方は三年前に故郷に帰り、今は一人で細々と動画配信をしている。登録者数は千人ちょっと。再生数は良くて数百。悪いときは二桁。

 

 それでも続けてたのは、他に出来ることも、夢を手放す勇気もがなかったから。

 もしかしたら俺にも運が向くかも。そんな宝くじみたいな事を夢見つつ、だらだらと芸人をやっていた。


 転機が訪れたのは、去年の夏のことだった。


 いつものように配信で視聴者のコメントを拾い、それをネタにどうでもいいことを話す。

 今思えば「それは、売れんやろ(笑)」

 みたいなコメントが来そうな配信。


 どちらかというと身内感覚で、和気あいあいとしていた。

 だからかコメントも、呑み会の延長みたいなものが多かった。


「ガッシーさんの趣味って何ですか?」


 どこにでもあるような質問。

 他愛も無いものだ。


 だから俺も、深く考えずにそのコメントを拾った。


「趣味かぁ……特にはないねんけど。せやなぁ、引っ越しはようするかも知れんな、ある意味趣味っちゃ趣味か?」


 (笑) や www 


 と言った、所謂『草生える』と言うものでコメント欄が埋まった。


 でもこれは、本当のことだった。

 安いアパートを転々としてるから、必然的に引っ越しが多い。


「引っ越し多いってことは、怪奇現象とか、あったんじゃないですか?」


 そのコメントを見た瞬間、なぜか俺の口は勝手に動いていた。


「あるある! めっちゃあるで!」


 本当は、一度もない。

 幽霊なんて見たことないし、ラップ音も、金縛りも、何もかも経験したことがない。

 

 だけど、そのとき配信画面の右下に表示される視聴者数が、みるみる増えていくのが見えた。

 大した増員じゃないけども。それでも視聴人数は右肩上がりだった。


「具体的にどんなことが?」


「詳しく聞かせて!」


「うわー怖そう」


 コメントが次々と流れる。

 もう後には引けなかった。


「せやなぁ……一番怖かったんは、二年前に住んでた物件やな。夜中にな、水の音がするんや。ピチャピチャって」


 全部、嘘だった。でも、視聴者は食いついた。

 俺はその場で、即座に話を膨らませた。水音の正体は、上の階の住人が毎晩風呂で溺れる、という設定で。

 その住人は、三年前に入浴中に心臓発作で亡くなった老人の霊だった、という風に。


 配信終了後、俺は震えていた。

 嘘をついた罪悪感からじゃない。興奮からだった。


 翌日、動画の再生数は過去最高を記録していた。

 コメント欄は


「怖すぎ」「続きが聞きたい」「ガッシーさんの体験談、本にしてほしい」


 で埋め尽くされた。


 それから俺は、毎回配信で『体験談』を語るようになった。

 全て創作だった。

 でも、リアリティを出すために細部まで練り込んだ。

 間取り図を描き、住所も実在する場所に設定し、不動産情報まで調べた。


 動画配信サイトの登録者数はみるみるうちに、万を越えた。

 SNS・コミュニティーサイトで、ショート動画も発信した。

 それを共有してくれる人たちがさらにまた共有を増やしてくれて。

 あっという間に、そちらのフォロワーも二桁万人。


 俺は「事故物件芸人」と呼ばれるようになっていた。


 そのうちに、出版社からもお声がかかった。


「磯ガッシーさんの実体験をまとめた怪談集を出版しませんか?」


 俺は二つ返事で了承した。

 本のタイトルは『ガッシーの事故物件芸人・体験記』

 帯には「全て実話」と大きく書かれた。


 本は予想以上に売れた。

 テレビからもオファーが来るようになった。

 バラエティ番組のホラー企画、深夜の怪談番組。

 俺は事故物件芸人として、ちょっとした有名人になれた。


 そして今日。俺は今までの人生の中で最大の仕事に挑もうとしている。

 

 ゴールデンタイムの特番『夏のホラー特集・本当に怖いのは誰だ?』への出演。

 

