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「ペンダントは肌身離さず持っているように言っただろ!」


 イヴァールは眉間に皺をよせ、厳しい口調でわたしを叱った。彼の目には焦りと共に安堵が映っていて、普段の余裕ある態度はどこにも見当たらなかった。


「え……? あ、うん……そうよね、ごめんなさい……でも、チェーンが壊れて……エスターライヒ様に……それで……バルサザール様の家に遊びに行ったら、ジャムじゃなくて……小さくなって……ピオニーが……そしたら鳥が……木の上で……七羽の雛がいて……大きな音がして……」


 わたしは状況を説明しようとしたが、口から出てくる言葉はまとまりがなく断片的で、まるで頭の中が混線しているかのようだった。話せば話すほど支離滅裂になり、自分自身でも何を言っているのか分からなくなっていった。


 イヴァールは混乱したわたしをじっと見つめると、ため息をつきながらポンポンと優しく頭を軽く叩いた。


「まったく、お前はいつも手がかかる……でも無事でよかった」


 その穏やかな声に、張り詰めていた感情が一気に崩れ、気づけば目元が熱くなっていた。


「もう……何やってたのよ……遅いのよ……」


 涙ぐみながら声を絞り出すと、イヴァールは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに優しい表情で微笑んだ。


「悪かったな。お前がペンダントをしていなかったから、お前の場所に直接転移することができなかったんだ。俺の魔力も完全には回復していなかったから、鏡を使ってお前の居場所とここを繋げるのが精一杯だった——」

「イヴァァールゥゥー……」


 イヴァールが言い終わらないうちに、わたしは彼に抱きつき、声をあげて泣いていた。恐怖や不安、そして彼が助け出してくれた安堵。それらが一気に混ざり合い、涙となって溢れ出す。


 イヴァールの胸に顔を埋めながら、ふと気づいた。どこかでわたしは、イヴァールがきっと助けに来てくれると信じていたのだと。彼は必ずわたしを守ってくれるという確信。それが胸の奥にずっとあったのだ。


 イヴァールはそっと背中に手を回し、優しく頭を撫でた。その手の温もりに、さらに涙が止まらなくなる。


「世話の焼ける婚約者だな」


 イヴァールの声には、呆れたような響きと共に深い優しさが滲んでいた。


「本当に怖かった……」

「これに懲りたらペンダントは二度と外すなよ?」

「うん、約束する……。でも、あのペンダントって何なの……?」

「あれは俺が作った魔道具だ。守護魔法を織り込んである。あらゆる物理攻撃を無効化するし、お前に()()感情を抱いた奴も近寄れない。毒や呪いの解除機能と、非常時にはお前を瞬時に安全な空間へ退避させる転移魔法も含まれている。そして、お前の位置を感知する機能も組み込んでいるから、お前がどこにいようと俺はその場所へ転移できる」

「え……?」

「だがな、それには欠点もある。魔術師にはその“魔力の流れ”が感じ取られてしまうんだ。この国には俺とバルサザールしか魔術師がいないから、師匠には内緒にしてくれと頼んであったんだ」


 わたしは、レセプションパーティーで魔術師たちがわたしの前を通り過ぎるときの反応、バルコニーでのエスターライヒ様の意味深な言葉、そして、学生時代にイヴァールを慕っていた多くの令嬢たちにとって邪魔な存在だったはずのわたしが、なぜか誰にも直接的な攻撃を受けなかったことを思い出した。


(そんなすごい代物、わたしが持っていてもいいのかしら……)


 そう胸の中でつぶやきながら顔を上げると、少し離れたところでこちらの様子を申し訳なさそうに窺っていたエスターライヒ様が、わたしたちにゆっくりと歩み寄り、深々と頭を下げた。


「第三王子殿下、ベルヴュー辺境伯令嬢、この度は本当に申し訳ございませんでした。つい探求心に駆られてしまいまして……。私は解呪系の魔法への干渉が得意で、殿下が施された魔法について詳しく調べたくなったのです。その結果、ベルヴュー辺境伯令嬢を危険な状況に晒してしまい、心よりお詫び申し上げます。こちらは元の状態に修復いたしましたので、ただいまお返しいたします」


