5 俺、自分の過去に震える
「英雄だー英雄がきたぞー」
「キャーかっこいいー」
「こっち向いてー」
「……なんで助けてくれなか——」
「あれが魔王を倒したという男か。立派な風貌じゃ」
「あっぱれ! あっぱれ!」
「…‥人ご——」
「私と結婚してー」
「握手して下さい!」
「……裏ぎ——」
熱狂的な歓迎ムードに一驚を喫したものの、俺は人々が作ってくれた凱旋の道をキリッとした態度で歩く。
両手を挙げてはしゃぐ者、拍手喝采で迎え入れてくれる者。
無表情で見つめる同級生。
穏やかな笑みを浮かべるお婆ちゃん。
恨めしそうな目を向ける幼児。
灰色の目でこちらを直視する母親。
どこの誰だかよくわからないお爺ちゃん。
——みんなが俺を祝福してくれている。今まで石ころだった自分の存在。それが等々認められたんだ。
胸底から噴水のように湧き出る想いをグッと抑える。……これが幸甚の至りというやつか。今まで経験した事のない感情の高鳴り、必死に引き締めようとしても表情筋が緩んでしまう。
ったく、ダメだダメだ。こんな時こそ英雄らしく凛としなければ。
そして、たどり着いた道の終わり。俺は祝ってくれた人々に頭を下げようと後ろへ振り返る——
「……あ、れ?」
しかし、水晶体を通過したのは何もない空間だった。
今さっきまで騒いでいた住民の姿は一切ない。
それどころか街そのものが無くなっている。
そんな音が無くなった世界に佇む俺。
「どういうこと?」
頭の整理が追いつかない。いや、なんで、これ。
「——ご苦労。見るにも耐えないくだらなすぎる茶番だったな」
聞き覚えのある女声。知っている音だから安心できるはずなのに何故か戦慄を覚える。
「茶番って……。ていうか君は——」
「ふ、なんだその情けない声と顔は。英雄としての振る舞いはどこにいったんだ?」
純白の髪、凍てついた容貌。何もかも拒絶したかのような先鋭な空色の瞳。——だ、誰だ? この女は……
「全く……鳩が豆鉄砲を食ったようなツラしおって。何をそんなに怯えている」
「え、あ、だ、だれ? 誰?」
「? ——あぁ、そうか記憶の修復が始まってきたか」
「修復……?」
「そうだ。『プリューフェン』その名前を聞いて思い出さないか? 私の顔を見て脳底から何か湧いてこないか?」
「……何も、君もわからない」
「——宜しい。不要になったゴミの脳に、いつまでも覚えていられるのはいささか気分の良いものではないからな」
「ゴミ? 不要? なんなんだ……なんなんだよお前は!」
「急に馬鹿でかい声を出すな。以前にも言ったが新型の病気だと疑われてしまうぞ」
眼前にいる白髪の女。こちらへ蔑みの目線を送っている。何故見ず知らずの女に俺は嘲弄されているのか。状況が全く読めない。
「頭の整理が追いついていないようだが、くだらない事に時間を浪費するつもりはない。私は試験の実施者プリューフェンだ。今回お前にはいくつかのテストを与えていた」
「試験、テスト……?」
「ああ。そして採点の結果——おめでとう。お前は見事に不合格だ」
「不合格? ……さっきからわけのわからないことを。お前にいつ、テストなんて出された! 今し方初めて会ったお前に。全く憶えていない! 俺はこの世界に来てからずっと一人で——」
「いや、道中私がずっと隣にいた。まあ思い出せんのは無理がない。記憶が元通りになってきているからな」
「元通りって、どういうことだよ?」
「まず、この世界はお前の脳裏を利用して作られた世界だ。此処に来てからお前が触れたもの、見たもの、感じたもの、全てお前のメモリーを元に形象化させたに過ぎん」
「俺の中にあるものを使って……? じゃあお前は何?」
俺の質問にプリューと名乗った女は面倒臭そうに短い息を吐く。——なんなんだコイツさっきから。胸中の鬱積した感情が今にも爆発しそうだ。
「やれやれ——やはり『私』という存在はまだお前の脳内にぶち込んでおいた方が良さそうだな」
そう言うと女は歪んだ笑みを浮かべる。何を企んでいるのか全くわからない。俺は後ずさりし距離をとる。それを追いかけるように女は手のひらを突き出して、一歩、また一歩と近づいて来た。
「——な!」
視界が一瞬だけ真っ白な空間に変わる。
何も認識できない状況。
眩しさがなくなり、眼前の景色が明瞭になってくる。
「プ、プリュー?」
先程までの嫌味な女は姿を消していた。代わりにこの世界の原点から、ずっと俺に同行していたプリューが立っている。
