14
イヴァールの提案で、わたしたちは再びバルサザール様の家を訪れた。彼の家にある様々な発明品を使って鍵を探せるかもしれないと考えたのだ。
イヴァールとクラウスは地下の物置へ向かい、わたしはバルサザール様とお茶を飲みながら彼らが戻ってくるのを待っているのだが……。
「ぎゃぁぁぁぁぁ! うわぁぁぁぁぁ!」
物置からは、クラウスの悲鳴が何度も聞こえてくる……。
「クラウス、大丈夫かしら……」
「イヴァールがおるから平気じゃよ」
扉の方へ視線を向けるが、バルサザール様は特に気にする様子もなく、のんびりとお茶をすすっている。
(そうだわ)
わたしはポシェットから「苺ジャム」と書かれた瓶を取り出すと、バルサザール様に差し出した。
「バルサザール様、これ……」
バルサザール様は瓶を受け取ると、目を細めてじっくりと眺めた。
「おぅおぅ、探しとったんじゃ。これはまだ研究段階の『デッカナール』じゃ。家畜を大きくすれば食料問題も解決じゃて。わし、天才じゃろ?」
「ソウデスネ……」
しばらくすると、イヴァールとクラウスが物置から戻ってきた。クラウスはずぶ濡れで精魂尽き果てたようにぐったりとしている。
「クラウス、どうしたの……?」
「ひどい目に遭った……」
わたしが声をかけると、クラウスは肩を落としながらそうつぶやいた。足元にはぽたぽたと水滴が落ち、衣服はすっかり水を吸って重そうだ。
「ほら、これでいいだろ?」
イヴァールがそう言いながら軽く手を振ると、ふわりと暖かな風が生まれ、びしょ濡れだったクラウスの衣服と髪が瞬く間に乾いていった。
クラウスは乾いた服を見下ろすと、少し不満げに口を尖らせた。
「……もっと早くやってほしかった……。亡霊に襲われたり、大量の蛾に埋もれたり、泥を被ったり、川に落ちたり、散々だった……」
「川以外は幻覚だけどな」
イヴァールの顔に一瞬ニヤリとした笑みが浮かんだが、彼はすぐに顔を背けると肩を震わせ、堪えきれずにケラケラと笑い出した。
「さて、何か役に立ちそうなものは見つかったかのう?」
バルサザール様がそう問いかけたとき、部屋の扉が叩かれ、クラウスの側近が報告に現れた。
「クラウス様、ライツェン公爵令嬢がイヴァール殿下の離宮にいらっしゃいました」
「ルクレツィアが!?」
嬉しそうに声を弾ませるクラウスに視線を向けると、彼はデレデレした笑顔を浮かべながら、そわそわと落ち着きなく指を組み替えた。
「ツィアは俺の婚約者なんだ~。すぐ帰るって言ったのに、寂しくなっちゃったのかな~」
その浮かれた様子のクラウスに、わたしはわずかに目を細め、イヴァールはぼそりとつぶやいた。
「とりあえず離宮に戻るとするか……」
「そうね……」
わたしたちは席を立ち、急ぎ離宮へ戻ることになった。
「突然の訪問となりましたこと、お許しくださいませ。わたくしはライツェン公爵家二女、ルクレツィアでございます」
応接室に現れた彼女は、繊細な金髪と深い紫の瞳を持つ、小柄ながら上品な雰囲気を纏う女性だった。
彼女はイヴァールの挨拶に続いて優雅に礼を取ると、ゆったりとした動作で顔を上げた。たいていの女性はこの瞬間イヴァールの美貌に見惚れるものだが、彼女は違った。まっすぐにイヴァールの隣に立つわたしへ視線を向け、じっと見つめている。
その視線を受け止め、わたしも静かに礼を取った。
「ベルヴュー辺境伯家長女、リディアでございます」
わたしが名乗ると、彼女はどこか儚げな微笑を浮かべた。
「まぁ、あなた様がリディア様なのですね。本当にお綺麗な方……わたくしに勝ち目はありませんわね……」
(ん……?)