 エスターライヒ様がペンダントを返そうとわたしに手を伸ばしたとき、イヴァールが素早くその手を掴んだ。


「今回の件は、私の至らなさが招いた結果です。同じ過ちを二度と繰り返さないためにも、それは私に返していただきたい」


 エスターライヒ様は眉を下げて微笑むと、イヴァールの手にペンダントを丁寧に渡した。





 そのとき、大広間の隅から四人の令嬢が近づいてきた。イヴァールを取り巻く常連、アデル様、ブレンダ様、カミラ様、そしてデボラ様だ。


 彼女たちは手に持っていた扇を広げると、わたしに蔑んだ視線を向け、言葉を放った。


「そんな汚れた恰好でこの場にいらっしゃるなんて……。そのような礼儀をわきまえない方は、イヴァール殿下の妃に相応しくありませんわ」

「そうですわ。幼い頃に負った傷も、もう消えていると伺いましたわ。それなのに、それを理由に婚約者でい続けるなんて、イヴァール殿下が本当に気の毒ですわ」

「イヴァール殿下を解放して差し上げてはいかが? 殿下には、もっとふさわしいお相手がいらっしゃいますわ」

「イヴァール殿下の未来をお考えになれば、あなたが身を引くことが最善ですわ。どうかお考え直しくださいませ」


 昨日からの一連の出来事で、わたしの姿は見るも無残な状態だった。華やかなコートドレスではなく、普段着のデイドレスのまま。それも、災難続きでボロボロに汚れている。彼女たちの言う通り、壮麗な大広間の雰囲気には到底そぐわない格好だった。


 そんな彼女たちに対し、普段なら貴公子の仮面を被り軽妙な言葉で場を和ませるイヴァールだが、今日はいつもと違った。彼は彼女たちの方を振り返ると、冷え冷えとした視線を向けた。



「今なんと言った? リディアが俺に相応しくないだと? ふざけるな……! 俺に相応しくないのはA~D、お前らだ!!」

「「「「A~D????」」」」


 イヴァールが怒鳴り声をあげると、彼女たちは目をパチクリとさせ、きょとんとした表情を浮かべた。


「お前、『プッ、見てあの子……』と言ったな? 見たらどうなる?」

「え?」

「お前は、『なんだかちょっと、ねぇ……』と言ったな? 何が言いたい?」

「はい?」

「それからお前は、『あれじゃまるで……』と言ったな? まるでなんだ?」

「へ?」

「そしてお前、『痛々しいわ……』と言ったな? どういう意味だ?」

「えぇと?」


 令嬢たちは意味がわからず、皆、首を傾げている。イヴァールは、彼女たちを睨みつけたまま、さらに続けた。


「見かけない? 王子がその辺を歩いているわけがないだろ!」

「……」

「どうしてここにいるかって? 王子が王城にいるのが不思議か!?」

「……」

「場違いだと? お前が招待されたことが『間違い』なんだよ!」

「……」

「下がりなさい? お前が下がれ! 今すぐに!!」

「……」



 彼女たちはイヴァールのあまりの剣幕に身をすくめたが、わたしはその一連のやり取りを見て、涙が止まった。



 この話には覚えがある……。これは、イヴァールが魔力暴走を起こしたときのことだ……。



「俺がリディアと婚約したのは、彼女に傷を負わせたからじゃない!! 俺の意思だ!! リディアはあの頃の俺の容姿を……太っていた俺を蔑むことはなかった!! お前たちと違ってな!!」



(あ……言っちゃった……)



 普段は黒歴史として決して話さない自分の過去を、彼はこの場で暴露してしまった。



 そう、幼い頃のイヴァールは肥満児だった……。彼女たちは、幼い頃に行われた王太子殿下と第二王子殿下の婚約者を決めるためのお茶会で、その場に現れたイヴァールを見て、第三王子とは気づかず、彼を蔑んだのだ。



