11
わたしはイヴァールとクラウスと共に離宮の応接室へ向かって歩いていた。打開策が浮かばないまま数日が過ぎ、ついにエスメラルダ王女が離宮を訪れたのだ。
「エスメラルダのやつ、こんなところまで来るなんて……!」
扉の前で足を止め、クラウスが不機嫌そうにつぶやく。
「落ち着け。騒いだところで状況は変わらない」
イヴァールが冷静に言い放つと、扉がゆっくりと開かれた。応接室の中では、一人の女性が従者の男性を伴い、優雅にソファーへ腰掛けていた。
赤髪を美しくまとめ、黒い目を細めながら紅茶を傾ける女性——エスメラルダ第一王女殿下。洗練された華やかさを纏った美貌の女性だ。その姿は、ひとつ年下とは思えないほど堂々としていて、余裕すら感じられる。
わたしたちが入室すると、彼女は流れるような所作で立ち上がりイヴァールへと視線を向けた。その目は一瞬驚きに見開かれたが、すぐに熱を帯びたものへと変わった。
(女性たちのこういった視線には慣れているけれど、正直あまりいい気はしないわね……)
「ノレアス王国第三王子、イヴァール・ノレアスだ」
イヴァールが名乗ると、彼女は優雅に微笑み美しい礼を取った。
「カルナフ王国第一王女、エスメラルダ・カルナフでございます。訪問を許していただき、感謝いたしますわ」
彼女は穏やかな笑みを保ったまま視線をわたしへと移した。それに応じるように、イヴァールが淡々と口を開く。
「こちらは私の婚約者の——」
「リディア・ベルヴューでございます」
エスメラルダ王女はわたしの名を聞いた途端、ほんのわずかに微笑みを崩し、軽く首を傾げた。
「まぁ、婚約者様なのですね。リディア様といえば、異母兄様の初恋の君と伺っておりましたので、どのように華やかな方なのかと想像しておりましたのよ」
彼女の言葉に、イヴァールが何か言いたげな視線をクラウスに向けると、クラウスは目を逸らすようにサッと顔を背けた。
エスメラルダ王女は視線を上下させ、続けた。
「けれど……思ったより、控えめでいらっしゃるのですね。ええ、とても落ち着いた雰囲気をお持ちですわ。第三王子殿下は、そういう女性がお好みでいらっしゃるのですね。少々意外でしたわ」
彼女の声は柔らかいが、その言葉はどこか含みを持っており、その視線は値踏みするようなものだ。
(……つまり、華がないと言いたいわけね)
わたしはそれに動じることなく、穏やかな微笑を返した。
わたしたちは、彼女と向かい合うようにソファーへ腰をおろした。
「エスメラルダ、何しにここに来た?」
クラウスが不機嫌そうに腕を組みながら露骨に眉をひそめるも、エスメラルダ王女は気にする様子もなく、楽しむように微笑んだ。
「まぁ、そんなに警戒なさらなくてもよろしいのに。ただ、ご挨拶に伺っただけですわ」
「挨拶だと?」
「ええ、尊敬する異母兄様が、立太子前に幼少期を過ごしたノレアス王国に挨拶へ行かれるそうで。わたくしも妹として同行し、お礼を申し上げたいと思っておりましたの」
「白々しい……!」
彼女はさらりと言いながら、クラウスの訝しげな視線を受け止めた。クラウスはぼそっと低く吐き捨てたが、その声には焦りが滲んでいた。
エスメラルダ王女は紅茶の香りを楽しむようにカップを傾けながら、ゆるりと目を細めた。
「ノレアス王国には、かねてより訪れてみたいと願っておりましたの。王都からも多くの方が足を運ばれるほど名高い小聖堂があると伺いましたわ。よろしければご案内していただけませんか?」
彼女はイヴァールを見つめて提案するが、クラウスが即座に否定の言葉を吐き出した。
「無理だな。俺たちは忙しいんでね」
クラウスが突き放すように言うと、エスメラルダ王女は彼に視線を移し、わずかに首を傾げた。
「まぁ、なぜそんなに忙しいのかしら? 立太子前のバカンスでしたわよね?」
その声音は柔らかいものの、探るような鋭さがあった。クラウスは焦りを悟られまいと表情を引き締め、何かを言いかけては口を閉じた。
そのやり取りを見て、わたしは静かに口を開いた。
「わたくしがご案内しますわ」
わたしがそう言うと、イヴァールはわずかに渋い顔を見せ、クラウスは心配そうな眼差しを向けた。それに対し、エスメラルダ王女は満足げに目を細め、微笑んだ。
「リディア、いや、でも……」
「まぁ、それは嬉しいですわ。リディア様とご一緒できるなんて、光栄ですもの」
クラウスが戸惑いながら言葉を濁すも、エスメラルダ王女はそれを遮り言葉を重ねた。
わたしはイヴァールとクラウスを安心させるように、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「大丈夫よ。気をつけながらご案内するわ」
***
イヴァールとクラウスとは別行動となり、わたしはエスメラルダ王女の案内役として、彼女と共に馬車に乗り込んだ。
「では、参りましょう。本日はよろしくお願いいたします」
「楽しみですわ。同年代のお友達と出かけるなんて、初めてのことですもの」
最初の印象とは違い、彼女は柔らかく親しみやすい雰囲気をまとっていた。初めこそ警戒していたものの、馬車の中で交わす会話は自然と弾み、思いのほか楽しい時間が流れていく。
馬車の窓から外を眺める彼女は、通り過ぎる景色に興味を示し、わたしの説明に感嘆の息を漏らした。
そんなやりとりを重ねるうちに、わたしの中の警戒心は少しずつ薄れていった。彼女からは敵意どころか、気取らない優雅さが感じられ、思ったよりもずっと気楽に過ごせそうだった。
そして、馬車が目的地である小聖堂へ到着すると、彼女は無邪気に顔を輝かせた。
「まぁ、ここが願いが叶うとされている小聖堂ですのね」
小聖堂は静かに佇み、歴史を感じさせる石造りの外壁が温かな陽の光を受けて輝いていた。入り口の扉には聖なる紋章が刻まれ、祈りの場にふさわしい厳かな雰囲気を醸し出していた。
わたしたちが堂内へ足を踏み入れると、司祭様が穏やかな声で近づいてきた。
「この聖堂では、神聖なる場を穢さぬよう、魔道具の使用を控えていただいております。お持ちの魔道具がございましたら、こちらへお預けください」
わたしは軽く頷き、胸元に手を伸ばした。身に着けていたペンダントをそっと外し、司祭様が差し出した木箱へと納める。司祭様は静かに箱を閉じると、それを両手で慎重に抱え、奥へと運んでいった。
「リディア様、共に祈りを捧げましょう」
「ええ」
エスメラルダ王女に促され、わたしは息を整え、祭壇へと歩みを進めた。