「ど、どういうこと! さっきまでここにいた女は? というかこの状況何? 試験って何?」
「黙れ。矢継ぎ早に問うなと前にも言っただろう。答える側のことも考えろ」
気が動転しあたふたと質問をぶつけたらプリューに叱られた。けど、試験、この世界のことなど聞きたい真実は山ほどある。
「慌てるな。かったるいが最後の慈悲だと思って懇切丁寧に教えてやろう」
癪に障る言い方だが今はプリューに縋るしかない。
間違っている、危険な者だとわかっている、だけど『楽をしたい』という感情がその警告をかき消していく。
「……教えて。お願い」
砂漠で見つけた泥水を啜るように。彼女の言葉を受け入れるしかないだろう。
「まずはさっきまでお前が攻撃的になっていた女と私は同一人物だ」
「え、でも——」
「黙って聞け。この世界がお前の記憶を元に構成されたものだということはさっき聞いたな? そして、此処に来る前までの、私と出会う以前のものを利用している」
プリューフェンという召喚士を知ったのはこの異世界に来てから。もといた世界では当然見たことも聞いたこともない。
「だから、記憶の修復が始まれば勿論、私のことは忘れてしまう」
「ま、待って! 修復って……?」
「……ああ。言ってなかったな。この世界にお前を召喚するにあたって少しばかり海馬を弄ってある。お前が生まれ育った世界で経験した事、楽しかった思い出、辛かった日々、全てではないが今は消失している状態だ。但し、試験も終えたのでそれもいずれ元通りなる。それが修復の意味だ。——よかったな」
確かにこの場所へ来てから、思い出そうとしても浮かんでこなかった事が幾つかあった。だが、彼女の説明通りそれは全てではない。覚えていたこともあった。最後に出会った街の人間とか。
その中にいた同級生。顔は覚えていて、クラスメイトだったことまでは脳内に刻まれている。だけど親友だったのか犬猿の仲だったのか、それともお互い干渉しない関係だったのか、その辺はわからない。
何故、記憶に介入したのか。それをプリューへ追及してもどうせ答えてくれないだろう。というよりその質問はこの状況で聞く意味がない。
「君のことは? さっきまでの女性。なんで記憶が元通りになるとプリューの事を忘れちゃうの?」
「従来の記憶内に私という存在がいないからだ。此処での出来事は全て忘れてしまう。故に、この場所で初めて会った私の事も脳から消えていく」
「此処での出来事って……。プリュー以外の事はしっかり覚えてたよ? 街の人とか魔王とか。変な魔物たちの事とか」
「言っただろ。それらは全てお前の記憶を利用して作り上げたものだと。元々お前の中にあったものだ。忘れる事はない」
ややこしくなってきたが、単純にこの場所限定の事象は、頭の中から全て消去されるという意味だろう。それならば初対面であるプリューのことを忘れてしまうのは当然だ。
「それと試験についてだが——まず原点。お前が最初にいた場所。大きな岩があったことを覚えているか?」
「確かプリューが問題を出したやつだよね?」
「ああ。それにもちゃんと意図がある。あれはお前の想像力を知りたくて聞いた」
頑張って頭をフル回転させたけど全然思い浮かばなかったんだよな……
「結果。勿論不合格。着想も独創もないただのカスだ」
まあ上手く答えられなかったのは確かだけどいい方がキツイ。
「で、俺の想像力を知ってどうするつもりだったの?」
「うむ。嘘に引っかかりやすいかどうかを知りたかっただけだ。想像力豊かな奴ほど騙されやすい傾向があるからな」
「つまり俺は『騙されにくい』から駄目だったってこと?」
「そうだ。この課題では様々な可能性を思い付く、純粋無垢な奴を求めていた」
嘘に引っかかりにくいからといって心が穢れているわけではない。だから気を病む必要は皆無だが、プリューはこちらへゴミを見るような目線を送っており、それがすごく腹立つ。
「次。魔王城へ向かう直前の事だ。コインで行くか留まるかを決めた時、表が出て前者が選ばれたわけだが。——お前、本心では行きたくなかっただろ? 世界平和など知ったこっちゃない、人間など苦しもうが関係ない、自分がちやほやされるならなんでもいい。そんな腐りきった——」
「違う! 違うから! 何を根拠に言ってるの?」
