01 僕の大事なお嬢さま
「いいですか? お嬢さまにはくれぐれも失礼のないように」
「は、はい。分かりました」
スーツに身を包み、真っ白な髭を蓄えた貫禄のあるご年配。
ドラマで見るような執事はTVの向こうだけではなく、本当に実在すると初めて知った。
他にもメイドや使用人がズラリと並ぶ様子に圧倒される。
しかし、特別驚くこともない。
このお屋敷の大きさを見れば、これだけの使用人がいても納得してしまう。
大学の卒業は決まっていたが、僕は見事なまでに就活に大失敗。
売手市場だと聞いていたのに、この有り様。
このまま就職浪人を覚悟していた。
卒業間際に飛び込むように受けた面接、それがここでの使用人という仕事だった。
受かった当初は、とにかく就職出来たことだけで安心していた。
その際、高学歴と人柄を認められた僕は特別な職務に就くことを命じられる。
このお屋敷のご主人様のご息女であるお嬢様の運転手謙雑用係だった。
いったいどんな仕事で、そんな仕事が僕に勤まるのか、などという心配はあった。
がしかし、お仕えするお嬢様とはどんな女性なのだろう?
どちらかというと、そっちの方に興味が向いていた。
「おはようございます。お嬢さま」
「おはよう、みなさん」
僕は緊張しながら、そのお嬢様との初対面の瞬間を待っていた。
お屋敷の大きな扉が開くと、ようやく待ちに待ったその姿が目に入る。
「……」
一言で言えば、僕は拍子抜けした。
てっきり大学生ぐらいか、それでなくても高校生ぐらいの女性を想像していた。
目の前に現れたのは幼い少女。
お嬢様とは言うものの、ただの子供でしかなかった。
「お嬢さま。こちらが今日からお嬢さまの……」
「まあ? そうですの?」
「さあ、ご挨拶を……」
「あ、はい。あの、早瀬守です」
「早瀬守……さん?」
「はい。よろしくお願いします」
こんな小さな子供に深々と頭を下げるのに若干の違和感を感じる。
何がお嬢様だ、と思う自分がいた。
僕は変な仕事に就いてしまったとすぐに後悔していた。
しかし、頭を上げた瞬間“ただの子供”それを撤回しなくてはならないと思った。
「西園寺月子です。こちらこそよろしくお願いいたします」
長い黒髪をかき上げ、目尻を下げた穏やかな表情で僕に微笑みかける。
とても子供とは思えない仕草と振る舞い。
それに纏っている空気が普通の人とは明らかに違っていた。
僕はきっと本物のお嬢様という存在を初めて目の当たりにしていたんだ。
真新しい中学の制服に身を包んだ彼女、西園寺月子こそが僕がお仕えするお嬢様だった。
「では参りましょうか。早瀬さん」
「は、はい」
行きも帰りも高級外車で送り迎え。
一般庶民の僕には考えられない箱入り娘。
放課後も塾やら習い事で毎日が埋まっている。
それこそ分単位のスケジュールだった。
(ぶつけたりしたら大変だ)
恐らく普通に生活していたら運転することはないであろう高級車のハンドルを緊張しながら握っていた。
そんな中、ふとルームミラーに視線を送る。
そこには車の中でも背筋をピンと伸ばし精悍な姿勢で座るお嬢様の姿があった。
凛々しいと言う言葉がすぐに頭の中に浮かぶ。
とてもついこの間まで小学生で、今年から中学生になったばかりの少女とは思えない姿に見えた。
「どうしたんです?」
「あ、いえ、何でもありません。すいません」
ミラー越しに視線が合うと、見ていた僕に不思議そうに話しかける。
物珍しい目で見てた自分の恥ずかしい。
まるでそんな僕の心を見透かしたようにお嬢様は笑みを浮かべていた。
それにしても威風漂う様相に目がいっていたが、よく見れば愛くるしい顔をしている。
パッチリとした大きな目が特徴的な整った顔立ち。
長い黒髪は絹糸のようにサラサラと靡いている。
学校でも、多分モテるだろうと感じる可憐なかわいらしさ。
醸し出す清潔感が、その清楚な雰囲気を更に際立てる。
将来はさぞ素敵な女性に成長するに違いない。
僕はそんな確信を勝手に持った。
車中では全く会話もなく緊張した時間が続いたが、車は程なくして学校に到着した。
急いで後部座席に回りドアを開くと、降りるお嬢様をエスコート。
「では、夕方。お迎えの方よろしくお願いします」
「はい。分かりました。いってらっしゃませ。えっと……お嬢さま」
「ふふふ。そんなに緊張しなくてよろしいのですよ、早瀬さん」
「あ、は、はい」
「では行って参ります」
肩凝るようなしゃべり方をしなければならないのが困りどころ。
使い慣れない丁寧な言葉を使ってるのはお嬢様には見抜いていただろう。
僕は学校に向かうお嬢様の後ろ姿を見えなくなるまで見送っていた。
「お嬢さま……か」
僕はまだお仕えする意味も理解していなかったと思う。
ただ初日ということで仕事への並々ならぬ意気込みだけが漲ってきた。
それがこのお嬢さまをこれから守っていくという使命感を僕の心に芽生えさせる。
意外と面倒な仕事になりそうだが、それでもやっていけそうな意味不明な自信を僕は持っていた。