82話 メアリー救出
国の北の端、隣国との国境近くは木々が多く薄暗かった。木々に紛れてしまえば、馬車も人に見つかることなく抜けていくことができるだろう。森のように深いそこで、小さな荷馬車が走っていた。屋根と壁がついている荷車に何が載っているのかはわからない。森を抜けるには少し早足で道を進んでいる。
その後ろで三頭の馬が走っている。内一頭にはオズワルドの従者が乗っており、残り二頭は誰も乗っていなかった。だが、馬は誰かに操られているかのようにまっすぐに走っている。従者は初老の男性にかかわらず、身軽に馬を操っている。整えられた白い髪も乱れていない。そのとき、一頭の馬の上に、ウィリアムとオズワルドが姿を現した。
「状況は」
オズワルドに問いかけられ、従者は彼らの登場に驚くことなく答える。
「相手はまだ、こちらに気づいておりません」
「そうか」
オズワルドが手を動かすと、もう一頭の馬がこちらに近づいてきた。彼はその馬に飛び乗る。そして、従者に声をかけた。
「お前がいてくれて、助かった」
オズワルドの労いの言葉に、従者は笑みを浮かべた。
「私はずっとあなた様のそばにいます。……この魂が朽ちるまで、あなたの助けとなりましょう」
この状況に前に走っている人たちが気づかないわけがない。だが、それができるということは……。
「この人も悪魔ってわけか」
ウィリアムは小さな声で漏らした。
オズワルドの家に行ってから、様々なことを聞いた。オズワルドやレジーナは悪魔で、リリアンは神の寵愛者。周りにいるのが只者ではない人ばかりで、御使いである自分すら霞んでしまうとウィリアムは思った。
荷馬車との距離は十分に空いていた。ここから荷馬車に突入するのは難しいだろう。
「ウィリアム」
オズワルドがこちらに視線を向ける。
「私が足止めをする。だから、君は荷馬車から彼女を救出してくれ」
……また、無茶ぶりだ。
ウィリアムは小さく息を吐いた。
オズワルドの指示を聞きながら、今まで様々なことをさせられた日々を思い出して、遠い目をしてしまう。
「……かしこまりました」
だが、これはリリーのためだ。そう自分を奮起して、ウィリアムは顔を上げた。
オズワルドが手を上げる。すると、荷馬車の前方が黒い霧で包まれた。馬や騎手の姿が見えなくなる。こちらで何をしていても気づかないだろう。
「行け」
オズワルドの言葉で、ウィリアムは瞬間移動を使った。
目の前の景色が荷馬車の中に移り変わる。ガタガタと揺れる荷車に立ち、周りを見渡す。様々な荷物の中に、大きな麻袋が置かれていた。それは人が一人入っていそうな大きく、ゆっくりと呼吸をするように動いている。
ウィリアムは麻袋の紐をほどいて、中身を確認する。
「……メアリー様」
その中に入っていたのは、象徴メアリーだった。教会で見る聖職者の服ではなく、町娘のように素朴な恰好をしている。これでは一目では象徴だとわからないだろう。幸い彼女は落ち着いた様子で眠っている。だが、彼女が起きなければ、この後の移動が難しくなる。
「メアリー様、起きてください。メアリー様」
ウィリアムが軽く頬を叩きながら起こすと、ピクリと瞼が動く。彼女はゆっくりと目を開けた。藍色の瞳をぱちくりと瞬かせる。
「……ここは」
「ここは荷馬車の中です。……おそらく、隣国に向かっているのでしょう」
荷馬車は隣国との境に向かっている。おそらく商品として、連れていかれるところだったのだろう。
彼女は起き上がって、周りを見渡した。状況を理解したのか、ゆっくりと立ち上がる。そして、目を大きく開いてこちらに手を差し出してきた。
「移動しましょう。私に捕まって」
そう言う彼女に、ウィリアムは首を横に振った。
「捕まるのはあなたの方です。正確な位置を把握していないでしょう?」
メアリーは顔を上げて、大きく目を開きながらウィリアムを見た。
「あなたも御使いなのですか?」
ウィリアムはうなずいて見せると、彼女の方に手を差し出した。
「リリーが待ってる。一緒に行きましょう」
オズワルドの従者に正確な位置を教えてもらい、ウィリアムは瞬間移動を使った。無事、馬の上に乗ることができて、ホッと息を吐く。
動くものの上に標準を合わせて、移動能力を使うのは、ものすごく気を使う。外れてしまえば、地面の上に落ちることになるからだ。
「さすがですね……」
驚きの声を漏らすメアリーにウィリアムは笑った。
「子どものころに、よく試していたので……」
その言葉に彼女は納得した表情と、微笑ましそうな表情を浮かべた。
「男の子らしいですね」
メアリーを載せていた荷馬車は、彼女がいなくなったことも知らずに走り去っていく。それを見届けながら、馬はゆっくりと速さを落とした。
オズワルドは馬に乗ったまま、こちらに近づいてくる。
「メアリーは救出した。次はリリーのもとだ」
「リリアン様は……あの方は無事なのですか」
不安そうに揺れる瞳に、オズワルドは責めるような声をかける。
「君がいなくなってから、リリーは大変な目に合っている。……それを理解したうえで、手伝ってくれるだろう?」
小さな少女に向かって、彼の口ぶりは冷たい。だが、メアリーは顔を下げることなく即答した。
「もちろんです。私にできることならば、何でもいたします」
メアリーの言葉にオズワルドは当たり前だと言わんばかりに話を続けた。
「リリーは今、処刑台の前にいる。彼女は身分を詐称し、神を欺いたまま、象徴になろうとした罰だそうだ。……勝手なことをしやがって」
オズワルドは珍しく、荒々しい言葉を吐いた。メアリーも彼の言葉に同意するようにうなずいた。
「本当に、ふざけたことをしてくれますね。……どうしてくれましょうか」
二人があまりにも物騒なことばかり言うので、ウィリアムは思わず顔を引きつらせる。そんなウィリアムに気づかないで、メアリーはオズワルドと向き合った。
「私はどのようにすれば良いでしょうか」
「俺が術を使う。君が象徴としてふさわしいという演出を行なうから、君はそれに合わせておけばいい」
「かしこまりました」
オズワルドはこちらに目を向ける。
「ウィリアム。リリーのところへ連れて行ってくれ。……レジーナがいるとはいえ、危険な目に合っているのは確かだ」
ウィリアムはうなずいて、彼らの方に両手を差し出した。
「早く行きましょう。……リリーを助けに」
二人はウィリアムの手を取った。そして、オズワルドの従者と馬だけを置いて、彼らは姿を消した。




