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第四夜 恋の前触れ!? イヤイヤ、咲夜ですよ!? 一筋縄ではいくわけないですって!

「おかしい!」


 着物をたすき掛けにし、いつになくやる気マンマンの咲夜だったが、憮然とした表情を浮かべていた。

 自宅の前にテーブルを並べ、天音が作ったパンを販売しているのだが、どういうわけか売れる気配がない。


 一つ三銭と決して高くはないはずだ。

 むしろ景気付けにパッと売れるよう、原価をギリギリまで抑えているにも関わらず、である。


「どうして誰も見向きもしないのよ!」


「お嬢、まだ販売したばかりですから。焦りは禁物ですぞ」


「そうね。さすがは小伊之助。伊達に歳食ってないわね」


 だが、時間が経っても一向に売れることなかった。

 物珍しさに手に取る客は数人いたものの、ほとんどはチラリと一瞥しただけで、立ち去ってしまうのだ。


「こんなに美味しいのに! どうして売れないわけ!?」


 咲夜は余ったパンにかじりつく。


「時間が経っても味が落ちるどころか、小麦の風味が強くなって、できたてとはまた違った美味しさがあるじゃない!」


「お嬢さま、申し訳ありません。私の力不足でございます」


「あの……咲夜お嬢さま……」


「どうしたの!?」


 咲夜が視線を向けると、籠目は「ヒィ!」と悲鳴を上げて天音の後ろに隠れてしまうのだった。小柄なので完全に見えなくなってしまう。


「お嬢、もっと優しくしてあげてくだされ」


「わかってるわよ」


 コホンと咳払いを一つ。

 極力、高めの声を出すように意識して、なおかつ笑顔を作る。


「籠目ちゃん、どうかしたのかしら?」


 すると恐る恐る顔を出す。


 まったく、幼児の引率をしている寺子屋の教師の気分だ。


「な、生意気言うようなのですが……」


「この際、何でもいいわ。この状況を打開できそうな案があるなら言ってちょうだい」


「み、見た目が、あまりかわいくないのがいけないかと……」


「かわいくない!?」


 籠目は表情を引きつらせ、慌てて頭を下げるのだった。


「も、申し訳ありません! 余計なことを申しました!」


「何でいちいち怯えるのよ!」


 だが、改めて木の箱に入れられたパンを見てみると、確かに丸くこねて茶色の焼き色をつけただけで、地味なのは否めなかった。


「天音。もっとかわいくできない?」


「かわいく、でございますか? 料理は得意なんですが、そちらの方の才能はからっきしでして……」


「じゃ、籠目は?」


 ブルブルと頭を振っている。


「ダメか。となると──」


 小伊之助をチラリと見るが、すぐにパンの方へと向き直る。


「お嬢! わしくしめに聞いてくださらんのですか!? これでも学生時代には美術をたしなんでおりまして──」


「はいはい。ヒマな時に聞いてあげるから。あっ、アタシにヒマな時はなんいんだけど──あっ!?」


 咲夜は手を打つ。


「やっぱりアタシは天才ね。自分の明晰な頭脳に恐怖すら覚えるわ」


「お嬢、何か名案でも?」


「もちろんよ」


 おもむろに咲夜は地味な見た目のパンに手をかざす。


「月詠の精霊たち! このパンを美しくしなさい!」


「お嬢さま、それは一体なんのおまじないですか?」


「気にしなくていいわ、天音。これでパンは美しく見違えるように美しく、そして美味しそうに──」


 パンには何の変化も見られない。


「クロ! これは一体どういうことよ!」


「阿呆か。お前は」


「は?」


「月詠の力は不浄を浄化するためのものだって言っただろ?」


 クロはパンを手に取る。


「正確に言えば、()()()()()()()()()()()()を浄化する力だ。このパンはお前にとって不浄か?」


「不浄どころか、美味そうに見えるわ」


「だとしたら、月詠の力は発動しない」


「なんだ、そんなことなの。それなら簡単に解決できるわ──天音!」


「は、はい!」


「このパンの見た目を、世にもおぞましいものにしなさい」


「ど、どういう意味でしょうか」