 スペシャルゲストは『怪談師・潤爺』師匠。


 師匠も元芸人で、今は怪談の語り部として活動している、

 業界ではもちろん、老若男女問わず怪談話やホラー好きなら知らない人がいないほどの超大物だ。


 俺は楽屋で、今夜語る予定の話を頭の中で整理していた。

 もちろん、全部嘘だ。


 だが。


 これまでと同じように、きっとうまくいく。


 でもね……本当に怖かったのは、この話を始めた『後』なんすよ。


***


「俺が一番最初に話した『創作怪談』

 それって、水に濡れた女が夜な夜な部屋の中を徘徊する話やったんですよね。

 ……今思えば、あいつ、最初から俺の語りに寄ってきてたのかもしれません――」


 最初に異変に気づいたのは、三ヶ月前のことだった。


 いつものように自室で配信を終えて、モニターの電源を切った。

 画面がブラックアウトした瞬間、ほんの一瞬だけ、何かが映った気がした。

 自分の後ろに立つ、知らない男の顔。


 慌てて振り返ったが、当然誰もいない。

 六畳のワンルーム。俺以外に人がいるスペースなんてない。


 気のせいだと思った。

 配信で怖い話ばかりしてるから、自分で自分を怖がらせてるだけだろう。


 だが、それは始まりに過ぎなかった。


 そういえば、一度だけ妙な経験をしたことがある。

 まだバズる前、二年前に住んでいた安アパートでのことだ。


 その頃から、妙に喉が渇く日が続いていた。冷蔵庫の水をがぶ飲みしても、まだ足りない。

 夜中に何度も目が覚め、寝ぼけながら台所に向かい、蛇口から直接水を飲む。

 コップでは間に合わない。口を蛇口に押し付けて、ひたすら飲み続ける。


 何かの病気かと思って病院にも行った。

 血液検査、尿検査、すべて異常なし。でも身体は水を求めていた。


 医者は「夏バテでしょう」と言ったが、季節は春だった。


 あの異常な渇きは、引っ越しと同時にぴたりと止んだ。

 そして、その物件について後から知ったことがある。前の住人が熱中症で亡くなっていたのだ。

 真夏、電気代を滞納して電気が止まっていた部屋で、誰にも気づかれず……。


 発見されたとき、その人は台所の流し台の前で倒れていたという。

 蛇口に手を伸ばしたまま。


 もしかして、あれって。

 あの異常な渇きって――あの人の『乾き』だったんじゃないか。

 今思うと、あれが最初だったのかもしれない。


 だが、あの時はそこまで考えが及ばなかった。


 モニターの件も、最初はそんな程度だった。

 でも、日を追うごとに映りが『鮮明』になってくる。


 鏡ではない。モニターの黒い画面にだけ浮かぶ顔。

 録画を見返しても映っていない。スクリーンショットを撮っても何も写らない。

 でも確実に、そこにいる。

 気配がするのだ。


 顔の造作ははっきりしないが、どこか濡れているように見える。

 髪の毛から、頬から、常にしずくが垂れているような。


 そして、背後を振り返っても誰もいないのに、水音がするようになった。

 ピチャ……ピチャ……。

 水の滴るような、どこか間延びした音。


 最初は上の階の水漏れかと思ったが、管理会社に連絡しても「異常ありません」の一点張り。

 他の住人に聞いても、誰も水音なんて聞いていない。


 俺だけに聞こえる音。

 俺だけに見える顔。


 不思議と恐怖はなかった。


 最初こそ、驚きで鼓動が速くなったりもしたが、今はそんなことすらない。


 もちろん配信は続けた。

 むしろ、その恐怖体験すらネタにした。当然のように過剰な脚色して。


「最近な、配信してるとモニターに変なもん映るねん。多分、俺がこれまで住んできた物件の霊がついてきてるんやと思とる」


 視聴者は大喜びだった。


 それからも、事故物件あるあるや、創作の話を繰り返し配信した。

 そして、ある日のことだった。


 新作の怪談動画を上げたあと、何気なくコメント欄を眺めていた。


 ……ん?


