第六夜 こちらの方たちって一体……てか、クロさん、やっと活躍できましたねw
招かれた屋敷を見て、咲夜は満足そうにうなずいた。
咲夜の様子を表現するのなら、さながら「悪くないわね」といったところだろう。
「咲夜さん。狭いところですが、どうぞお入りください」
耀哉が手を添えて馬車から降ろしてくれる。
狭いところ──これが謙遜であることは、さすがに咲夜でもわかった。
此花の屋敷の倍か、もしかしたらそれ以上はあるかもしれない。
手入れの行き届いた庭。母屋の他にもいくつか建物があり、立派な蔵まであるのだった。一目で裕福なのがわかる。
「ようこそお越しくださいました。咲夜お嬢さま」
いつぞやの使用人だ。
うやうやしく頭を下げて出迎えてくれた。
咲夜はツンと鼻を持ち上げる。
「出迎えご苦労さま。ただ、堅苦しいあいさつはいらないわ。さっさと中へ案内してちょうだい」
「かしこましりました」
「おい、咲夜」
クロが肘で突いてくる。
来なくていいと言ったのだが、守護者として離れるわけにはいかないと聞かないため、咲夜の使用人ということでついて来たのだった。
「何よ!」
「そういうのって、招かれた方が言う台詞なのか?」
「何!? いつから小姑になったわけ!? いい? 私は請われてこの浦島家と結婚するのよ。どう考えても、立場は私の方が上じゃない」
クロは指で目頭をつまむ。
「たぶん、お前は人としてどっかで大きく道を間違ったんだろうな。でなきゃ、普通の人間は、そんな思考に至るはずがない」
「それも褒め言葉だと受け取っておいてあげるわ。何せ、この日はめでたい日だもの。ありがたく思いなさい」
「咲夜お嬢さま。何か気になることでありましたでしょうか?」
「気にしなくていいわ。さっ、いつまでこの私を立たせてるつもりなの?」
「失礼致しました」
使用人を先頭に、耀哉、その後に咲夜。斜め後ろにはクロという順で歩いて行く。
ふと見るとクロは物珍しそうに辺りを見回しているのだった。
「何やってんのよ」
咲夜はいかにも残念、といったように頭を振る。
「キョロキョロして、まるで『お上りさん』じゃない。みっともない。此花家が笑われるのよ」
「誰がお上りさんだ。だが、心配すんな。俺の姿はお前以外には見えてねえよ」
「あら、そうだったわね。じゃ、消えてていいわ。そもそもついて来る必要なんてないんだから」
「そうはいくかよ。一応、これでもお前の守護天使なんだからな」
「何もしないくせに! ほら、あそこの池を見なさいよ。立派な鯉がいるわ。戯れて来なさいよ」
「ハッ! やっぱりお前は性悪ドブスだ」
「ありがとう」
外観は日本家屋だが、内装は洋風になっていた。
なかなか洒落ている。
立派な装飾がされた椅子に腰掛けると、大きくノビをした。
二時間近く馬車に揺られていたから、体が凝り固まってしまっていたからだ。
「ちょっと喉が渇いたわね。小腹も空いたし」
咲夜は手を打つ。
「誰か! 誰かいないの!」
ドアに向かって叫ぶが、反応がない。
「何をしてるのかしら? 此花の家なら天音が飛んで来るっていうのに!」
「おい」
「小姑はお黙り!」
憎々しげな視線を向ける。
「お呼ばれしておいてその態度はなんだ! って言いたいんでしょ? お生憎さま。もうすぐこの浦島家の主人になるの。だから使用人を呼びつけて何が悪いのよ」
「そうじゃない」
クロは窓から外を眺めている。まるで誰かを探しているようだ。
「この屋敷に来てから、白髪のじいさん以外の使用人を見たか?」
「ん? そう言えば──って、この私を出迎えるための盛大な準備をしてるのよ」
「こんな広い屋敷なら、数十はいるのが普通だ。それなのに一人も見ないなんて、どう考えてもおかしいだろ」
「何が言いたいわけ?」
「まさかお前、ダマされてるんじゃないだろうな」
「ダマされるってアンタねぇ。私が言うのもナンだけど、此花の家には盗られるようなお金はないの。盗るものがないのにダマしてどうなるのよ」
するとドアが開けられる。
「やあ、咲夜さん。お待たせしました」
耀哉がやって来たのだった。
彼の後ろには、例の白髪の使用人がいる。お盆の上には、飲み物が入ったグラスが載っていた。
「どうぞ、お飲みください」
「気がきくわね。えっと、なんて名前だっけ?」
「執事の影川と申します」
「ところで影川。他の使用人はどこ? 汗をかいたから着替えるわ。女中を呼んでちょうだい」
「生憎と、咲夜お嬢さまをもてなすための準備をしておりますゆえ、みんな出払っておりまして」
咲夜が視線を送ると、クロはそらみたことかと言わんばかりに肩をすくめていた。
「咲夜さん。あなたはそのままでも十分にお美しいですよ。さすがはわたしが見初めた女性だ」
グラスを口元まで持っていったところで、私は手を止めた。
「私が美しいのは知ってるわ。それから勘違いしないでちょうだい」
「は?」
「私がアナタを選んであげたの。間違えないでくれる?」
