7 果てしなく広がる明るい未来を目指して
「望み……! なに? 何をすればいいの?」
この際助かるならなんだってやってやる。体裁なんて保っていられない。プリューの機嫌を損ねないように俺は、細心の注意を払いながら問いただした。
「やれやれ……本当に世話の焼ける奴だ。そこまでして生きたいのか? あんなに周囲から冷遇されてきたのに」
仮に生きて元の世界に帰れたとしても、待っているのは辛い世界だ、とそう言いたげなプリュー。
確かにその通りだ。このまま戻っても……それでも。
「わかったわかった。こうも真剣な目でガッつかれたらな。鬱陶しくて仕方ない。——ったく。いいか? お前がすべき事。それは『相手の気持ちを考える事』。それと……死んでいった者への謝罪だ」
「そ、そんなことでいいの?」
「……あぁ」
プリューは遠い目をしながら小さく返事をした。その表情は柔らかく、先程までのピリピリした空気はどこにもない。
……あれ。もしかして、この世界は——
一粒の希望にしがみつこうとした瞬間、彼女の様子に対して俺はある可能性を推測する。
あれだけ邪険にしておいて、今は拒絶どころか受け止めるような雰囲気で、プリューは突然助け舟を出してきた。俺としては願ったり叶ったりだが、何故いきなり?とも考えてしまう。邪推かもしれないがそうであったなら——
「プリュー、自分なりに分析してみたんだけど、俺を召喚した目的、この試験の意味——それって俺を更生させるためのものじゃない?」
俺の言葉にプリューは驚いているようだった。……やはりそういう事か。
「ハルト! ただの単細胞な衛生害虫だとばかり思っていたが……まさか、その結論に想到するとは。おみそれしたと言うべきか、なんと言うべきか」
俺の推理とプリューの思惑に差異がない事を確定させる言質。
けど、しかし、単細胞で衛生害虫って酷くない? ここは素直に誉めるべきでしょ。
ただ、状況は激変した。先程まで頭を支配していた失望の影は行方を眩まし、それと入れ替わるようにして浸透する歓喜。声にして喜びを表現したいところだが、まだ懸念すべき事、やるべき事が残っている。
『相手の気持ちを考える事』『謝罪』この二つを解決しなければ未来への道は開かれない。両方とも難題とは思えないしなんとかなるだろう。
「プリューがさっき言った事、具体的に何をすればいいの?」
「そうだな……まず前者だが、お前は周囲への気配りが足らん。常に自分が自分がといった感じだからな」
「少しは相手の事を考えてるつもりなんだけど……」
「ああ。確かにお前の言う通りだ。だが、考えていない人間などどこにもいない。そんなの脳みそのないクラゲみたいなもんだ」
「じゃあ、どうすればいい?」
「考えるポイントと量だよ。相手の事を思った行動をする、というのは簡単ではない。ただ優しくすればいい、譲歩すればいい、助けてやればいい、それは思考停止してるのとさして変わらん。これから手を差し伸べようとしてる者が何を望んでいるのか、欲しているのか、してほしいのか、それとも放っておいてほしいのか、そういったものを相手の表情や仕草から知る必要がある」
「あ、でも——」
「機嫌が良いか悪いか、顔色を伺うのが得意、みたいな自身の心理状態が影響しているものとは違うからな」
なんだ……それなら割と自信があったんだけど。確かにネガティブな時ほど何でも悪いように見えるし、逆にポジティブな気分の場合は不快なものを視界に入れないようにする。だから相手の真実の気持ちに気付けない。
