77話 神
リリアンは自分の部屋に戻ると、ホッと息を吐いた。
首からは完全な状態になった象徴の証がぶら下がっている。メアリーが身に着けていたものと同じだ。
「リリアン様」
ディアドラがリリアンに向けて口を開く。
「とうとうここまで来ましたね。これからは、どのようにされるのでしょうか?」
アルバートと似たような質問だが、おそらく『メアリーが見つからないままだが、どうするつもりか』ということを問いているのだろう。
「変わりませんよ。同じように行動するまでです」
メアリーを継続して探すことを伝えると、彼女は一歩下がった。
「そうですか。かしこまりました」
口ではそう言えるが、メアリーを探す手立ては見つかっていない。彼女が生きているだろうということしかわかっていないのだ。
「誰かに質問して、答えてくれたらいいのに」
冗談交じりに言うと、レジーナがふわりと現れた。
「じゃあ、聞いてみたらいいんじゃないかしら?」
彼女はリリアンの隣に降り立つと、視線をある部屋に向けた。
「象徴にしか入れない部屋ですか?」
「そう。その部屋には物知りな人がいるの。あなたが会いに行けば、顔を出してくれるんじゃないかしら?」
「ですが、前に入ったときには、どなたもいらっしゃいませんでしたよ?」
そう言うと、レジーナは胸元を指さした。
「これがあるでしょう? 大きな違いだわ」
つまり、象徴の証を身に着けて入れば、誰かしらに会えるということなのだろう。
青い石をギュッと握りしめて、立ち上がる。
「ディアドラさん。私は少し、あの部屋に籠ります」
そう言って歩き出すと、ディアドラは慌てたように顔を上げた。
「ですが、その部屋はあなた以外誰も……」
ディアドラに頭を下げて、ドアノブに手をかける。鍵が開いたのを確認すると、扉を開いて中に入っていった。
象徴しか入れない部屋では、季節が関係ないようで花畑が変わらず風に揺れている。そして、真ん中にあるテーブルに誰かが腰を掛けていた。
リリアンがゆっくりと近づくと、その人は顔を上げてこちらを見た。
綺麗な顔をしていた。男性なのか、女性なのかがわからない。目元を覆うように大きな仮面がつけられている。髪や肌は白い。仮面の奥の深く澄んだ青色の瞳だけが唯一色づいていた。
「そなたは……リリーか」
突然、名前を言い当てられ、リリアンは動揺する。
「ごきげんよう。リリアンと申します。……えっと、あなたは」
「そなたは私に用があってきたのではないか?」
おそらく、レジーナが言っていたのはこの人のことなのだろう。
その人は手をもう一つの椅子の方に指す。リリアンは例の姿勢を取ってから椅子に腰を下ろした。
「はい。私はあなたに用があり、ここに来ました」
その言葉にその人は嬉しそうに微笑む。
「そうか。私もそなたと話がしてみたかった」
「私とですか?」
「そうだ。私はずっとそなたを見ていた。いつかこうやって話したいと思っていたんだ」
どこから見ていたのだろうか。親戚にも、学園の関係者にも見たことのない人だ。だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「では、まずはあなたの話から聞いてもいいですか?」
「私の話からか?」
「そうです。私はあなたのお話を聞いてみたいです。まずは、お名前を教えていただけますか」
そう言うと、その人はにこりと笑って教えてくれた。
「私はよくサフィーと呼ばれている。そなたにもそう呼んでもらえたら嬉しい」
「では、サフィー様はどうしてここにいるのですか?」
「ラベンダーが望んだからだ」
知らない名前だ。今までの象徴の誰かだろうか。
「ラベンダー様はどなたですか?」
「そなたたちのいう、象徴だ。彼女は最初の象徴だった」
「初代象徴……」
教会の設立に関わっており、花を愛していたという最初の象徴。彼女がこの部屋を望んだ。
「どうして、望んだのでしょうか?」
「彼女は私と話ができる場が欲しいとねだったのだ。あの子はいつも私の話を聞きたがった。知らないことを知りたがる。……私にとっても楽しい時間だった」
「ラベンダー様はここによくいらっしゃるのですか?」
「しばらく見かけない。最近はメアリーという少女がよく足を運んでいた」
「メアリー様をご存じなのですか!?」
リリアンが身を乗り出して聞くと、彼は笑みを浮かべたままうなずく。
「知っている。だが、あの子は私が見えない。……特別な魂じゃないからだ」
特別な魂。つまり、神の寵愛者だけが、サフィーの姿が見えるということだ。
「メアリー様は、この部屋でどのようにお過ごしでしたか?」
「楽しそうにしていたよ。この部屋がよほど気に入っていたらしい。よく来ていた」
「そうなのですね。……その、彼女は今どこにいらっしゃるかご存じですか?」
レジーナはこの部屋にいる人に尋ねろと言っていた。きっとこの人に聞けということなのだろう。
リリアンの質問にサフィーは何ということもなく答える。
「この国の中にいる。場所は……北の端」
「北の端ですか?」
「ああ。彼女が一度死んだ場所だ」