「愚問だな。無作為に選択されたにも関わらず、その選ばれた答えにお前は納得していなかった。つまりはもう一つの択——魔王城へ行かず魔物を探索する事をお前は心底から望んでいたという事だ」
……あの時プリューが見せた抑揚のない瞳。
彼女は俺の本意を見破っていたという事だ。
「——さて、ここまで聞いてお前から何か言いたい事はあるか?」
「ない、よ」
「ああ。すまない。聞き方を間違えたな。何か隠している事はないか?」
精査は既に終わっているのか、こちらの胸内を見透かしたかのような意地の悪い目線を送るプリュー。
彼女は薄く笑いこの状況を楽しんでいるようだった。
時間が惜しい的な事を言っていた気もするが、今現在俺は心臓を手玉に取られた状態。下手な隠し事や抵抗はしない方が良いだろう。
「いなかった。魔王はいなかった」
「で?」
「何もしないで帰ってきた」
「で?」
「倒したって嘘ついた」
「やれやれ、空言か。……お前、ゴミだな。いや、ゴミが可哀想だ。細塵の方が相応しいか」
「そこまで言わなくても——」
「ほざけ。人々を欺いてまでして自分の欲求を満たしたくせに」
プリューの言ってる事は正論だと思う。確かにみんなを騙して……それでも自分をどうしても認めて欲しかった。
「だ、だけどさ。テスト、試験なんだよね? そもそも『城へ行って魔王がいなかったら』っていうのがテーマだった場合、プリューは既に存否がわかってたって事でしょ? それでいて嘘ついたからって塵とか馬鹿にするのは酷くない?」
「そんな細かい事を気にしてるから細塵と呼ばれるんだ」
フッと鼻で息をしてドヤ顔になるプリュー。
……いや、そんなうまいこと言ってないからね。
「この時点で失格は決定事項だ。想像力もなく承認欲求——自己顕示欲を優先した姿勢。トドメはホラ吹きときた。これでは没人間としての烙印を押されても無理はない」
「確かに不合格なのは認めるけど没人間って……。まあ、いいや。プリューのお目にかからなかったって事はもとの世界へ強制帰還って感じかな?」
「そうだな。未来永劫私とは会う事はないだろう。だからって泣くなよ?」
優しく諭すような口調だったが、告げた言葉から俺は他意を感じ取った。
「なんか絶対に、二度と会えない的な言い方だね」
「ああその通りだが? 私はおかしな事を言っているか?」
「言ってないけどさ、もしかしたらどこかで——」
「ありえないな。帰泉の者が私のような生きている人間と接触できるわけないだろ。物理的に不可能だ」
「きせん?」
「黄泉へ向かう、つまりは死者という意味だな」
「誰が?」
「お前に決まっているだろ。他に誰がいる」
いまいち現実味のないプリューの言葉。
正直言って俺は全く受け入れていない。だから恐怖とか不安とかそういう感情も抱かず、心にはまだ余裕がある。
「またからかってるだけでしょ? 俺は死んだ覚えないし」
「ハルト、往生際が悪いぞ。お前は自ら泉路に足を踏み入れたではないか」
「せ、せんろ? 線路にって……俺、電車に飛び込んで自殺でもしたの?」
「合ってるが一部違う。自殺方法は学校の屋上から飛び降りだ。——私はお前みたいな死のうとした人間を召喚させて試験を受けさせている」
そう言われても脳内に何も浮かんでこなかった。覚えていないのだからいくら説明されたところで実感なんて湧く事はない。
だけどもし——記憶が元通りになって全てを思い出したら、プリューの発言が真実だったら、俺は受け入れられるのだろうか。
「まあ懐疑的になるのも無理はない。いきなり死んでいるなんて告げられても混乱するだけだからな。だからお前の心理状態を考慮して、一つずつ海馬の蓋を開けていってやろう」
「え、待——」
「ハルト、街の住民を覚えているか? その者たちの容貌を」
「なんとなくだけど」
「まずはそれらを明らかにしてやる。お前はすっとボケているが拍手で迎えてくれた人間たちの中に白眼視する奴等がいただろう? 例えば母親と幼児とか」
「いやいや、みんな温かい目で祝ってくれてたよ。白い目で見てくる人なんていなかったし」
「都合の悪い事は見ないようにするタイプだからなお前は。心を覗いたからその部分は理解している。——じゃああの親子はどこの誰だ?」
「さぁ……」
「——お前が中学生の時、とあるデパートで火災が起こった——」
唐突にプリューはわけのわからない事を喋り始めた。デパート? 火災? あれ……