「まあ、こういうのは女性の方が長けている。私達は常に相手から情報を得ようとしているからな。話をされている時は視線を逸らさないで話手に共感し、その胸底を探る。——だから、まずお前は会話している者をちゃんと見ろ。ただ漠然と話を聞いているだけでは何もわからん。相手の顔、特に左側は本音が現れやすい。それ以外にも手の仕草、脚の動きなどあるが……まあいきなり沢山言われても頭には全て入りきらんだろ。今教えた事だけでも意識してみろ」
何を伝えたいかは大体わかった。しかし、彼女の言う通り、一度に、一気に改善していくのは難しいだろう。
これからは少しずつ自分を変えていく。今プリューが教えてくれた事を意識しながら。
「……プスッ……クッ。——ほう。顔付きに変化が現れ始めてきたな。最初に見た頃とはエラい違いだぞ。目に迷いがなく、口元も引き締まっている」
何故か、一瞬だけ吹き出したプリュー。それをちょっとだけ疑問に思うも今は称賛された事を素直に喜ぼう。
「一つ目の条件は理解してくれたようだな。では、二つ目、『謝罪』だ。まずはお前の中に改悛の情があるのかを知りたい」
「かいしゅんって?」
「罪や悪事を認めて心を入れ替える事だ。というよりこの意思がないことには話にならん」
悪事、罪……相手のせいにして向き合わず、ずっと逃げてきた事だ。俺だってわかっている。いつまでもこのままじゃいけない。
デパートの火災で焼死した親子。
この二人に非がないわけでない。きいきい声で罵言を浴びせてきたりと、助けてもらう立場の態度ではなかったのは事実。
けど、それなら俺は、口にしないといけなかったんだ。
「救助しようとしてるのに、そんな言い方は駄目だ」と。
言葉にもせず、ただ黙って我慢しているだけが正しいわけではない。まずは伝えること。その上で相手のリアクションを待てばいい。
更に、今さっきプリューから学んだ『相手の気持ちになって考える』という事。
仮に、俺があの母子と同じ状況になったらどんな心境だろうか。
炎が少しずつ迫ってきて、段々と死の恐怖を実感し始める。そんな状態の中、平常心でいられるわけがない。
焦燥感に駆られて誰かに強く当たってしまったり、非難する事だってある。だけど仕方がない事なんだ。人間はそんなに強くない。気持ちに全く余裕がなければ他人に優しくなんてできないからだ。
俺は何もない、無の空間へ頭を下げる。
自身の罪を認め、やり直す為に。
あの母子に対しては本当に申し訳ない事をした。
だが、失った命は戻る事はない。
だけど、今は謝意を表する事しかできないから。
「ごめんなさい!」
声がちゃんと届くように力強く、この懺悔に全ての思いを込めた。
「——プス、ク、ふふふ……。うん、あー。……ハルト、偉いぞ。素直に感心した。これで断罪からは逃れられるかもしれないな」
「うん。けど……なんで笑ってるの?」
「ああスマンスマン。別の考え事だ。それで思い出し笑いをしてしまった」
俺が言える立場じゃないけど、水を差すような言動は避けてほしい。こっちは心機一転してこれからなんだから。
「こんなところで謝ってもあの母子には伝わってないよね……無駄だとわかっているけど」
「無駄ではないぞ。私は死者ともリンクできるんだ。甘く見るなよ? ……その言葉、しっかりと送り届けてやる」
俺を更生させる為に壮大なイベントを仕掛ける事のできる召喚士だ。今更何ができようとそこまで驚く事ではないが、まさか死人と会話までできるとは。
「——うむ。その母と子にお前の謝罪、しっかりと伝えたぞ」
「ありがとう。後は、結城へだね」
「ああ。しかし、ただ謝るだけじゃ駄目だ。何がいけなかったのか、これからどうやって罪を償っていくのか、それを具体的に示せ」
「わかった……もう、結城とは?」
「勿論、既に繋がっている。お前の言葉は結城にちゃんと届く。——さぁ、自身の過ちを自供しろ」
今更、許してくれというのは虫のいい話。だけど俺には申し訳なかった、と言う事しかできない。