 「ガッシーさん、今日の後ろ、マジでヤバいです。大丈夫ですか?」


 そう書かれたコメントが、まったく同じ文面で5件連続して投稿されていた。


 時間も、秒単位でまったく同じ。


 誰かの悪戯かと思ったが、ユーザー名もIDも全部違っていた。


 「バグかな……?」


 と呟いたとき、部屋のどこかで、ポチャ……と水が滴り響く音がした。


 また違う日。

 コメント欄に、こんな書き込みが流れた。


「ガッシーさん、後ろに映ってるの誰ですか?」


 俺は背筋が凍った。

 他の人にも見えているのか?


 だが、その後のコメントを見て、さらに恐ろしいことに気づいた。


「え、何も映ってないよ?」

「私も見えない」

「どこに映ってるって言ってるの?」


 見える人と見えない人がいる。

 そして、見える人のコメントが次第に増えていく。


「あ、今見えた! ガッシーさんの右肩のところ」

「うわ、気持ち悪い……なんか濡れてる」

「顔がはっきりしない」


 その騒動が拡散され、逆に再生数は伸びた。

 心霊系のまとめサイトに取り上げられ


「リアルタイムで霊が映る配信者」


 として話題になった。


 だが、俺の精神は少しずつ蝕まれていく。

 眠れない。風呂場の鏡にも何かが映る気がする。


 水の音が四六時中する。


 そして、決定的な異変が起きた。


 ある日、配信を終えてモニターを見ると、映っていたのは知らない男の顔ではなく、自分の顔だった。


 だが、それは俺じゃない。

 でも俺なのだ。

 笑い方が違う。目つきが違う。まるで、自分のフリをしている別の何かのように見える。


 モニター内の男――俺そっくりのソイツが、こちらを見て笑っている。

 俺が手を振ると、少し遅れて手を振り返す。

 俺が首をかしげると、やはり少し遅れて首をかしげる。


 まるで、俺の動きを真似しているかのように。


 俺が疲れてるだけか?


 目の調子が悪いのだろうか。


 そう思っていたら、画面に映っていた筈の俺の顔がどんどん大きくなってゆき

 

 「がはぁがはぁ」


 と言う声までしてきた。


 俺は震える暇もなく、目の前が真っ暗になり、そのまま『寝落ち』した。


 気づいた時には既に夜は明けていた。


 変な夢みたな。


 コキリコキリと首を鳴らす。


 最近PC作業ばかりしてたから、目は霞むし腰も痛い。


 たまにはゆっくり休むべきだな。


 それでも私は毎日、配信を重ねた。


 そのうちにコメント欄にも変化が現れた。


「ガッシーさん、最近キャラ変わりました?」

「なんか前と雰囲気違くない?」

「喋り方も微妙に変わってる気が……」


「あー違う……ねん。アドヴァイスもらってね。日頃から標準語話すようにしてるねん」


 そう言い、用意していたテーブルの上のペットボトルで喉を潤す。


「ガッシーさん、水 飲みすぎwww」


 そうコメント欄に書かれて気付く。配信時間はいつも1時間。

 始まってちょうど30分くらいなのに、既に3本のミネラルウォーターを飲んでいた。


 いつの間に?


 俺が飲んだのか?


 *


 その後も、動画編集やSNSなどの投稿でPCと向き合う。


 だが最近、そこに映るのは常に濡れた自分。


 濡れてるように見えるのだ。

 実際は全く濡れてなんていない。


 でも、濡れている。まるでゲリラ豪雨にでも遭遇してしまったみたいに。

 シャワーを浴びている最中のように。


 『水』に関わることが俺の生活を侵食していく。


 過去に自分が語った『嘘の怪談』の中にあった水にまつわる演出の数々。

 それに関係してるのか?

