1
「召喚術は失敗じゃありません!!召喚したのは勇者様です……よね?」、「アイテムは正しく使いましょう~勝手な改造はダメなんです!~」と同じ世界のお話です。
「鏡よ鏡……。さぁ答えよ……。この世でいちばん美しい者は誰だ……?」
鏡は、そう問う者の姿を映し、答えた。
「この世でいちばん美しい者、それはイヴァール・ノレアス様、あなた様でございます……」
鏡が告げた己の名に、彼は満足げな笑みを浮かべた。
「そうだ! 群青色の髪は月の光を反射する夜の海のように輝き、澄んだ緑眼は冷たくも魅惑的な光を放ち人を惹きつけてやまない。完璧な額の形状は彫刻家ですら嫉妬を覚え、鼻筋は完璧な均衡を保っている。唇は朝焼けの紅をそのまま宿したような瑞々しさを持ち、引き締まった顎のラインは精密に測定したかのような造形だ。そして黒子ひとつない透明な白い肌は高山の頂に舞う粉雪以上に神聖で、触れることを許さぬ気高さを放っている。さらに高身長な上にこれでもかと誇示するかのような長い手足。フッ、この俺以上に美しい者など存在しないのだ! アーッハッハッハッハッハ」
大きな鏡の前で自己陶酔する青年……。毎朝見られるこの光景に、わたしは冷めた目をしてため息をついた。
「イヴァール殿下、急ぎませんと遅刻してしまいますが、朝食はいかがいたしますか?」
鏡が……いや、鏡になりきっていた彼の侍従が、朝の支度を整えながら問いかけた。
「何を言っている!? 食べるに決まっているだろう!! 朝食を抜いたらどうなると思う!? 飢餓を生き抜いてきた人類の体は、一日三回の食事を二回にしてしまったら、体が飢餓状態と認識して余計にエネルギーを蓄えようとするんだぞ!! 俺が太ったらどうするんだ!! 遅刻してでも食べるからな!!」
彼はいきり立ち、声を荒げて言った。
「一日や二日朝食を抜いたって変わらないわよ……」
わたしが窓の外に視線を向けてつぶやくと、イヴァールはわたしに顔を向け、責めた。
「なんで起こさないんだよ!」
「どうせ起こしたって起きないじゃない。先に行くわよ?」
少しも急ぐ様子を見せず悠長に鏡に映る自分の姿を確認している彼に言い返して、わたしは鞄を持ち直し部屋を出て行こうとした。
「待て! 婚約者は一緒に登城するものだ。先々週、お前が先に行ってしまったから、俺は会議に遅れそうになったんだぞ!!」
「そんな決まりはないわよ……。なんで会議の日くらい早く起きないのよ……」
「美しい肌を保つには睡眠が不可欠なんだ! それから、先日お前が怪談なんかするから、あの日の俺はなかなか寝付くことができず、翌日には吹き出物がひとつできていたんだぞ!!」
「そんなの知らないわよ……。なんでもいいから、早くしてよ」
このような会話もいつものことである……。
***
遡ること十六年前、ノレアス王国に第三王子となる男児が生まれた。
男児の誕生とともに、空には雲が急速に広がった。やがて、柔らかな雨がしとしとと降り始め、乾いた大地に優しく染み渡った。
長らく乾季に喘いでいたノレアス王国の民は、奇跡のようなこの雨を、祝福のしるしだと歓喜の声を上げた。
第三王子はイヴァールと名付けられ、健やかに成長していった。しかし、あるとき母である王妃は気づいた。イヴァールが癇癪を起し泣き叫ぶと、それまで晴れていた空は急な暗雲に覆われ、激しい雨が降り、雷鳴が轟くということに。
国王夫妻は異常な現象に心を痛め、急ぎ国にいるたった一人の魔術師を王城に招いた。魔術師バルサザールは長い白髪と白髭、そして深い皺の刻まれた顔を持ち、知恵と経験に満ちた目でイヴァールを見つめて言った。
「イヴァール殿下は膨大な魔力を持っておるのぅ……」
その言葉に、国王夫妻を始め、重鎮たちは驚愕した。ノレアス王国に魔力持ちが生まれたのは、実に七十年ぶりのことだったからだ。