ルクレツィア様の言葉に違和感を覚えながらも席に着くと、彼女は突然深く頭を下げた。
「リディア様、どうかお願いです。クラウス様とご結婚くださいませ!」
「「「は?」」」
その場にいた全員が同時に声を上げた。
「クラウス様は、初恋相手であるリディア様をずっと想い続けているのです……」
その言葉に、クラウスは慌てた様子で首を激しく横に振った。
「違う! 誤解だ!! 確かにリディアは初恋の相手だけど、そんなのは幼い頃のほんの一瞬の出来事だよ!!」
しかし、必死の弁解もむなしく、ルクレツィアは真剣な面持ちで続ける。
「社交界では、クラウス様はノレアス王国の辺境伯家への婿入りを希望しておられるため、エスメラルダ殿下が立太子するという噂が流れていますわ……」
「そんなのは側妃一派やエスメラルダの取り巻きが勝手に広めた出鱈目だよ!」
「でも……今でもリディア様に心を寄せているから、無理を承知で求婚に来たのではなくて?」
「そんなわけないだろ!! 俺が愛しているのはツィアだけだよ!!」
クラウスとルクレツィア様が言い合っている最中、イヴァールは席を立って飾り棚に近づくと、引き出しから何かを取り出した。
「いいえ、ライツェン公爵令嬢。クラウスは私に預けていたこれを取りに来たんですよ」
「「……はっ!?」」
イヴァールの手元にあるそれを見て、わたしとクラウスは驚愕に目を見開いた。
それは手のひらほどの大きさの、金色に輝く鍵だった。精巧な彫刻が施され、美術品のような風格がその重要性を物語っている。
「イ、イヴァール? それって、まさか……」
「イヴァール……どういう……ことだ……?」
わたしとクラウスが声を詰まらせながら問いかけると、イヴァールはちらりとクラウスに視線を向け、飄々と答えた。
「さっき思い出したんだよ。昔、ぬいぐるみから妙な魔力を感じたときに、それを取り出して保管していたことを」
しかし、イヴァールの表情から、それが嘘だとすぐに分かった。わたしと同じようにそれを察したクラウスは、悔しそうに顔を歪め、体をわなわなと震わせた。
「……お前、本当は最初からわかっていて、俺が右往左往してるのを楽しんでいたんだろ……!!」
「俺がそんな嫌な奴に見えるか?」
「見えるし、実際そうだろ!!」
イヴァールはどこか楽しげな様子で、クラウスに鍵を差し出した。
「ほら、これを持ってとっとと帰れ」
「この性悪王子がっ!! 最初から知っていたくせに、俺を散々振り回しやがって!! 預かっていてくれたことには感謝するが……くそっ! ツィア、帰るぞ!!」
クラウスは鍵を受け取ると、ルクレツィア様の手を引き、足音荒く部屋を出て行った。
静まり返った部屋の中でイヴァールに視線を向けると、彼は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
***
クラウスとルクレツィア様の帰国に合わせ、わたしたちは天空鳥にぬいぐるみを返すため、途中の岩山へ寄ることにした。
「元々は俺のものなんだから、返さなくても良いんじゃないか」
「駄目よ。あとで返すって言っちゃったもの」
クラウスとわたしはそう言いながら、目の前にそびえる岩山を見上げていた。頂上には、今日も迫力満点の天空鳥が鎮座している。
「おーい! これ返すから、取りに来てくれない?」
ぬいぐるみを掲げて大声で呼びかけるも、天空鳥は遠くを見つめたまま微動だにしない。
「もう要らないのかしら」
「貸せ、俺が持って行ってやる」
わたしがもう一度呼びかけようとしたその瞬間、イヴァールがすっとぬいぐるみを取り上げ、空へ浮かび上がった。
「「はっ!?」」
再びわたしとクラウスの驚きの声が重なる。
イヴァールが天空鳥に近づき、ぬいぐるみを差し出すと、天空鳥はゆっくりとくちばしでそれを受け取り、巣の奥へと丁寧にしまい込んだ。
呆然とその様子を見つめていたわたしたちだったが、ハッと我に返ったクラウスが声を荒げた。
