8 思わぬ展開に目ん玉が飛び出ちゃう俺。そしてさようなら
「やれやれ……最後まで騒々しい奴だったな」
そう愚痴を溢しながら白髪の女——プリューフェンは地面にへばりついているハルトへと歩を進めた。
「全く、浅慮というか能天気というか……」
プリューは膝を曲げ、微動だにしないハルトの顔を呆れた容色で覗き込む。だが、彼女の眼前にある赤い塊はもはや原型を留めておらず、見るも無惨な姿だった。
プリューは、ハルトが飛び降りたと考えられる建物の、校舎の屋上を見上げ、口を小さく開ける。
「まあ、あんな所から落下すれば即死だな。——にしても、人間が高所から地へ衝突する響きはなんとも生々しくて快音なことか」
まだ舗装されて間もない教員や来客用の駐車場。
視覚的に真新しく滑らかだったアスファルトは真っ赤な血液で汚れてしまっていた。
そして、至る所に身体の部位が、弾け飛んだようにして転がっている。
「にしても哀れだな。誰も駆け寄ってこないぞ。……ふ、とはいえこんなグロテスクなものに自分から歩み寄らんか」
そんな薄く笑うプリューへと強い視線を送る眼球が血の水溜りに浮いていた。それに気付きプリューは、より一層口元を緩ませその眼を下視する。
「中々にレベルの高い喜劇だったぞハルト。ユーモアさだけなら合格だったんだがな」
悪意に満ちた表情で揶揄い始めるプリュー。その言葉を受けて、ハルトの瞳が哀訴の眼差しを送った。
『なに? これ? どういうこと? プリューがなんで? 俺、どうなってんの?』
情けないハルトの声がプリューの脳内に響き渡る。
「喧しい。矢継ぎ早に質問するなと何回言えばわかる? お前、基礎的な部分は何を変わっていないな。まあ最初から期待などはしていなかったが。——今、私はお前の魂と会話をしている。死人と話が可能な事は知っているよな?」
『魂? 死人? え……誰が』
「死んだんだよお前。——あそこから飛び降りてな」
プリューは建物の屋上を見上げ、そう説明した。しかしハルトは訳が分からないといった感じで血の海の中、目を泳がせる。
赤い液体と肉塊が飛び散っている中、地面に転がる目ん玉へと楽しそうに語りかけている容姿端麗の女性。
傍から見ればその光景は奇妙なものだろう。しかし、ありえないと思えるような状況にも関わらず、その近くで眺めている野次馬たちはプリューなど気にも留めていない様子だった。
「因みに私の姿は誰にも認識されていない。ただお前の続きが面白そうだったから気魂を飛ばして追いかけてきただけだ。わざわざこの身体を、お前だけに見えるよう実体化する必要はなかったが、馴染み深い私の艶麗を見ながら最後を迎えるというのも悪くない——」
『死んだ? いやいや何を言ってるの? 俺は反省して、罪を償って……それで自分を変えれた。それなのになんで……プリューが助けてくれるんじゃなかったの?』
「は? 誰がそんな事を言った」
『あの世界、君の試験、あれは俺を更生させる為のもので——』
「だから、誰がそんな事を言った? お前が勝手に勘違いして舞い上がってただけだろ。私の目的は一貫して『自身のパートナーを探す事』だが? お前の改心や再生など一切興味はない。ただお前の思考がイカれてて実に愉快だったから付き合ってやっただけだ。試験に不合格だった時点で私がお前を助けてやる義理はない」
最初から最後までプリューがやりたかった事は一つ。使命を遂行する為の相方を探す、ただそれだけ。
そのフィルターにかからなかったハルトは不要であり、その心がどんなに改善しようとプリュー自らは救うつもりなどなかった。
『けど……あの母子は? 結城は? 俺を許してくれて、そんな俺たちにプリューも感動してくれて——人間も捨てたもんじゃない——とか言ってたじゃん!』
ハルトの嘆きを聞いた刹那、プリューの胸奥で抑えられていた感情が爆発する。
「あははは。ふふふ。なんだお前それは。クス。ククク。どこまでも浅はかでおめでたい奴、実に痴愚だ」