「言葉通りよ。目を覆いたくなるくらい、不味そうな見た目にしてちょうだい」


「は、はあ……」



 二時間後──



 出来上がった「それ」を見た瞬間、全員が絶句し、目を背けるのだった。

 道行く人たちも眉根を寄せ、子供などは大声で泣き出す始末。


 作った天音は口を歪めている。籠目は口を押さえると、「すみません!」と、トイレへと駆け込む。

 小伊之助は渋柿を口に放り込まれたかのような顔をしているのだった。


「よくやったわ、天音。ウェ! ここにハエがたかっていても、決して……ウェ! 驚かないほどの酷い有様よ。ウェ!」


「それは……褒めていただいてるのでしょうか……」


「もちろんよ。き、気のせいかしら、臭いまで不快に感じるわ……ウェ! も、文句のつけようがない出来よ」


「……私には、けなされているようにしか聞こえないのですが……」


「不本意なのはわかるわ。でもね……こ、これは此花家ののためなの。我慢なさい」


「……お嬢さまがそうおっしゃるなら……」


「さあ! 月詠の精霊たちよ! この見るも無惨で顔を背けたくなるようなパンを、世にも美しく美味しそうな見た目に変化させてちょうだい!」


 光の粒が降り注がれた「それ」は、徐々に姿を変えていく。やがて人の目を惹きつけて離さないほどの美味しそうな見た目へと変貌するのだった。


「おおっ!」


 天音たちは揃って感嘆の声を上げる。


「お、お嬢さま……これはどういうことでしょう?」


「聞いて驚きなさい! どうやらアタシは『月詠の聖女』なんだそうよ!」


「お嬢、それは一体なんですか?」


「クロ! 説明なさい!」


「あのなぁ、こういうのはもっと厳かにだな──」


「すみません。とてもいい匂いがするんですが、それはなんですか?」


 いつの間にか、屋敷の前には人だかりができていたのだった。


「これなら売れるわ! みんな、忙しくなるわよ!」


 思惑通り、大盛況となるのだった。

 一人目の客がその場で一口食べたかと思うと、「うまっ!」と叫ぶ。

 すると周囲にいた通行人たちは、なんだなんだと集まって来て、あっという間に行列ができるのだった。


「ウヒヒヒッ! まさかこんなに儲かるとは。天音にもっと作るように言っておけば良かったわ」


「お、お嬢! 口元がだらしないことになっておりますぞ。嫁入り前の娘がはしたない!」


「ハッ! アタシとしたことが!」


 慌ててヨダレを拭く。


「でも、うまくいったわね! みんな、この調子で明日からも売りまくるわよ!」


「おい!」


 ガラの悪そうな男が、肩で風を切りながらやって来る。


「残念ね。売り切れよ。明日また来なさい」


「客じゃねえんだよ!」


 左目の下に傷があり、はだけた着物の胸元からは入れ墨がのぞく。


 どうやら堅気の人間ではないようだ。


「誰に断って商売してんだって話だよ!」


「何でアンタに断らなきゃなんないのよ。そもそもアンタは誰よ?」


「オレは小澤一家の者だ。この辺りを仕切ってるモンだ」


「小澤一家? 聞いたことない家名ね。こっちは泣く子も黙る此花家よ!」


「お、お、お嬢さま!」


 天音が耳打ちして教えてくれる。


「こちらの方は、いわゆる『アッチ系』なわけで……おそらく、みかじめ料を支払らえってことなんだと……」


「みかじめ料?」


「お嬢。場所代ってことですな」


「はあ? 自宅の前で何を売ろうがアタシたちの勝手でしょうが!」


「お嬢! あんまり刺激するようなことは言わない方が──」


 案の定、「アッチ系」の男は「おうおう」と、肩で風を切ってやって来る。


「ずいぶん威勢のいい嬢ちゃんだな。けどな、あんまり生意気言ってると、痛い目に遭うぜ」


「そっちこそ誰に口きいてると思ってるのよ! 此花咲夜さまよ! 『月詠の聖女』よ!」


「おいコラ! 何をシレッとバラしてんだよ!」


 クロを無視して、咲夜は手のひらを男に向ける。


「この無礼者! アタシの前で跪くがいいわ! 月詠の精霊よ! 力を貸しなさい!」


 だが、あたりはシンと静まり返っていて、何も起こる気配はない。


「あれ?」


