06 大人な子供
夏休みに入ると、学校へ送り迎えする運転手の仕事はちょっとお休みになる。
とはいうものの、塾やお稽古事の送迎の業務はあるので、全く仕事がない訳でもない。
そして、仕事の少なくなった僕に新たな業務が加わることになった。
それが何とも面倒な仕事となっていた。
「お嬢さま、聞いてるんですか?」
「聞いてるわよ。説明はいいから答え教えてよ、答え」
「ダメです。ちゃんとした過程を経ないと問題を解く意味がないでしょう」
「だったらもっと分かりやすく教えなさいよ」
「……」
海外の別荘へ向かう為、早めに宿題を済ませなくてはならないお嬢様。
本来ならばちゃんとした家庭教師もいるのだが、なぜか僕が駆り出される羽目になっていた。
僕には直接言わないが、実はお嬢様強ってのお願いだったらしい。
我が儘、とまではいかないがお嬢様がそこまで言うのは珍しいとのことだ。
僕が余程お嬢様に気に入られてるとお屋敷内ではもっぱらの噂になっていた。
がしかし、いざ始めてみるとお嬢様が僕を名指しした理由が分かった。
「お嬢さま。暑いからってダラダラしないで下さい」
「あー、もう。分かった、分かった。うるさいなー、守は」
家庭教師の先生方と違い、僕ならある程度の自由とわがままが利く。
気の抜けた態度も取れれば、気楽に構えることも出来る。
最大の要因は猫被らなくて済むということだ。
わざわざ指名される程信頼されてるからだと思った僕はちょっと拍子抜け。
しかも我が儘なお嬢様の相手は思った以上に面倒な仕事になっていた。
「あー、もう休みたーい」
「せめてこの問題終わってからにしましょう」
サボりたいお嬢様の機嫌を取りながら、お尻を叩く。
気疲れにほとほと嫌気が差してきた。
尤も、僕程お嬢様をコントロール出来る人物はいないだろうという自負もあったりする。
エアコンの涼しい部屋で過ごせる分だけ少しは楽だと思わなければならない。
「あーあ、守にすればもうちょっと楽に宿題終わらせると思ったのになー」
「宿題はちゃんと自分の力でやらないと自分の為になりませんよ」
「はいはい。何学校の先生みたいなこと言ってんのよ」
不貞腐れれてる。
それでもどうにか問題に取り組んでいるだけでもマシか。
「……」
それにしても、である。
改めてこうして見ても、お嬢様は幼さはあるがそれを差し引いてもとても美少女だと思える。
可憐という言葉が良く似合う。
これでもう少し口が悪くなければ完璧なのに……。
「ねえ? 守」
「終わりましたか?」
「守は彼女いないんだったわよね」
「はい。今は……ですが」
「そんな見栄はどうでもいいんだけど」
見栄など張ってはない。
だが、これ以上反論すると、逆に怪しまれそうな気がしないでもない。
何より面倒臭かった。
「それが何か?」
「ううん。守ってロリコンなのかなって?」
「……ち、ちち違いますが」
「今、少し間があったわね。それにちょっと噛んだ」
突然のお嬢様の突っ込みに僕は思わず動揺してしまう。
「何か視線感じるんだけど。私のことジーっと見てるから」
「見てません」
「そう? 部屋で二人きりだからエッチな気分なってんじゃないでしょうね?」
「なってません」
即座に否定する。
冷静さを取り戻すと、何事もなかったように振舞う。
それにしてもお嬢様の鋭い指摘。
意外とよく人間観察をしている。
「そういえば、お嬢さまが海外に行ってる間、夏休みをもらえそうなんですよ」
「守は何か予定あるの?」
「休みが取れたら、実家にでも帰ろうかと思ってます」
「ふーん。そうなんだ」
話を反らしたい一身で何とか違う話題に持っていく。
お嬢様も上手い具合に話に乗ってきた。
「お嬢さまは別荘で楽しんで来て下さいね。いいなー、海外なんて。羨ましいです」
「別に楽しくもないわよ。言葉は通じないし、知ってる人はいないし、遊ぶ所もないしね」
冷めた感情は相変わらずだが、どこか寂しい様子が見えた。
考えてみると、僕がお嬢様ぐらいの時は夏休みなんて友達と毎日のように遊んでいた。
それが子供のあるべき姿だろう。
きっとお嬢様も同じではないだろうか?
幼いお嬢様が海外に行ってもつまらないと言うのも頷ける。
「行きたくなかったら行かなくてもいいのではないのですか?」
「え?」
「自分の思ってることも話せなかったら、その内息が詰まってしまいますよ。こっちに残って友達と遊んだりしてた方が、きっとお嬢様も楽しいでしょう。旦那様に正直に話してみてもいいのではないでしょうか?」
僕は素直に自分の思ってることを口に出した。
大人の顔色を伺って過ごしてるお嬢様。
自分の立場を考えれば悪いことでもないだろう。
だが、子供なら子供らしく過ごしても悪くはないんだ。
いつもなら生意気と僕に文句を言ってきてもおかしくない。
僕の気持ちが通じたようで真剣に耳を傾けてくれた。
「それもそうだけど。もう行くのは決まってるのよ」
「しかし、お嬢さま……」
「全然楽しくない訳じゃないのよ。それに、たまには親孝行もしないとね」
旦那様と奥様が忙しい中、時間を割いてくれたに違いない。
それは普段一緒に居れないお嬢様と過ごす時間の為だろう。
それを僕は気づいてなかった。
「……はい。確かにそうですね」
僕よりもお嬢様の方が遥に大人だった。
僕のアドバイスは一歩間違えば、自分勝手な我が儘になってしまう恐れもある。
それをお嬢様の方が理解していた。
「さあ、休憩はここまでですよ」
「えー、もうちょっと」
「いけません」
「あー、もう。せっかく上手く脱線出来たのに……」
◇ ◇ ◇
その後、一週間かけてほとんどの宿題をどうにか終わらせることが出来た。
僕にとって騒がしくも大変な一週間だった。
宿題を気にせず旅行に出掛けられるお嬢様もホッと一安心だろう。
ただ連日の勉強にお疲れ気味での出発となってしまった。
「気をつけていってらっしゃいませ」
「それでは行って参ります」
皆の前でいつも通りの外面のいい挨拶を交わす僕とお嬢様。
ふと見るとお嬢様の頭を見ると僕がプレゼントした帽子を被っていた。
それが僕には嬉しい光景として映っていた。