王妃はイヴァールを抱きしめ、バルサザールに尋ねた。
「この子をどうすればよいのでしょう」
バルサザールは深く息を吸い込み、慎重に答えた。
「感情をコントロールする方法を教える必要があるのぅ……。彼が成長するにつれて、その力を善に使う方法を学ばせるのじゃ」
バルサザールの指導の下、幼いイヴァールは魔力をコントロールする訓練を受けた。呼吸法や瞑想を通じて感情を制御する方法を学び、少しずつその力を扱えるようになっていった。
イヴァールが五歳になったある日、王城では茶会が開催された。これは十一歳の王太子サミュエルと十歳の第二王子ダニエルの婚約者を決めるためのものだった。王族は十歳を迎えると婚約を整える習わしがあったからだ。
庭園の隅で遊んでいたイヴァールの耳に、お茶会の会場から流れる音楽や楽しげな笑い声が届いた。彼はそれに引き寄せられるようにして会場へと足を運んだ。
会場はイヴァールが遊んでいた庭園からそれほど遠くなく、すぐ近くの大庭園で開かれていた。華やかな装いの令嬢たちが集まり、笑顔を浮かべながら談笑していた。
イヴァールがそちらへと近づいたとき、彼の存在に気づいた令嬢たちが小声で話し始めた。
「プッ、見てあの子……」
「なんだかちょっと、ねぇ……」
「あれじゃまるで……」
「痛々しいわ……」
イヴァールはその声に気づき心がざわついた。彼は自分が何か悪いことをしたのかと不安になり足を止めた。令嬢たちは蔑むような視線を彼に向け話し続けた。
「あまり見かけないわね」
「どうしてここにいるのかしら」
「本当ね、場違いじゃない?」
「下がりなさい。ここは特別な場所なのよ?」
イヴァールは恥ずかしくなり、その場を動けずにいた。そして、感情が高ぶった彼はその制御ができず、魔力が暴走し始めた。
大庭園には突如として激しい風が吹き荒れ、木々は揺れ、花々が舞い上がった。風は次第に強さを増し、煽られた枝は折れ、周囲の物を吹き飛ばした。
「きゃぁぁぁ」
「うわぁぁぁ」
「早く、こちらへ!」
「危険です! 下がって」
周囲の人々は驚きと恐怖に声をあげ、慌てて避難を始めた。控えていた侍女や警備の騎士たちは、皆を安全な場所へ誘導していた。
大庭園の隅で花の芽を摘んでいた幼い少女は、突然の強い風に驚き、摘んでいたそれを落としてしまった。少女の長い金髪が風に乱れ、ドレスの裾が激しく揺れた。彼女は慌てて落とした花の芽を拾い集めていた。
そのとき、吹き飛んできたレンガの破片で、少女は左腕に傷を負ってしまった。
彼女は腕を押さえ、その淡い水色の瞳に涙を浮かべながらも、臆することなくイヴァールに近づいた。そして、大きく振り上げた手を、彼の頬に振り下ろした。
「もったいないでしょ!! テンプラにしたら美味しいのよ!!」
その少女の名は、リディア・ベルヴュー。
わたしである……。
わたしはお茶会の招待客ではなかったが、辺境伯である父とともに王城を訪れていた。そして城内を散歩していたとき、大庭園の隅に生えていたミョーガに気づき、嬉々としてそれを摘んでいたのだ。
あのとき、わたしに頬を打たれたイヴァールは意識を取り戻し、暴走しかけた魔力は次第に安定した。けれど、彼はそのまま気を失ってしまった。わたしは、自分が彼を気絶させてしまったと思い、焦って彼を介抱した。
その後、無事に目を覚ましたイヴァールから詳細を聞いた国王夫妻は、傷を負ってしまったわたしに対し、イヴァールとの婚約を申し出た。
わたしと父はそれを固辞したが、イヴァールの自責の念は強く、わたしたちが同い年であることも考慮され婚約が結ばれた。そして、イヴァールの希望もあり、わたしたちは森の中に建てられた離宮に移り住むことになったのだ。