3 魔王を倒しに行くか、人間が苦しんでもいいから異世界での冒険を満喫すべきか
無事に森から出て、俺は一歩前へ踏み出した。周囲にこれといって目立つ建物等はない。ちょっと歩くと上流へ近づいた為か、先程見たものよりも川幅が狭く流れの速い川があった。
「待て……!」
ふいにプリューから静止の言葉がかかる。いきなりの角度ある声に俺はビクッとなってしまった。
今までは何が起ころうとも毅然とした態度でやり過ごしていた彼女。そんなプリューが魅せる真剣な面持ち。
俺は只事ではないと判断し気を引き締め、警戒心を強める。今度こそ、今度こそ人間の生活を脅かしている魔物が姿を現したのか。
思ってはいけないけどそうであってほしいという願望が隠見する。世界の平和より自分の欲求を優先してしまう。
自分が誰かを助けることを。
だから何かしらの事件を望んでいる。被害者の恐怖やトラウマといった心理状態を考慮せずに。
「——い! おいハルト。聞いているのか?」
物騒な事を考え込んでいたら、横からバシッと頭を叩かれた。
「あっごめん。ぼけっとしてた」
「やれやれ……これから緊迫した状況になる。たるんだ真似はするな」
「どの口が……」
「何か言ったか?」
「なんでもない……です」
コイツ……森の中では散々怠そうにしていた癖に。プリューには自分の言動を鏡で見てもらいたいものだ。
「着いたぞ」
唐突に出てきた目的地到着を告げるプリューの一言。そうは言われても辺りには何もない。森の出口に到着したという意味か、もしくは川の上流付近に着いたという意味なのか。
「今からこの場所に魔王城へ繋がるゲートを開く。中に入れば一瞬で辿り着くぞ」
まさかのイカサマスキルを発動しようとするプリュー。
……最初からこれ使っとけば無駄に移動しなくて済んだのでは? それと……
「どうした? 顔に迷いが出ているぞ。臆病風に吹かれたか?」
「まさか。ただ……」
「言え。ただ、なんだ?」
「もう少し、冒険したかったな、って」
「……それは本心で言ってるのか? 人間は魔物に、魔王に怯えながら日々生活している。いち早く討伐して人々を安堵させてやりたいとは思わんのか」
「それは勿論。みんなが平和に暮らせるようにする、それが最優先だ。そこに嘘はない」
俺はそう断言し、プリューへ真面目な視線を送ろうとしたが、何故か左側の表情筋が固まってしまった。顔をさすって確かめてみたけど特に異常はない。
俺の熱意ある台詞を聞いたプリューは、冷水をかけられたかのような冷たい顔色しながら、無気力な瞳をこちらに向けていた。心奥を探っているのか、全てをクリアにする眼差しを向けられて俺は思わず地面へ目を逃す。
数秒、沈黙があった後、プリューは小さく深呼吸して口を開いた。
「そうか。『嘘はない』か。では、お前に確認しておこう」
「確認?」
「このままゲートを開き敵の城へ乗り込むか、まだまだ旅を続けて魔物の探索をするか。後者を選べば当然人間の苦しむ時間は長くなる。さて、どうしたい?」
俺の決意を揺らそうとするプリューの問い。
こんな二択、困っている人間のことを考えれば、『今すぐ魔王を倒しにいく』の一択だ。なのに、迷う。
ラストボスの魔王を倒してその後はどうなる。俺が討伐した、とここの世界にいる人間達は認識してくれるだろうか。讃えてくれるだろうか。
最初、思い描いていたシチュエーションは、モンスターに襲われている誰かを助け、感謝してもらったり素敵とか言われたり、そういうものだった。
けど、この世界に来て何をしたかと言われれば、ただのゼリーを魔物と見間違えてパニックになったり、奇行に走ってる犬を見てギャーギャーいったりと情けない行動しかとっていない。
なんとか体裁を取り繕っておきたいが……その場合どちらを選ぶべきなのか。
「決められんようだな。……まあいい。選択できないのならメダルの表裏で決定しよう」
思い迷っている俺を見てプリューは、痺れを切らしたようだ。コイントスなどというふざけたやり方で今後の方針を決めようとしている。
「そんなもので……自分で決めないと駄目だ」
「はぁ……やれやれ。お前が優柔不断だから助言してやっただけだろ。いいか? 迷ってしまうのはどちらも間違っていないと思っているからだ。難しく考えるな」
「……どちらも、か」
「無作為なやり方に任せるのも一つの手。——まあ、どのみちこのままでは一生決まらん気がする。時間の無駄だ。やるかやらないかさっさとしろ」
「わかった。とりあえずプリューのやり方に従うよ」
表が出たら魔王城へ行く。
裏が出たら魔王城へ行かずに暫くの間、魔物の探索をする。
そのルールの下で虚空に弾かれた金色の硬貨。プリューは落下してきたコインを手の甲で受けると、逆の手で一旦結果を隠す。
「さて、表か裏か」
面白いともつまらないともいえない中途半端な顔付きをしながらこちらへ一度視線を送るプリュー。コインを覆っていた雪肌の腕がゆっくりスライドされると、そこから少しずつ顔を覗かせる俺の選択肢。——さぁどっちだ。
「表か」
本来の目的通り進むことを告げるプリューの複雑な一言。俺も答えを確認するためコインを見てみると、やはり彼女の言った通りで、髪をカールさせた男性の絵が空へ目を向けていた。どうでもいいけどこのカールは何者だろうか。
「どうした? まだ心支度ができていないのか。——ああ、コインに描かれた男の正体か」
俺の胸中を察したのか、プリューは「いいか?」とタメを作りながら疑問に答え始める。
「ただの一般人だ。名前は……知らん」
硬貨に姿形が載るぐらいだ。カールが偉人であるのは間違いないだろう。さて、どんな偉業を成し遂げたのか——?
「一般人?」
「ああ」
「名前は?」
「知らんと言っただろう」
……一般人が硬貨になる。もはや人選ミスというレベルの話ではない。この世界の価値観は出鱈目だ。
「さて、表が出たということで早速魔王城へ向かうぞ」
「……わかった」
「……」
選ばれた前途に対して、複雑な感情を抱いたのが顔に出てしまったのか、プリューは一瞬こちらへ抑揚のない瞳を向けた。こんな感情を殺した色をする人間、今まで見たことはない。
その後は、一言も発さずにプリューはゲートを開き、視線で中へ入るように促した。
空中にできたマンホールサイズの真っ黒い穴。
一寸先は闇とはこのことか。本当にお先は真っ暗だ。だけど俺には後戻りする権利はないのだろう。無意識のうちにそう感じた。取り返しのつかない大切な何かを壊してしまったかのような、そんなわたがまりがいつまでも心中から消えない。
やがて一歩前へ踏み出すとゲートに待っていたぞと言わんばかり、俺の身体は吸い込まれた。