 

 事故物件――

 

 そういう部屋と関連付けて怪談話をするときに、一番紐づけ易かったのが水だったから使う。そんな安直な動機だった。


 二年前のアパートで感じた異常な渇き。

 あれが全ての始まりだったのだ。


 語りに混ぜている水の存在。

 それが具現化して襲ってきていると思った。


 このままじゃヤバい。

 なにか言い知れぬ不安と恐怖が、仄暗い水たまりから手を出し

 俺の足首を掴んで引きずり込もうとしてる感覚。


 たまらなく怖くなった。


 恐怖とかそんな生ぬるいもんじゃない。

 考えれば考える程、脳内がぐらぐらしてきて、歯がカチカチとなり始める。


 居てもたってもいられなくなった俺は藁にもすがる思いで、潤爺師匠に連絡を取った。

 

 俺がまだ芸人になったばかりの頃。

 地元が同じだからと言って、大変可愛がってくださった伝説級の人。


 『事故物件芸人』と言う肩書になったのも、もしかしたら無意識下で師匠に憧れていたせいなのかも知れない。


***


 潤爺師匠との待ち合わせは、新宿の小さな喫茶店だった。

 

 店に入ると、奥の席に潤爺師匠がマスク姿で座っていた。

 七十を過ぎた小柄な老人だが、その目には鋭い光が宿っている。

 長年、本物の怪異と向き合ってきた人の目だった。


「ガッシー君、久しぶりやな」


 マスクを外しながら関西弁で話しかけてくる師匠。俺も自然と関西弁で返す。


「潤爺師匠、お忙しい中すんません」


「ええねんで。電話で聞いた話、気になってもうてな。まぁ座り」


「はい。失礼します」


 俺は潤爺の向かいに腰を下ろした。

 師匠は俺の顔をじっと見つめ、しばらく黙っていた。


「……なるほどなぁ」


「え?」


「もう始まっとるわ。はよ気づいたったらよかったんやろけど」


 師匠の言葉に、俺は背筋が寒くなった。


「何が……始まってるんですか?」


「自分、最近水ばっかり飲んでるやろ?」


 図星だった。

 ずっと異常なほど喉が渇く。楽屋でも、ペットボトルを手放せない。


「はい。でも、これと霊の話と何の関係が……」


「大ありや」


 師匠は深刻な顔で続けた。


「ガッシー君が語ってきた話、全部嘘やろ?」


 俺は何も答えられなかった。


「黙ってても分かる。別に責めてるんちゃうで? わしかて若い頃は芸人やった。ガッシー君の気持ちはようわかる。それにな? わしも話しとること、全部ほんまのことちゃうで? あんなもん全部ほんまやったら、えらいこっちゃやろ」


 師匠は小さく笑ってくれた。

 俺を落ち着かせようとしてくれてる事に、有難さや嬉しさが込み上げて来る。


「本来、怪談ちゅうのはな。体験した人の魂の叫びなんや。恐怖も、悲しみも、すべて本物の感情が込められてる。それを聞く人は、その感情を受け取って、供養の気持ちを抱く。それが怪談の本当の役割や。でも堅苦しいことばかりちゃうやん? わしも含め、一種の『エンタメ』としての側面もあるんや。それは古今東西変わらんねん。落語にもあるやろ。そういう話」


「でも、俺の話は……」


「嘘や。それでもええねん。でもな、その器に何かが入り込むことがある。ガッシー君は知らん間にそれ、作ってもうたんやろな」


 師匠は声を潜めた。


「君が語った中で、一番リアルに描写したんは何にまつわる話や?」


「……水、ですかね。水音とか、水に関する話が多かった気がします」


「そうか。水はな、記憶を溜め込む。特に、強い感情を伴った記憶をな。君が嘘の話に水の要素を入れまくった結果、本物の水の記憶が引き寄せられてしもた」


「本物の……記憶?」


「君が二年前に住んでたアパートの前住人。熱中症で亡くなった人の記憶や。個々に来る前にガッシー君の動画、ちょい観せてもろた。その中に気になる動画があったんや。ほら、ガッシー君、リアリティー出すために、間取りとか住所とか……一部伏せてはおったけど。そういうの出してたやろ? うちの事務所のスタッフはそういうの調べるのはお得意やからな。で、調べてもろたら、そんなことがあったって。あってるか?」