(あんな昔のことをよく覚えていたものだ……。ピオニーの執念深いところは拾い主に似たんだわ……きっと……)



「自分たちが見下した人間をチヤホヤともてはやしていた気分はどうだ?」


 イヴァールの凍てつくような視線に、彼女たちは体を震わせ涙ぐんでいた。目には悔しさと恐怖が混じり、言葉を発することができないようだ。


「王子妃の座を狙ってその歳まで婚約を整えなかった結果がこれだ。もう有望な男は残っていないだろう。無様だな!」



(まさか、このために彼女たちの気を引くような真似を……!?)



 わたしは彼女たちが気の毒になり、イヴァールに声をかけた。


「イヴァールもうその辺で……」


 彼はわたしの声にハッとして動きを止めた。しかし、次の瞬間、さっきまでわたしに見せていた優しげな表情は一変し、代わりに不満げな表情を浮かべた。そして、思い出したかのようにわたしを軽く責め始めた。


「リディア、お前もだ! お前は通算八回も婚約解消と言い出した。何度も言うが、婚約解消は絶対にしないからな?」

「……うん」

「俺はリディア以外を娶る気はない」

「うん……」

「リディアに殴られたとき、まるで雷に打たれたような衝撃を受けたんだ。そのときからずっと、俺はお前が好きなんだ!」

「うん……うん?」


(それは、雷に打たれたような衝撃じゃなくて、頬を殴られた直接的な打撃なんじゃ……)


 イヴァールをじっと見つめていると、彼はわたしに近づき顔を寄せた。


「次に婚約解消を口にしたら、物理的に言えないようにしてやるからな?」

「え? ど、どうするの……?」

「こうするんだよ」


 彼はわたしの涙の痕を拭い、そっと上を向かせると、唇に優しいキスを落とした。


「「「「「「きゃぁぁぁーーーーーーっ!」」」」」」


 大広間には令嬢たちの悲鳴と歓声が響き渡った。





 ***





 ジルファリア王国の魔術師団が帰国し、わたしたちは通常の業務に戻った。


 イヴァールは外交や政策決定などに取り組み、わたしは彼の補佐を務めつつ、ベルヴュー辺境伯家の嫡子として、領地の管理や経営を引き継ぐ準備をしている。





「リディア、行くぞ?」

「うん」


 わたしたちは今、イヴァールの執務室で、あの大きな鏡の前に立っている。


 この鏡は、あの一件の後、目的地へと自由に行ける鏡にするため、イヴァールが改良を進めている最中だ。


 なんとこの鏡、以前は、イヴァールがペンダントに施した転移魔法により、わたしの非常時には、この鏡の中へと退避できるようになっていたという……。


(この鏡が魔法の鏡だったとは……)


 今日はそのテストを兼ねて、イヴァールが交換作業に携わった新しい魔獣除けを見に行くのだ。





 鏡を通り抜けると、そこは深い森にぽっかりと開けた場所だった。そこには一本のそれがぽつんと立っていた。わたしは辺りを見回したが、それ以外には何も見当たらない。


「え? まさかこれが最新の魔獣除け!?」


 予想外の光景に、わたしは思わず驚きの声をあげた。


「ああ、そうだ。開発者は……魔術師団の中にいた女性魔術師なんだが、『低コストで省エネかつ高性能。さらに盗難防止機能付きで景観も損ねないコンパクト設計』と熱弁していた……」


 イヴァールは、それをじっと見つめて言った。


(景観を損ねないって……いや、景観的には以前の石碑の方が良かったのではなかろうか……。だって……)



 それは、藁で編まれた帽子を被り、色褪せた民族衣装のような服を着て、首元には古びた薄布と、顔には文字のような奇妙な模様で簡素な表情が描かれた案山子(かかし)だったのだ……。






 ——おわり——







多くの作品の中から、この物語を読んでいただき、ありがとうございました。


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