「メアリー様が一度死んだ場所……」
きっと、前世のことを言っているのだろう。彼女が死んだのはどこかわからない。だが、思いつく場所があった。
「神に魅入られた村でしょうか?」
その言葉にサフィーは首をかしげる。
「知らぬ。だが、そのとき多くの者が悪魔に食われた」
「……そういうことなんですね」
メアリーは以前、その村では村人が皆、神のもとに行ったといわれていると言っていた。だが、実際には悪魔に全員食べられてしまったのだろう。
「ありがとうございます。だいたいの目星がつきました」
リリアンがお礼を言うと、仮面の向こうで目を細められる。
「リリーの助けになったのなら、良かった」
不思議な人だ。その眼差しはとても温かく、心地よく感じる。
「私もリリーに聞いてもいいか?」
「もちろんです」
「そなたは今、ローズとともにいるのか?」
「ローズですか?」
「ああ。そなたからはローズの香りがする」
ローズと聞くと、思い当たるのはロザリーだ。だが、リリアンには身に覚えがない。
「勘違いではないでしょうか」
「いや、間違いなく一緒にいるはずだ。彼女は気高く、美しい女性だった。そんな花が近くにいるのではないか?」
気高く美しい女性……。自分に自信があり、意志を強く持ち、過去をも利用すると言った人に心当たりがあった。
「……そうだったんですね」
今まで掴めなかったその人の片鱗を掴めたようで、リリアンは頬を緩ませる。
「ローズ様もこの部屋にいらっしゃったのですよね?」
リリアンの問いかけに、サフィーはうなずく。
「来た。だが、一度だけだ。ラベンダーは三百年ほど遊びに来てくれていたのに。……ラベンダーも今はもう来ない」
三百年……? リリアンの思考が一瞬止まる。もし、ラベンダーが三百年もサフィーと会っていたなら、人間ではない。
神の寵愛者は死後、悪魔に姿を変える。そして、人の魂を喰らい、人の体に入り込むことできたはずだ。もし、彼女が三百年間、象徴になった人の体に入り込んでいたのなら……。
「……サフィー様。ラベンダー様というのは、悪魔なのですか?」
サフィーは唇を閉じる。視線を下げると、ゆっくりと首を横に振った。
「私はそう思わない。だが、そなたたちはあの子たちをそう呼ぶ。悪というのは何であろうな。生きるために命を食べるのは人間も同じだろう」
その言葉にリリアンは黙るしかなかった。何が悪かと言われたら、判断が難しい。自分もまた、レジーナに同じことを思ったからだ。
「あいつがこの世界を創ったとき、何を考えていたのかわからぬ。私が寂しくないよう、特別な魂が生まれるようにしてくれた。だが、そなたたち、人間は脆い。愛しても、愛しても消えてしまう。それがどれだけ寂しいことか」
サフィーはふっと息を吐いて微笑む。
「ラベンダーだけは私のために尽くしてくれると約束してくれた。私のために人々を導いてくれると。……本当にいい子だ」
リリアンは息を飲む。そして、恐る恐る質問をした。
「あいつとは、どなたのことでしょうか」
「ルビソル。この世界を創った神だ」
サフィーは何でもないように答える。
「この世界を創ったのはサフィルア様ではないのですか?」
「世界を創ったのはルビソルだ。サフィルアは……人を裁くことしかしておらぬ」
その人はそう言うと、こちらを見た。そして、少し強張った口元で尋ねる。
「……リリーよ。私の顔を見てくれぬか?」
「見せていただけるのですか?」
「……そなたが許してくれるのであれば」
どこか遠慮がちで、何かを恐れているような声だった。
「では……見せていただけますか」
その人はうなずいて、仮面にそっと触れた。仮面が外され、その向こうには焼けただれたような皮膚が目に入った。それは、人との顔というには、部位の判別がしにくく、目と口の位置くらいしかわからなかった。
「痛くないですか?」
そう問いかけると、その人は小さく笑った。
「痛くない。これは傷痕ではないからな……生まれたときから、ずっとこの顔だ」
「よかった。痛くないのですね」
「そなたは……私を怖いと思わないのか?」
きっと人に見せるのは勇気が必要だっただろう。だが、それを見せてくれた。どうして見せてくれたのかはわからない。だが、その人は何かを肯定してもらいたいように見えた。
「思いません。とても……温かくて優しい方だと思います」
その言葉は嘘ではなかった。怖くない。こちらに向ける瞳は優しく、口から出てくる言葉は温かい。
「そうか。やはり、花は優しく、美しい」
その人は嬉しそうに微笑むと、仮面をつけた。リリアンはその人と向き合い、再度尋ねる。
「もう一度、あなたのお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「私はサフィルア。ラベンダーが名付けてくれたのだ」
その名前は聞き慣れたものだった。
「……あなたは、神様ですか?」
その人は仮面の奥で目を細める。
「リリー。私の愛する花よ。また来ておくれ。そなたにまた会えることを楽しみにしている」