「……はい」


「多分その人は最期まで水を求めとった。その渇きが、君の嘘の話に共鳴してしもたんやろな」


 俺は震えた。

 震えるしかなかった。


「それで、俺に取り憑いてるちゅうことですか? でもあれ……半分は俺の創作なんですよ?」


「いや、もっと厄介や」


 師匠は首を振った。


「取り憑くんやない。入れ替わろうとしとるで」


「入れ替わる?」


「君が嘘を重ねるたびに、その人の記憶が強くなっていく。そして今度は、君の記憶を薄めていく。最終的には、君がその人になってしまう」


「え? 意味がわかりません。なんでそんなことになるんです?」


「わからんか? 水、なんで飲みとーなるんか。なんで死者には水あげるんか。わからんか?」


 そう師匠に言われて、ぞっとした。


 言われてみれば。


 水をあげるって……。


 俺が水を飲みまくって、喉が渇きまくるのは、俺が――


「嘘や!! そんなん、ありえへん!」


 思わず、叫んでいた。


「まぁ、そう思うてもしゃーないわな。でもな? 水ってそういうこっちゃ。命を繋ぐものや。人の生死を繋いでる」


「そんなん! わからんやないですか! なんでそんなことになるんですか!? 乗っ取られるとか聞いたことない!」


「わしもさすがに因果はわからん。でもな。わしが長年見聞きしてる中にも、ガッシー君みたいな人はおったんや」


 師匠は言葉を続ける。


「でも安心しぃ。それを今、自覚したやろ? ガッシー君がそれを認識した時点で抗うことができるんや」


 俺は頭を抱えた。


「どうすればええんですか? 抗う方法は……方法は……っ」


 そうしようとしてないのに、勝手に膝が笑う。

 その上に置いた拳も震えてる。


 口元が異様に乾く。


 目の前にある、アイスコーヒーに手を伸ばそうとするが、師匠の話を聞いてからじゃ、何も飲めなくなってしまった。


 グラスを流れる水滴が、俺の焦りを嘲笑ってる様にさえ見えて来る。


「一つだけあるで」


 その言葉に俺は、咄嗟に身体を師匠の方へと突き出していた。


 師匠は真剣な顔で話す。


「ガッシー君が本当のことを話すんや。今まで嘘をついてきたことを、全部明かしたらええ。嘘の器を壊すんや」


「そんな! それは……っ。そんなことしたら俺の芸人人生は……」


「そんなもん、それを逆手にとってやるくらいの根性みせなかんで? だからこそ、本当の話があれや。映えるっちゅーやつやな」


 潤爺の言葉に、俺は何も言えなくなった。


「今夜の収録、まだ間に合う。本当のことを話すんや。そうすれば、嘘の器が空になって、その人の記憶も元の場所に戻っていくはずや」


 俺は迷った。

 これまで築き上げてきたもの全てを失うことになるかもしれない。


 だが、師匠の言葉を聞いて気づいた。

 最近の俺は、本当に俺だったのだろうか?

 電子タバコを吸うようになったのも、標準語で話すようになったのも、本当に俺の意志だったのか?


 もしかして、もうすでに……。


「……分かりました。今夜、本当のことを……話します」


 俺は決意を固め、それを聞いた師匠は安堵の表情を見せた。


「それがええ。本当に怖いのは、誰にも入れ替わりがわからんことや。ちゃんと覚悟して話すんやで」


 俺たちは喫茶店を後にした。

 収録開始まで、あと三時間。


 果たして、俺は自分を取り戻すことができるのだろうか。


***


 そして、収録時間。

 俺は吸っていた電子タバコををジーンズのポケットへ入れる。


 後輩芸人との会話を終え、俺は鏡を見た。

 そこに映る俺の顔。

 