自分を認めてほしいという承認欲求に踊らされ愚行に走り、結城を押し退けた。
ただ、プリューも言っていたが、どちらかというと自己顕示欲の方が強かったのかもしれない。
俺はただ周囲からちやほや、注目されたかっただけだと思うから。そんな我儘に結城を巻き込んでしまった。
「あいつには全く非がなかった。なのに……おれは……」
俺は母子の時よりも強い謝意を示すため、何もない空間に向かって両手を、両膝を地につけ、顔を伏せた。
「——ごめんなさい! 本当に! ゴメン!」
現時点で俺ができる最大限の償い——
「ぶ、プス……ク、クッ……ンン……」
そしてその近くでプリューは笑いを堪えていた。
「あのさ……いい加減に」
「あー、スマン。何というかな、何もない無人の、ぶっ……空間に向かって、土下座とは、プス……中々にシュールな光景だったからな」
恐らく、いや絶対。今回、彼女が俺と結城の仲介役じゃなければ殴ってるだろうな。言葉では謝ってるもののプリューの表情には悪びれた様子はない。相手の気持ちになって、とか言ってた癖に自分は逆撫でばかりしてくる。
「真面目にやってるつもりなんだけどプリューにはおかしく見えたのかな?」
「ああ少しな。ふ、まあそう怒るなよ。お前の渾身のギャグ——土下座は間違いなく結城へ届けた」
「……それで」
俺の不安に対し、プリューは穏やかな笑みを浮かべて語り始める。
「案ずるな。元の世界へ帰れば答えがわかる。ただお前の熱意ある謝罪。それを受け取った結城、母子の反応を見て私は心から思ったよ。人間というのもまだまだ捨てたものではないという事に。再認識できた。やはり人はこうじゃなければいけないと」
彼女から告げられたのは前向きな言葉。
それを聞いて俺はもう一度、母子へ結城へ黙祷する。
そして、新たなステップを踏むためにこれからは周囲をちゃんと理解する事を誓う。
他人に思いやりを持てる人間を目指し、自己中心的な自分を完全に殺して。
それと、少しだけ嬉しかったのはプリューの心境に変化があった事だ。
人間に対して荒んだ感情を向けていた彼女。
俺たちのやりとりに影響を受けたのか、自身の考えを改めるような発言をした。
プリューの過去に何があったかなんてわからないけど、長恨させる悲惨な出来事が起こっていたことは間違いない。でなければあそこまで人間やこの世に対して、憎しみに支配された顔付きはできないから。
禍心を抱いて周りに散々迷惑をかけてきた俺。
そんな自分にプリューを諭す資格なんてないと思う。
しかし清濁なんて紙一重。悪だった俺が生まれ変われたように彼女だってきっかけさえあれば——
「駄目だ駄目だ。思い上がるな。俺だってつい今さっき過去を精算できたばかり。まずは自分を、一から作り直さなきゃ」
もう昔の貫地ハルトはどこにもいない。
新しい第一歩を気骨の精神で踏み出す。
『人への思いやり』その信念を心臓に深く刻み込むため、俺は拳を強く握り虚無の空を見上げた。
「うおおぉぉぉ! やってやるぞ! うおおぉぉぉぉ!」
全身全霊をかけた叫声はどこまでも、空しく響いた。
「……おい、なんだいきなり遠吠えをあげて。それとも断末魔? 腹でも減ったのか? ビックリするからやめろ」
「ごめん。でも、自分へのけじめなんだ」
「ふう……。やれやれ。そんなものこの後すぐに——」
「え?」
「いや、何でもない」
そう言うとプリューは一呼吸して、人差し指を使い空裏に丸を描き始めた。そして、その円型はみるみるうちに黒色へと変化し始める。
「さて、随分と長話をしてしまったな。名残惜しいがハルト、お別れの時間だ。この中に入ればお前は元の世界へ帰還する事ができる」
「これは魔王城へ行く時に使ったゲートみたいなやつ?」
