07 キス
お嬢様が旅行に出掛けてすぐだった。
僕はちょうどいい機会だと思い、夏季休暇とお盆休みを兼ねて二週間程いただいた。
これだけ長い休みは滅多にないと思い、久々に実家に帰省していた。
「あー、やっぱ家はいいもんだな」
のんびり過ごす実家での時間に僕は満足していた。
していたのだが……。
そののんびりの日常も三日も過ぎると飽きてる自分がいた。
暇な日常に慣れない。
時間があっても何をしていいのか分からず困っていた。
思えば就職してから今まで、忙しい毎日を過ごして来た。
体がそれに馴れてしまっている。
裏を返せばそれだけ充実な時間を送っていたことになる。
あれだけ困ったお嬢様に振り回される日々もそう悪くなかったと思い返していた。
(向こうで何して過ごしてるんだろう?)
休みとはいえ、お嬢様のことを考えてしまう自分がいる。
これが一種の職業病というものだと気づかされる。
僕はすっかりお嬢様に染まっていることを思い知らされた。
そして、やることもなく一週間過ぎた時だった。
「ん? 電話……って、え? お、お嬢さま!?」
日本にいるはずのないお嬢様からの電話に僕は驚いた。
「守? どこにいるの?」
「ど、どこって、えっと、実家ですが……」
「何でそんな所に……。困った人ね」
「え、えー? ど、どうしてお嬢さまが……」
「早く戻って来て。私はもう日本に帰ってきてるのよ」
早く帰って来た理由も明かされず、急遽呼び出された僕は慌ただしく実家を後にしていた。
「ったく、何なんだよ、あのじゃじゃ馬は! せっかくの休みだっつーのに……」
口では文句を言っていたが、僕はなぜか嬉しかった。
離れたのは経った一週間だったのに我が儘が懐かしいとすら感じる。
◇ ◇ ◇
「守! 勝手にいなくなったら困るじゃないのっ!」
「勝手にって。一応、ちゃんとした夏季休暇をいただいてですね、それで……」
「あー、もう。ごちゃごちゃうるさい。あ、そういえば、はい、これ」
「何ですか?」
ぶっきら棒に手渡された包み紙。
開けると、そこにはネクタイが入っていた。
「え? これは……」
「別に深い意味はないわよ。……お、お土産。そう、ただのお土産だから」
聞いてもいないのに、買って来た理由をお嬢様は話し始める。
「ちょっとだけ帽子のお返しも入ってて。あ、だけど、暇で買い物行った時についでに買っただけなんだから。ついでに」
延々と理由付けるお嬢様の必死な所に僕は思わず笑ってしまった。
「はははっ。いい色と柄ですね。どうですか? 似合いますか?」
「……まあ、悪くないんじゃない?」
ネクタイを宛て、喜ぶ僕を見てお嬢様もどこか嬉しそうに顔を緩める。
そのお嬢様を見て僕も思わず笑ってしまった。
「何で笑うのよ」
「すいません。でも、ありがとうございます。大事に使わせてもらいます」
「……別に大事になんか使わなくてもいいわよ」
いつになく突っ掛かる言い方は照れ隠しなのだろう。
余程恥ずかしかったのが分かる。
「でも、どうして早く帰って来たんですか?」
「別にいいじゃない。それより守は何してたの?」
「私ですか? 実家に帰ったんですが、特にすることもなかったですね」
「そうなの?」
「はい。大学の時もあまり帰らなかったので、ちょっとのんびりとしただけです」
僕は実家に帰ってした暇潰しの話をお嬢様に延々と語っていた。
大した話しでもなかったのに飽きることなくお嬢様は耳を傾けてくれた。
時々、茶々と突っ込みは入ったものの、僕には楽しい時間だった。
どのぐらい話したんだろう。
「お嬢さま? ……疲れてたんですね」
気がつくとお嬢様はスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
額に滲む汗を拭うと頭を撫でる。
「……まだ子供なんだよな」
幼い寝顔に僕は思わず本音を呟いていた。
持って来たタオルを寝てるお嬢様に掛けようと近づいた時、僕は変な衝動に駆られる。
柔らかそうな唇にキスしたいと思ってしまった。
潤った唇に艶かしさを感じる。
周りは誰もいない。
お嬢様も寝ている。
このままキスしても誰にも知られることはないだろう。
寝込みを襲うような感覚が僕を興奮させる。
僕はお嬢様の唇に吸い寄せられていく。
「……っと、何してんだよ」
唇が触れようとした瞬間、僕は我に返った。
中学生でしかないお嬢様にするべきことではないと自制心を取り戻していた。
ただの職業病だと思っていた休みの間も考え続けたお嬢様のこと。
もしかしたら違うのだろうか?
(まさかな。相手は中学生だし、お嬢さまなんだし……)
毎日騒がしく会ってたのが、急に途絶えた一週間という時間。
その時間が僕を勘違いさせただけだ。
僕は無理やり自分に沸き起こった気持ちを解決させた。
「キスするんじゃなかったの?」
「え!? お、お嬢さま?」
「今、キスしようとしたでしょ?」
「ち、違います。タオルをかけただけですよ」
「……ふーん」
明らかに疑ってる目。
僕は自分の取った行動が恥ずかしくて、お嬢様の目線を反らしてしまった。
「守」
「は、はい」
恐る恐る振り返ると、お嬢様の顔が僕の目の前にあった。
頬を両手で強引に掴まれると、更にお嬢様の顔が近くに寄ってくる。
――♡
次の瞬間、お嬢様の唇が僕の唇と重なっていた。
「お、お、お嬢さまっ!?」
真っ赤になる僕とは違い、舌をペロリと出し、してやったりの表情。
僕が怒りの表情に変わると、今度は一転、澄まし顔になっていた。
「……ねえ? 守」
「は、はい」
「どうして私が早く帰って来たか……分かる?」
「え? わ、分かりません」
「本当に分からないの?」
「……」
「……」
潤んだ目が僕を真っ直ぐ見つめてくる。
今度は反らしたくても反らせない力を感じた。
沈黙の時間が僕を緊張させる。
「それはね……私……私ね……守の……守のことを……」
こんなしおらしいお嬢さまを見たのは初めてだ。
ゆっくり語られる言葉に僕は息を飲んで耳を傾ける。
「こうしてからかってた方が面白いから!」
「……へ?」
「あっははー!」
何かを期待した僕が間違っていた。
僕の照れる仕草を見てお嬢様は大笑い。
お腹を抱え、涙を流しながら笑っていた。
「お嬢さまっ!」
逃げるお嬢様を追いかける。
でも、僕は納得した。
確かにこうしてるのが楽しい。
狭い部屋を子供のように駆け回り、追いかけっこで笑い合っていた。
「ねえ、守」
「何ですか?」
「キスしちゃったね」
「……」
「私のファーストキスだったんだよ」
「そうなんですか?」
「ありがたく思いなさい。あーあ、相手は守か。悪戯にしちゃもったいないなかったわね」
残念そうな言葉とは裏腹に、お嬢様の顔は嬉しそうに微笑んでいた。