「お前、あの高さには行けないって言ったじゃねーか!!」
「俺はそんなこと言っていない。『あの高さはさすがに……まぁ余裕だな』と言おうとしたんだ」
イヴァールがそう答えると、クラウスは拳を握りしめ、肩を震わせながら低い声を出した。
「くそっ! 何から何まで……! 途中から何か妙だとは思っていたが、今確信した……! 俺がバルじいの家で散々な目に遭ったの、お前の仕業だろ!!」
クラウスの悔しそうな様子を見て、イヴァールは愉快そうに笑いだした。
「アーッハッハッハッハ! やっと気づいたか!! そうだ、俺はこのときを待っていたんだ!! クラウス、忘れたとは言わせないぞ!! お前は昔、夜中に眠れなくて毛布を被って離宮を徘徊していただろう? 偶然起きた俺はそれを目撃してしまった。それ以来、俺は幽霊系が苦手になったんだ!!」
「タイミングが悪かっただけだろ!」
「俺が魔力のコントロールの修行中、リディアを独り占めしたこともあったな。修行が終わってさあ一緒に遊ぼうと思ったら、お前はリディアと遊び疲れて寝ていた。しかもリディアのベッドで一緒に!!」
「子供なんだから、仕方ないだろ!」
「それから、お前が俺にプレゼントした箱いっぱいのどんぐり。あれは、どんぐりに擬態した『どんぐりもどき』という夜行性の虫だった。夜中にそれらが活動しだして部屋中に舞い、その夜は一晩中虫と戦った!!」
「カルナフ王国には生息していなかったから、知らなかったんだ!」
「まだまだあるぞ!! 池に落ちたクラウスを助けようとしたら代わりに俺が池に落ちたし、木に登って降りられなくなったクラウスを助けるときには、落ちてきたクラウスの下敷きにされたし、雪合戦では泥団子を投げられ、競争遊びでは途中で行方不明になったお前を探し回った!!」
「…………」
イヴァールの恨み節に言い返していたクラウスだったが、次第に眉を顰め、ゆっくりと口を開いた。
「違うな。俺にはわかる……! そんなのは大したことじゃないだろ。本当は俺がリディアのファーストキスを奪ったことが気に食わないんだろ!!」
「えっ?」
クラウスの言葉にわたしが声をあげると、イヴァールは悔しそうにクラウスを睨んだ。
「俺はそんな狭量な人間ではない。しかし、それについては一生許さん!」
「誰よりも狭量だろ!! あんなの幼い子供の悪戯みたいなものじゃないか!!」
「それでもだ!!」
「執念深いやつだな!!」
言い合う二人を横目に、わたしはふうっと息を吐いた。
(ファーストキスの恨みねぇ……)
わたしは、イヴァールが魔力暴走を起こして気を失ったときのことを思い出した。
本当のところは違う。
あのとき、彼を介抱していたわたしは、ぷくぷくしたイヴァールの顔があまりにも可愛くて、つい「ぶちゅっ」とやってしまったのだ。
これ、話した方がいいのかしら……。
***
「お帰りなさいませ、クラウス様」
「ああ、今戻った。……ふぅ、やはり自室がいちばん落ち着くな。しかし、リディアたちに会えたのは嬉しかったけど、ノレアス王国って、なんであんなに遠いんだ」
「そうだな」
「イヴァールもそう思うだろ……って、え!? イヴァール!?」
「お前これ忘れてったぞ」
「ああ、ありが……えっ!?」
「じゃあまたな」
「ちょっ、ちょっと待てイヴァール! なんでお前ここに、どうやって!? てか、そのデカい鏡は何だ!? まさか、こことノレアスを行き来できる代物なのか!?」
「ああ」
「はぁ!? そんなものがあるなら使わせてくれてもいいだろ!!」
「断る。許可したらお前、しょっちゅう来るだろ? お前が滞在中、俺はリディアにお預けを食らってたんだぞ!? じゃあな」
「え……? ホントに消えた……。 くそっ! イヴァールのやつ、どこまで性根が悪いんだ!!」
——おわり——
多くの作品の中から、この作品を読んでいただき、ありがとうございました。