『何を……なにを、言ってやがる!』
「怖い怖ーい。目ん玉だけの全姿でキレられると流石の私も、泣くぞ……?」
しくしくしく、とそんな悲しげなポーズを見せるプリュー。だがその涙には全く感情がこもっていない。
『いい加減にしろ! あいつらは許してくれたんだ。だったら——』
「ハルト。お前は前提が間違っている。私がこの世に対して抱いている思いは、今も昔も変わりない怨毒だ。お前らとのやりとりでそれが揺らいだりもしていない。そんな感情を抱いている私が『人間も捨てたものではない』と言葉にしたんだぞ? 少し考えればその意図が汲みとれるはずだが」
『だから、それはプリューの中にも人間を許すという気持ちが生まれてきたって事じゃないのか?』
「何をどう捉えればそうなる? そもそも『前提』と言ったのは私怨の事だけではない」
『どういうことだよ……』
「お前の奇行——謝罪を聞いた者たち全員、口を揃えて『お前を殺せ』と返事をしていた。母子も結城もお前を一切、許す気はないらしい」
『え……は? え?』
「だから、異口同音で制裁をとの事だ。まあ、私が何もせずとも勝手にくたばってくれたけどな。」
デパートの火災でハルトに見捨てられて死亡した母子。
不条理なやり方で人生を壊された結城。
彼彼女らは貫地ハルトという人間を絶対に許さない。そう告げていたとプリューは確言する。
『は? なんだよ……それ。折角頭を下げて』
「それだよ。そういうところだよ」
『何が』
「結局は自分が助かりたいから謝っただけだろ? お前は私が言った救済の方法に対して『そんなこと』と軽薄な言葉を吐いていた。それと帰泉の者を『あいつ』呼びしたり、死んでいった者への敬意が全く感じられない。そんな自分勝手な奴の謝罪など受け入れるはずがないだろ」
『違う違う。本当に申し訳ないと思っていて。だからこれからは悪い部分を変えていこうと、色々考えて』
「全く呵責に苛まれていないというわけではないだろうがそれでも徒労だよ。加害者がどんなに罪を償っても、罰を受けても、気持ちを入れ替えても相手が許さなければただの自己満足だ。そして、大半の被害者はそんなもの簡単に聞き入れない。咎人への裁きを切願する。『すいません』でなんでも済むわけではない。そもそも私は謝るという行為自体に腹が立つ。あれは糾弾される事を、できる限り回避したいからとる行動だ。何か文句を言おうとしたら先に頭を下げられて、苦言を呈しづらくなった経験、あるだろ? まあ、結城たちも同じ心境だったんだろ。お前が犯したのは重罪だ。ごめんなさいで片付くわけがない」
『そ、そんな……』
ハルトの中にあった希望が散り滅び始める。最早生きる事を諦めるしかない、そんな現状。
そして、こんなやりとりをしてる間にも時間は着々と経過している。しかし、ハルトのもとへ来る者は誰もいない。それどころか全員距離をとっていた。
虫の死骸でも見るかのような、汚濁された下水でも見るかのような非情で、冷めた目線をハルトに送っている。
「よかったなハルト。どんな形にしろ望み通り脚光を浴びる事ができたではないか。……クス……それにしてもみんなの扱いが実に酷いこと。——ふ、お前余程嫌われてたんだな」
『……助けて、助けてよ! 見てないで助けろよ! 写真なんて撮ってるなよ! おい! 人が死にかけているんだぞ!』
「死にかけではない。もう死人だよお前は」
『黙れ! 性悪女! 人を欺きやがって』
「酷いぞハルト。キュートな女子に向かってそんな言い方。私だって……傷付くんだからな? 第一、私は騙してなどいないぞ? 結城たちが許したら命は救済するつもりだったのは本当だからな。こんな未来になってしまって私も凄く悲しい」
同情するような事をプリューは言っているが、その声律からは哀悼など全くもって感じない。どこまでも相手をコケにするような、小馬鹿にするようなそんなトーン。
『もうどっか行けよプリュー! お前がいるから気味悪がって誰も助けに来てくれないんだよ』