 クロはがっかりしたようにうなだれる。


「未熟なお前に、月詠の力が何度も使えるかよ。燃料切れだ」


「何ですって!? 回数制限があるの!? そんなの聞いてないわ!」


「おい!」


 男は拳を高々と持ち上げている。


 天音と籠目は悲鳴を上げて目を背け、小伊之助は身を挺して守ろうと駆け寄って来る。が、いかんせんスローリーなので、到底間に合いそうもない。


 クロはというと、守護者とは名ばかりで咲夜を守ろうとする素振りすら見せもしない。


 だからと言って、咲夜は顔を背けるようなことはしない。


 こんな無礼な輩を相手に、弱腰な姿を晒すなんて死んでもできないからだ!


「何をしてるんだ!」


 振り上げられた拳は、咲夜に届くことはなかった。


 見知らぬ男性が、「アッチ系」の男の腕を捻り上げていたからだ。


「アダダダダッ! 離しやがれ!」


「ご婦人に手を上げるとは、男の風上に置けないヤツだ」


「一体何者だ!」


「お前のような者に名乗る名はない。あっちへ行け。ご婦人に近寄るな!」


 手を離すと「アッチ系」の男はよろめく。それで引き下がればいいものを、性懲りも無く「テメェ、この野郎!」と殴りかかるのだった。


 男はスルリと身を翻して拳をかわすと、顎に掌底をくらわせる。「アッチ系」の男は膝から崩れ落ちた。


「これ以上やるというのなら、次は手加減しない。わかったか?」


「く、くそっ! 覚えてやがれ!」


 捨て台詞を吐いて行ってしまったのを見届けると、男は咲夜たちの方へと向き直る。


「お怪我はありませんでしたか?」


「なかなからやるわね。褒めてあげるわ」


「そちらの方もご無事で?」


 咲夜とクロは目を見開く。


「アナタ、この男が見えるの?」


「え? こちらの男性のことですか? もちろん見えますが……」


「へえ。見えるんだ」


「それが何か?」


「別になんでもないわ。ところでいつまでここにいるつもり? 用が済んだのなら、さっさと帰りなさい」


「お嬢!」


「お嬢さま!」


「咲夜お嬢さま!」


 小伊之助と天音と籠目は慌てている。クロに至ってはもう慣れたようで、興味なさげにあくびをしているのだった。


「お嬢! こちらの御仁は、お嬢を助けてくださったのですぞ。ここは屋敷でお茶の一つでもお出しすべきでは?」


「助けてくれと頼んだ覚えはないわ。その男が勝手にやったことよ」


 天音たちはアタフタしているが、男の方は特段気分を害した様子はない。

 それどころか、頬を火照らせたように赤らめているのだった。


「アタシに見惚れる気持ちは理解できるけど、ジロジロ見られるのは好きじゃないの。消えてくれる?」


「お美しい……」


 思わず口から漏れた、といった感じだった。

 これが「普通」のヒロインなら、恋に落ちるシーンなのだろうが、そこは我らが此花咲夜──


「知ってるわ」


 と、にべもない。


 だが、男は諦めない。


「あ、あの……どうか妻になっていただけないでしょうか?」


「はあ? アナタ、何を寝ぼけてるの? このアタシを娶ろうなどと──」


「若さま」


 男の使用人のようだ。

 小伊之助と同じような燕尾服を着ている。真っ白な髪の毛を後ろに撫で付け、軽く腰を曲げているのだった。


 そそくさとやって来ると、そっと男に耳打ちをする。


「宝石商が屋敷にやって来る時間が迫っておりますが」


「待たせておけばいい」


「しかし──」


「いつも大量に買ってやってるんだ。少しくらい待たせても文句は言わないだろう。わたしは今、このお美しい方と話をしているんだ」


「承知いたしました」


 使用人が下がると、男は再び咲夜に向き直る。


「話の途中で失礼いたしました。それに不躾なことを言いまして申し訳ありません。後日出直して──」


「その必要はないわ」


「は?」


「結婚してあげる」


 これにはさすがのクロも予想外だったに違いない。

 天音たち同様、口をあんぐりと開けたままになっているのだった。

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