「お前は買い物帰りその親子と出くわした」
「いや、知らない」
「母と子は崩落した天井の下敷きになっていた」
「知らない、知らない、知らない」
「必死に助けを求める声を無視して、お前は逃げた」
「知らないって言ってるだろ!」
「興奮するな。声量のコントロールぐらいしろ。いいか? その母子をお前は見捨てたんだ。可哀想に。落下物をどかすだけでよかったのに」
プリューの告げた言葉が真っ黒い雫となって心の底に落下する。そしてそれは波紋を描き少しずつ脳へ浸透してきた。
「……仕方なかったんだ。すぐ近くに炎が迫っていて、救助していたら、俺まで巻き込まれてしまうと思ったから。けど、そんないけない事? その親子は知り合いでもない赤の他人だよ? 自分を犠牲にして助けなければいけなかったの?」
あの時、最初は助けようとしたが俺は途中でそいつらを見放した。怖かったのは事実。火事なんて今まで経験した事はなかったから。しかし、理由はそれじゃない。
親子の態度が気に入らなかったからである。
母親は「さっさとしろ」「子供が苦しんでいる」「遅い」「グズ」「役立たず」と様々な暴言を吐いてきて、救助する価値などない生き物だと思ったのは事実。
家族でもない。恋人でも親友でもないそんな者を、見返りどころか嫌な思いまでして助ける必要はないだろう。
「全然。全く問題ない。仮に私が同じ状況になったら躊躇わず放置する」
てっきり非難されると思ったが、俺の訴えに対してプリューは意外にも共感してくれた。
「なんだ、プリューも同じ考え方なんだ。じゃあとやかく言う資格はないよね」
俺がそう言い放つと、プリューは吹き出し、腹を抑えて凶悪に笑い始める。
「な、なに? 別にそんなおかしい事言ってないと思うけど……」
「あはは。ハハハ。いや。可笑しい。笑える。なあハルト、それ、まだ続きがあるんじゃないか? 助けず逃走して終わりだったわけじゃないだろ? 私が大笑いしてる時点で隠しても無駄な事はわかるよな? 流石に私もそのユニークな考えには至らなかったぞ」
「……」
「ただ助けないだけならまだしもお前、危険を顧みずに燃えていく二人を観察してたよな? 人が焼け死ぬ瞬間でも見たかったのか? 阿鼻叫喚を眺めて楽しんでいたのか? フフ……まあ気持ちはわかる。そんな見せ物なかなかお目にかかれないからな」
「……」
「どうした? 無反応だと私も少しばかり……寂しいぞ?」
プリューはイタズラっぽく目を光らせながら唇頭を尖らせる。今更しおらしくしたところで俺が騙されるとでも思っているのか。
「そんな事1ミリも思っていないくせに」
そう強く言うとプリューはバレたか、と頭をコツンと叩き、あざとい笑みを浮かべた。
「まあこんなくだらない事、お前の死とは無関係だがな。だけど少しは感覚が戻ってきたんじゃないのか? 狂った感情の」
「狂った? 別におかしくないでしょ」
「ああ。否定はしていない。むしろ好きだよ。中途半端な偽善者よりかは何倍も。その破滅的な脳みそは素敵だと思うぞ」
「そう、なんだ……」
プリューの言葉を聞いて俺は、彼女に対して少しずつ心を許し始めていた。類似性を感じたからか、自分の行動を肯定してくれたからかはわからない。単語一つ一つを拾い集めれば、俺をからかって遊んでいるだけだと思う。しかし、共感してくれた事が何より嬉しかった。
「さて、前座はここまでだ。これよりお前の記憶を全て元通りにしていく。そのためにまずはキーとなる人物を思い出してもらう」
「キーとなる人物?」
「街にいた無表情の少年だよ。お前と高校、いや中学から学校生活を共にしてきた人物だ」
その生徒の顔は覚えている。同級生だった事も。だがそれ以上の関係性がわからなかった。プリューの発言を聞くに中学も一緒だったらしい。
「同級生にもお前は愉快な事をしているぞ」
「覚えてない。多分、えと……」
「フフ。私の推測だともう色々と思い出しているんじゃないか? それとも十八番の惚けたふりか? ——まあいい。単刀直入に言ってやる。お前は同級生を死へと追い込んだ。自分は手を汚さず、狡猾なやり方でな」
「な、なんのこと、かな……」
「そして、それはお前が自殺をする起因となったものだ」
プリューは無遠慮にどこまでも掘り下げてくる。
その度、頭の中のボヤけていた情景がハッキリとしてきて、俺は別の事を考え思い出を誤魔化した。
だけど、それは一時凌ぎに過ぎない。