「は、はあ……ア、アハハハ! これは一本取られた。なあ、影川」
「そ、そうでございますね。おぼっちゃま」
「あと、これは一体どういうことかしら?」
「ま、まだ何か?」
「この飲み物の中に、毒が入ってるわよね?」
「咲夜さん、何を言ってるんです? 毒なんてそんなものを入れるわけないじゃないですか」
「なら、自分で確認してみれば?」
顔面にぶちまけてやった。
「う、うわわわわわ! た、た、大変だ! 影川! 少し飲んでしまったぞ」
「大丈夫です! お坊ちゃま! 解毒剤をお飲みください!」
小瓶に入った解毒剤を飲み干すと、耀哉は口元を拭った。
額には血管が浮き出ている。
「このクソアマァ! チヤホヤしてりゃぁいい気になりやがって! なんで気がついた!」
「フン! こっちは一度毒を盛られて死にかけてんのよ! それ以来、どういうわけか体が敏感になってるの。残念だったわね」
すると影川が不安げに耀哉を見る。
「クソ! どうするよ、兄者。やっぱコイツ、『月詠の聖女』の力が使えるんじゃねえのか?」
「馬鹿! 何バラしてんだよ!」
「す、すまねえ、兄者!」
「おいおい、兄者たち! いつまでモタモタしてんだよ。さっさと『月詠の聖女』を食っちまおうぜ」
どこかで聞き覚えのある声だと思ったら、窓の外に目の下に傷のある、あのチンピラがいるのだった。
「アンタたち、グルだったの!?」
咲夜は驚いて目を見開く。
クロも同じだったようだ。ただ、咲夜と違うのは単に驚いただけでなく、他にも良からぬ事実にたどり着いたからだろう。
「まさかお前ら、『邪神』か。だから俺の姿が見えたってわけか」
「ちょっとクロ! ジャシンって何よ!」
「平たく言えば、神に楯突く輩ってことだ。普段は人間界と天界の狭間に押し込められてるから、こんなところには来られないはずなんだが」
「てことはもしかして、神さまはもう……」
「いや、亡くなられたのなら今ごろあちこちが邪神だらけになってるはずだ。だが、神の力が弱まってるのは間違いない」
耀哉は不敵に口を歪めた。
「今世の『月詠の聖女』はかなりの不出来だと聞いてな。完全体になる前に始末するってことになったんだ。で、わざわざオレたちが出張って来てやったんだよ」
「不出来って何よ! 失礼な!」
邪神たちは、ジリジリとにじり寄って来る。
「こうなりゃ、力尽くでヤルしかねえな」
咲夜は後ずさる。
「クロ! 出番よ! 守護者なんだから、守ってくれるんでしょ?」
「ダメだ」
「はあ? また寝ぼけたことを言って!」
「コイツらは人間の体に入り込んでるんだ。俺たちは人間に危害を加えることはできない」
「本っ当に使えないわね! こうなったらアタシがやるしかないわけね──月詠の精霊! コイツらを倒しなさい!」
が、何も起こらない。
「なんでよ!」
咲夜は駄々をこねる子供のように、地団駄を踏むのだった。
「使おうとしたら何も起こらないなんて! このアタシを馬鹿にしてるわけ? 何が『月詠の聖女』よ!」
影川は肩を揺すって笑っている。
「やっぱり噂通りだな、兄者」
「ああ。アイツは自分が醜いって認識したモノにしか力を発動できないんだ。だからこの男前の人間の体を選んだんだ」
「頭いいなあ、兄者は」
「ああ。オレは賢い──」
耀哉は目玉が飛び出さんばかりに見開き、唇を震わせている。
咲夜が股間を蹴り上げたからだ。
「へえ。邪神も人間の男と同じところが弱点なのね。それともこれは人間の体を借りてるからかしら?」
「あ、兄者! だ、大丈夫か!?」
「大丈夫かぁ!?」
「このクソアマァがぁ! 頭に来たゾォ!」
「兄者! やるんだな!? じゃ、オレも」
「オレもだ!」
耀哉と影川とチンピラの体から、トカゲのような生物が飛び出して来る。
「な、何よ……コイツらは……」
大きな前足には、鋭い鉤爪が見える。触れるだけで切り刻まれてしまいそうだ。
「覚悟しろよ!」
咲夜は目をつぶる。
が、何も起こらないため、恐る恐る目を開けると、そこに怪物たちはいなかった。
「あれ? 化け物たちは?」
ふと見ると、クロが指輪を構えているのだった。
「馬鹿か。人間の体から出たんなら、こっちのモンだつっうんだよ。吹っ飛ばしてやったぜ」
「何よ、結構強いんじゃない」
「当たり前だろ。俺は神の使いだ」
「そうだったわね。うっかり忘れるところだったわよ」
改めて屋敷の中を見回す。
ここへ来た時にはあれだけ豪華な屋敷が、今はいつ朽ち果てても不思議ではないほどにあちこちに傷みが見られた。
「アイツらが幻術を使って幻を見せていたんだろうな」
「そんなこともできるんだ……化け物のクセに……ハッ!?」
自分の指を見る。
そこにあったはずの大きな宝石をあしらった指はなく、木の枝が指に巻きついてるだけだった。
「ふざけんじゃないわよ!」
精一杯の憎まれ口を叩いてみたが、すぐに全身から力が抜けてしまったのか、床の上にへたり込んでしまうのだった。