10 すれ違い
「おはようございます、早瀬さん」
「おはようございます、お嬢さま」
異変が起きたのは月曜日の朝だった。
いつもと同じよう外面の挨拶を交わすと、学校へ行く為に車に乗り込むお嬢様。
普段なら車の中ではダラダラしてるお嬢様が妙にきちんとしている。
「どこか具合でも悪いのですか?」
「いえ、どこも悪くありません」
「そ、そうですか」
冗談っぽく聞いた僕に真面目な返事を返す。
その余所余所しい態度は学校へ到着するまで変わらなかった。
何かに腹を立てているのだろう。
だが僕は何について怒ってるか検討違いしていた。
大衆の目の前で抱きかかえられたことを根に持ってる。
そうだと思っていた。
「ちゃんと謝んないとな」
大した問題だと思っていなかったんだ。
◇ ◇ ◇
迎えた放課後。
お嬢様を車に乗せると、僕は早速謝りの言葉をかける。
「お嬢さま、先日はすみませんでした」
「何のことです?」
「あの、体育祭の時の大勢の前でお嬢さまを抱きかかえてしまいまして……」
「ああ、そのことならもう結構です。気にしておりませんから。それよりも今日は何のお稽古ですか?」
「え? あ、はい。今日はお花の日です」
「そうですか。では、参りましょう」
一向に直らない敬語。
お嬢様の怒りが相当なものだと感じる態度だった。
僕はどうせすぐに直るだろうと楽観的に考えていた。
だが、次の日も、その次の日もお嬢様の態度は変わらなかった。
◇ ◇ ◇
気がつけば一週間が過ぎていた。
僕はようやくことの重大さに気がついた。
本気で嫌われたんだ、と。
敬語での余所余所しい会話と事務的な言葉が交わされる毎日。
皮肉だがこれが本来のお嬢様への正しい接し方だったのかもしれない。
今までが馴れ過ぎておかしかったんだ。
僕はそう思うようになっていた。
そんな中だった。
僕は旦那様から突然お見合いの話を勧められた。
世話好きの旦那様はお屋敷の使用人の結婚相手を探すのが好きらしい。
もちろん僕はすぐに結婚を考える歳でもなかった。
だか、旦那様の勧めを無碍に断る訳にもいかない立場でもある。
僕はせめて会うだけでもと思い、そのお見合い話しを了承した。
お見合いといっても堅苦しくはない。
相手と二人で会ってお茶をする、その程度の軽いものだった。
お互い当日まで素性を知らせないで出会う。
案外演出が凝ってる紹介だ。
旦那様は意外とお茶目な方な気がした。
元々特に気合も入っていなった僕は自然体で相手を待つことが出来た。
「こんにちは」
「あ、どうも。始めまして」
間もなくやって来た相手らしき女性と挨拶を交わす。
「?」
なぜか僕の顔を見てホッとしていた。
「あ、あの……」
「何だ。運転手さんだったんだ」
「え?」
「あれ? 分かんない? ほら、私、月子様の通ってる美容院の……」
「あー、はいはい。どっかで見たことあるような気がしてた」
相手はお嬢様の通う美容院に勤めてる、藤原真子さんだった。
「運転手さんで良かった。実はちょっと緊張してたんだよね」
聞けば真子さんもノリ気でなかったらしい。
僕と同じように美容院の店長の勧めでもあり、顔を立てる意味で仕方なく、といった感じで話を受けたと言う。
僕と変わりない立場にいたことで親近感が増した。
元々同年代ということもあって話しは合う。
仕事のこと、プライベートのこと、そのほとんどがグチだったが、思いの外話は弾んだ。
女の子と接するのが楽しく感じない男はいないだろう。
僕はそれなりに楽しんでいた。
「すぐに断っちゃうと新しいお見合い話出ても困るから、もう一回ぐらい会わない?」
言われる提案は納得出来る。
僕は断る理由もなく、次の日曜日に再び会う約束を交わした。
ただお嬢様には知られたくない。
なぜかそんなことを考えていた。
◇ ◇ ◇
「おはようございます、お嬢さま」
「おはようございます」
変わらない月曜日。
それも少し馴れた気がする。
その日の予定を話してしまえば、余計な雑談は一切ない。
今日もこんな調子か。
そう思ってた時だった。
「早瀬さん」
「はい。何でしょうか? お嬢さま」
珍しくお嬢様から声がかかった。
僕の胸がちょっと弾む。
お嬢様も堅苦しい時間に嫌気が差した頃に違いない。
元のように戻れる日が訪れた。
そう思っていたんだ。
「昨日、お見合いだったそうですね」
「え?」
「美容院の藤原さんでしたか? お父様から聞きました」
「そ、そうですか」
「どうだったんですか?」
知られたくない事実だったが、耳に入っていても仕方のないことだ。
僕は隠す必要もないと思い、正直にお嬢様に話すことにした。
「同じ歳ということで話も会い、とりあえず今度の日曜日も会う約束をしました」
「そうですか。良かったですね」
「……」
「……」
「お嬢さま」
「はい」
「私が藤原さんとお付き合いしても構わないと思いますか?」
僕は聞かれても困るであろう質問をお嬢様に投げ掛けていた。
「早瀬さんが良かったらいいのではないですか? ご自分のことでしょうに。プライベートまで私が口出しする件ではありません」
淡々と答えてくれた。
即答だった。
僕はお嬢様から何という答えを期待してたんだろう?
僕が分かるのは今の答えが聞きたかった答えとは違ってる言葉だということ。
もう以前のように茶化してはくれないんだ。
お嬢様の屈託のない笑顔が懐かしく、僕の胸の中で思い出されていた。