 さぁ 今日は勝負だ。


 ここで決めなきゃ、次は無い。


 気合を入れて――



「磯ガッシーさん、お疲れ様です。そろそろお時間です」


「はい」


 俺は立ち上がった。

 決意は固まっている。今夜、全てを明かそう。


 スタジオに向かう廊下で、俺は潤爺師匠とすれ違った。

 潤爺師匠は俺を見て、一瞬表情を曇らせた。


「……ガッシー君?」


「はい、何でしょう?」


 俺は振り返った。潤爺師匠は何かを言いかけて、やめた。


 しばらく続く沈黙。


 そのあとゆっくりと、師匠は俺の肩を軽く二度叩いた。


「……頑張ってな。話、楽しみにしてるで」


「はい!」


「お前がな……嘘ついたんは……水に、嘘言うたんやな……。流れて行くもんやからなぁ……姿がわからなんでもしゃーないか……」


 呟くような師匠の言葉。

 でももう、俺の耳には届かなかった。


 それよりも。


 伝説の潤爺師匠に声を掛けて頂き、楽しみにしてると言って貰えてめちゃくちゃ心が弾む。

 

 絶対失敗できねぇ!


 怪談界隈の次世代は俺が背負うんだ!


 そんな大仰な事を考え、口元のニヤニヤが止まらなくなった。


 ダメだ!


 そう喝を入れて、スタジオに入った。


 照明が俺を照らした。


 若手芸人が前振りを必死でやっている。

 その間にADに案内され、指定の場所へ腰を下ろした。

 

 そうして始まった収録。



 観客席からは拍手が聞こえる。


 MCが俺の紹介する。


「続いてご登場いただくのは、事故物件芸人として大人気の磯ガッシーさんです!」


 俺はマイクを握った。

 これから本当のことを話すのだ。


 これは嘘じゃない。


「皆さん、こんばんは。磯ガッシーです」


 標準語だった。関西弁じゃなく、標準語だった。


「今夜は、これまでで一番怖い体験談をお話ししようと思います。準備はいいですか? マジで怖いんで。始まりは、二年前の事でした――続きはCMのあと? あ、はい。カンペ出ました」


 会場が湧く。


 つかみはいいはずだ。この調子でやっていく。


 メイクさんに、テカリ避けの粉をはたいてもらい、横においてあったペットボトルの水を飲む。


「じゃあ、再度カメラ回していきまーす! 5! 4! 3!……」


 指が二本、一本。


 そしてGOのサインが出る。


 一拍、呼吸を置く。


 俺はきゅっと口元を結ばせ、ポン! と膝を叩いた。

 切り替えのタイミング。恐怖の演出だ。


 怒涛の展開に行く前、ここは淡々と……。


「毎晩のように、水の音が聞こえるんです。ポチャン、ピチャン、と。最初は気にしてませんでした。でも、段々その音が大きくなっていくんです。変だな? 変だな? おかしいな?って思い――」


 観客がざわめく。


「そして、その音の正体が分かったんです。それは……」


 スタジオの隅で、潤爺師匠が俺を見つめている。

 その目には、何とも言えない鋭さが宿っていた。


 潤爺師匠は気づいているのか。


「それは、死んだ人の渇きだったんです。真夏の部屋で、水を求めながら死んでいった人の……」


 俺の―声が、スタジオに響く。


 観客も共演者たちも息を呑んで聞いている。

 でも誰も知らない。

 この話だけは、俺が体験した『本当の話』だってことを。


「その人は最期まで水を求めていました。蛇口に手を伸ばしながら……」


 モニターに映る俺の顔。

 それは確かに磯ガッシーの顔だった。


 いつもより、凛々しく見えた。


 ――俺、いい顔してるよな?


「だから今でも、水を求め続けているんです。誰かの体を借りて……そして最近、皆さんもご存じだと思うんですが、俺が配信中――」


 話は続く。

 観客は怖がり、視聴者は画面に釘付けになるはずだ。


 そして、この話も明日にはネットで拡散され、また新しい嘘として消費されていくのだろう。


 今夜、本当に怖い話をしたのは誰だったのかを。


 水は記憶する。

 嘘も、真実も、すべてを溜め込んで。


 そして流れて行く。


 どこかからどこかへと。


 今夜もまた、どこかで水音が響いている。


 次は誰の番だろうか。


-了ー


※稚拙ではありますが……。

水を怪談話そのものの暗喩にと思い、信用ならない語り手を書きました。

ご覧くださいまして ありがとうございました(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)

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