「いやいや、さっきも言っただろ? 私の姿は誰にも見えていない。だから関係ない。あ、それと当然だがいくら吠えたところでお前の声は私にしか届かないからな」
「——酷いなこれは」
「——飛び降りか」
「勘弁してくれよ」
「学校の評判落ちるじゃん。私来年受験だよ」
「てか、誰こいつ?」
「いやいや有名人じゃん。危険思想の持ち主で変人の——」
「ああ。親友を自殺させた最低な奴か」
「なんだ、じゃあ良かったじゃん。死んでくれて」
「なんかこの光景さ鴉がゴミ散らかした後に似てるね」
「ゴミとか言い過ぎー」
めんどくさい。自分の心配。失名の言葉。性格や事情を知る者。自殺した事への安堵。無関心でどうでもいいと思っている者。
ハルトの惨事を眺めている人間の中に、情けや心配などといった発言をする者は誰一人いなかった。
「ゴミか……ふむ、適言だ。まあ事実無根、というわけではないからな。仕方あるまい。それにしても同情するよハルト。本当にお前は誰からも望まれていないんだな」
『な、なんで、せめてひとりくらい……』
「いるわけないだろ。お前を軽蔑する空気の中で味方なんてしようものなら……ほら、あれだ。同調圧力という奴だ。にしてもよかったな。ハルトが結城にした事、しっかり返ってきたぞ」
『そんなもの……嬉しくない。——プリュー、あの時、俺が必死に謝ってる時、笑ってたのは、こうなる事が全部わかってた、ということか?』
「いや、あれは単にお前の言動が滑稽だったからだ。そりゃあ周りに誰もいない中でいきなり『ごめんなさい』とか大声を発すれば、なんだこいつ?って思うだろ。それに私だって万全ではない。生殺与奪の権を持っているわけでもなく、未来を読む力もない。生きるのも死ぬのもお前が選んだものの末路だ」
『……お前が、お前が全部仕組んだんだろ? 俺の人生めちゃくちゃにしやがって……戻せよ、さっさと元に——』
ハルトの怒声を跳ね返したのは青白く不吉な女声。
「…………だまれガラクタが。——おまえ、本当にどうしようない奴だな」
誰も受け入れないという毒々しいオーラを放ちながら、ドス黒い視線でハルトを睨める。まるで別人のようなプリューの風貌にハルトは何も言えなくなってしまう。
「——さて、そろそろ消滅の時間だ。私という存在の記憶を、お前の脳から最終的に削除するつもりだったが、どうせ後数秒でいなくなるのだから無駄な事だな。……ふ、最後まで私を憎みながら消えていくがいい。その方が私も悦楽に浸れる。それと感謝しよう。お前というゴミを見て人間というものが如何に奸悪かを改めて把握する事ができた」
『ま、まて——』
「じゃあな」
最早、囁く程度の泣訴。少しずつ掠れていくハルトの叫び。
『……ぁ……ぇ……ぁぅぇぇ……』
やがて、それは光のない世界へと吸い込まれて無音と化した。
プリューは無反応になったハルトの眼球を手の上に乗せ、楽しそうに転がす。
「貫地ハルト。素質はあると思ったんだがな。人間などに縋るような奴は残念ながらいらん。結局は中途半端なんだよお前は」
そう呟く彼女の近くではパトカー、救急車が連絡を受け駆けつけていた。その殆どが悲惨な情景に苦い顔をする。
娯楽を終えた彼女は騒がしくなりつつある周囲に背を向けて目的もなく歩き出した。
プリューは手底に置かれたハルトの瞳へ息を吹きかけて語りかける。
「よかったな。ようやく救助が来たぞ。いや、むしろ回収、処理と言った方が正しいのか。みんなして煩わしそうに作業している」
当然、その報告に対して無反応なハルトの瞳。
プリューは小悪魔のように頬筋を緩ませながら、生気のないただの物と化した眼球へ、唇頭を近づける。
「さようなら。帰泉の魂よ。お前の凶行はいずれ何かの礎になるだろう。そして私はこの出会いを頃刻忘れない」
——淡雪が一瞬で薄れていくように、白髪の女性は風と共に消えた。
未熟な作品だったと思いますが、最後までご覧いただきありがとうございました!