「スペックは違うがまあ同じ種のものだ」
「……これ、グルグルされるやつ?」
「いや、違う。だから嘔気をつくこともない」
「そっか。なら一安心」
またあんな思いはしたくない。普段乗り物酔いとかしない俺でもあれだけ回されれば流石に気持ち悪くなる。
それにしてもこれでこの世界とも、プリューとも永別というわけか。そう考えると少しだけ淋しくなるし、彼女が魅力的に見えてしまう。
それは別に好意とかじゃなくて、『二度と手に入らない、会えない』といった思いがそういう風に錯覚させるからだ。
例えるなら卒業式とかで告白したくなる心理に似ている。まあ、俺は好きと言われた事は一度もないけど……。
悲しい中学時代を思い返しても気持ちが沈むだけなので、今はシャットアウトしておこう。
「プリュー、短い間だったけど色々とお世話になったね」
「ああ。お前と出会って私もそれなりに収穫があった」
微明かもしれないけど、プリューの心にも光が差し込んだようだ。キラキラしている瞳や角が取れた面持ちからそんな印象を受ける。
「じゃあ、俺行くよ!」
眼前に広がる真っ暗な入り口。
しかし、この黒闇を抜ければ、やがて朝を迎える事ができる。
「またな、ハルト」
プリューへ向けて手を振りながら片足を上げて穴の中へ。一歩目は空足を踏んだような感触。不思議な感覚に囚われている暇もなく全身は吸い込まれた。
異世界からの帰り道。
身体は宙を彷徨いながら一定の方向へと引き込まれていく。このまま身を任せていれば元の世界へやがて帰れるとプリューは言った。少し楽観的かもしれないが、他に選択肢は存在しないのだから彼女の発言を信じるしかないだろう。
ふと、プリューや試験の事をを思い返してみる。今になって思うとなんとも不可思議なものだった。
まるで夢を見ていたかのようなわけのわからない、筋の通っていない展開ばかりで、本当にこの身を持って体験してきたのか、と疑問に思ってしまう。
だけど間違いなく俺は異世界へ行った。自分の意識で構築されたものを『異世界』と呼ぶのは少し違和感があるけど、あんな現実離れした貴重な経験は現代の世界に戻れば、もう二度と体験することはないだろうな。
これから、元の世界に戻る。また、あの無情な場所で過ごすことを考えると、当然気分は晴れない。
孤立無援、四面楚歌、周りは敵だらけの現実に、俺は耐える事ができるのだろうか。
「そんな事……今更悩むべき問題じゃない」
非情な世間に躓いて、立ち上がれなかったのは今までの俺。
だけどもう弱かった自分はどこにもいない。結城たちへの償いを終えて、自身を見つめ直し生まれ変わる事ができた。
これからは。
率先して、誰かの為に生きて行こう。
自己中な自分なんてもういらない。
相手の立場に立って。
『思いやり』今まで持つ事ができなかったこの感情を上手く扱おう。
明るい未来なんて望まない。望んではいけない。
目の前にある『普通』こそが幸せなのだから。
「うおおぉぉぉぉ! 行くぞぉぉぉぉ! 俺ならやれる! またやり直せる! どんな困難も乗り越えられる! 絶対屈しないぞ!」
言葉にして、自分を奮い立たせる。
そうする事で、自身の心と目標が固く結ばれるからだ。
絶対に叶えないといけない。そんな意志が全身を埋め尽くしていく。
どれぐらいの時が経過したのだろうか。闇一色だった眼界に白い光が映出される。
その静かな輝きは少しずつ拡大していき、全身を包み込んだ。
「間違いなくこれは出口! 現世へ帰還するもの! 行くぞぉぉぉぉ!」
やがて、俺は白光のトンネルを抜けた——
——最初に視界に入ったのは全てが逆さまの景色。
顔を突風が襲う。風を切る音がやけに煩い。
そして高速で迫ってくるアスファルトの地め——